――……あれ?――


どことも知れない異質な空間に、呟き声が溶けてゆく。


そこは深い海の底のようで、あるいは高い空の彼方のようで。


透き通るようでいて、けれど闇に包まれたが如く先を見通せない世界。


上も下も、前も後ろも、何もかもが不透明で不鮮明。


けれど不快感は微塵もなく、初めてのような、懐かしいような、そんな不思議な感覚が呼び起こされる空間。


祐一は、自分がそんな常ならぬ場所にいることを、おぼろげに自覚した。





――何で、こんなとこにいるんだろ?――


微かに首を傾げる。


不思議と焦りも不安もなかった。


そっと呟いた言葉は、静かに空間に染み入る。


もちろん答えはなかったけれど、それでも心が急くことはなく。


ぷかぷかと。


ふわふわと。


ぼんやりと光っている、まるで波さえ立たない湖のような静寂を思わせる空間で、祐一は静かに漂っていた。





なぜ、どうして、どうやって。


尽きないはずの疑問は、静かに揺れるこの空間に同調するように、静かに心から染み出し、紅茶に入れた砂糖のようにゆっくりと溶けてゆく。


理性ではなく感情で、彼は思考の無駄を悟った。


他には誰もいない空間で、一人静かに揺られる時間。


何もかもがわからない、不思議で奇妙な一時。


けれどなぜだか安らぐ心。


何とはなしに、今、自分が夢を見ているんだろうな、と祐一は思った。


似たような夢を、いつか見たような気がする、とも。


そしてまた、おぼろげではあるけれど、それが何か大切なことだということも。


けれど祐一は、そんな自分の現状にも、周りの状況にも、それ以上注意を払うことはできなかった。


静かに揺られているうちに、彼の意識も溶けていこうとしていたから。





――ふぁ……――


小さな欠伸が零れる。


ほとんど閉じられた祐一の目。


抗うことなど到底できない眠りという名の誘惑が、彼を虜にしていた。


何かを考えるのも面倒臭くなってしまうくらいにそれは強く。


ゆっくりと、静かに、彼は眠りに落ちてゆく。





何か大切なことを思い出したような、そんなことさえ既に思考の彼方。


眠りに落ちてゆく感覚が、どうしようもなく心地よかった。


――……夢の中で眠るって、どうなんだろーなー……――


何となく、呟き。


それだけを残して、祐一の意識は深く沈んだ。


規則正しく寝息をたてる、祐一の体だけが、今やその世界の全て。


ぷかぷかと、波間に漂う木の実のように、彼の体は静かに揺れる。


と、そこで。










――……ホント、ムチャばっかりするね、祐一君は……――


揺れる祐一の体のすぐ傍に、ぼんやりと光る何かが現れた。


それはまるで、彼を優しく包みこむように。


それはまるで、彼を愛しく慈しむように。





静かにたゆたっている光。


やがてそれは、ゆっくりと形を変えてゆく。


しばらく後に現れたのは、輪郭ははっきりしないが、けれど少女のように見える、そんな姿。


停滞は一瞬のこと。


光が、ゆっくりと祐一の頬へと近づいてゆく。


ゆっくりと往復する光。


それはまるで、愛しい人を労わるような仕種にも似ていて。


――……変わらないね、やっぱり。あの頃とおんなじ。いつも誰かのために一生懸命で……――


優しい優しい声音が、静かな世界にそっと響く。


それはけれど、哀しさをも秘めている声音で。


揺れる世界、揺れる声。


――ごめんね、ほとんど何もしてあげられなくって。できるなら、祐一君の力になってあげたい。だけど……――


染み入る言葉は、悲哀の色が濃くなってゆく。


涙が溶け出したような、震える声は、けれど世界を揺らすだけ。


声が向かう先にいる祐一は、微動だにせず眠り続けている。


安らいだ表情が、そこにあった。


――……もしかしたら、思い出してほしいって願うのは、間違いなのかもしれないね……――





揺らぐ世界は、少しずつその安定さを失くしていく。


水面に雫を垂らしたかのように、周囲が溶け合い混じり合っていく。


何もかもを置き去りに、また世界が崩壊を迎えようとしているのだ。


それはすなわち、目覚めの予兆。


もう一度、祐一の頬を愛しげに撫でてから、光がそっと離れる。


――……でも、それでもいいよ。たとえ思い出してもらえなくても……――


揺らいでいる空間が、少しずつ明るくなってゆく。


それと同時に、漂う光は少しずつ薄れてゆく。


それに併せるように、少しずつ上昇してゆく祐一の体。


見送る光は、小さな言葉を彼に送る。


万感の想いを、きっとそこに乗せて。










――……祐一君が幸せでいられるのなら、それで……――
















のんびりお気楽夢紀行


28ページ目  キミのためなら















「あっさだよー! おっきてー!」

「うわっ!」

「な、なに? なんなの?」

「えー……もうちょっとー……」

「すー……」


時は早朝、まだ日も昇りきらぬ頃。

大樹の根元で眠っていた祐一達に、突然かけられた元気一杯の声。



びっくりして飛び起きたのは祐一。

同じく、驚きつつも身を起こしたのが香里。

この二人の反応は、まぁ自然なものだろう。

目をこすりながら、それでもゆっくりと体を起こす詩子。

それでも、このくらいまではオーケーだ。

でも、茜はまだ目を覚まさない。

割と大きな声量だったのに、それがどうしたとばかりに、穏やかな寝顔ですぴすぴと眠り続けている。

それも今さらな話ではあるけれど。

さておき、そんな四人に、とびっきりの笑顔を見せるフルート。


「おはよー。今日もいい天気だよ」


くるくると飛び回りながら、朝のご挨拶。

祐一、香里、詩子は目をぱちくりと。

茜は一人、すやすやと。

ちょっとだけ沈黙はあったけど、祐一、香里、詩子は、すぐに笑顔になって。


「おう、おはよう、フルート」

「おはよう、いい朝ね」

「おはよ。元気だねぇ」

「ん……」


ごろり、と。

挨拶を交わすみんなの横で、茜が寝返りをうって、それに全員の視線が集中。

次いで沸き起こる笑い声。

清々しい朝を彩るそれが、幾重にも折り重なって、空へと吸い込まれてゆく。

そんな楽しそうな声につられたのか、茜がゆっくり体を起こす。

少しぼんやりしている茜だけど、みんなと挨拶するうちに、意識も覚醒、にっこり笑顔。

目が覚めたなら、次にすべきは朝食以外にあり得ない。





「んー……これもいけるな」

「ホント。何だか料理人としてこれからやっていけるかどうか、不安になっちゃうわよ」

「それは考えすぎというか、むしろ何か間違ってるというか。でもうん、確かにコレ、すんごく美味しい」

「調理しなくても、こんなに美味しいモノがあったんですね……」


フルートが用意してくれたのは、昨日食べたのとは違う果実。

それでも美味しさという点では、昨日と同じ。

口にして、皆がそれぞれに感動を覚えていたりする。

しきりに感嘆の言葉を零しながら、動かす手の速度は決して落ちることはなく。

見ているフルートも苦笑気味。

食べて頷いて、食べて感動して、食べて笑って。

騒がしいくらいに賑やかな朝食風景。

笑顔の絶えない楽しい時間。

けれど、楽しい時間はいつか終わりを告げる。

彼女達には、待っている人がいるのだ。

名残惜しいことは確か。

けれど、いつまでも腰を落ち着けているわけにはいかない。





「んじゃ、フルート。色々世話になったな」

「うん、ボクも楽しかったよ」


ちょっとだけ寂しそうに、それでも笑顔は忘れずに。

祐一とフルートが、別れの挨拶を交わす。

握手できればいいけれど、サイズの都合でそれは無理。

けれど、握手ができないからといって、問題なんてあるわけもなく。


「本当にありがとう」

「楽しかったよ、キミに会えて」

「私もです。それでは、お元気で」

「うん。みんなも元気でね」


準備万端整った四人。

交し合う声には、名残惜しさが滲み出ていた。

何しろ、種族が違う、生きる場所が違う、目指すものも違う。

これから先、会えることがあるかどうかもわからない。

もしかしたら、ずっと会うこともないかもしれない。

だけど。


「また、会えるといいな」

「……うん」


もしかしたら、会えることもあるかもしれない。

種族は違えど。

生きる場所は違えど。

それでも、もう五人は友達だ。

長い人生のうちの、ほんの二日だけの邂逅だけど、それでもこの出会いに感謝しよう。

そして、だからこそ。

五人がそれぞれを友人だと思うからこそ。





「じゃあ、またな、フルート」

「またね」

「うんうん、また会おうね」

「また会える日を楽しみにしてます」

「うん。またね、みんな」





別れの言葉はこれでいい。

『また会おう』という言葉だけで。

背後に向かって手を振りながら、ゆっくりと歩き出す四人。

見送る一人は、思いっきり手を振ってみせる。

少しずつ、視界に映るお互いの姿が、小さくなってゆく。

笑顔が、少しだけ霞む。

それでも五人は、最後まで笑顔だった。















「っと!」


振り回された丸太のような腕を視界に捉え、咄嗟に上半身を捻る祐一。

その目の前を、硬く握り締められた拳が、空気を切り裂いて通過してゆく。

それを見送ってから、祐一は腹筋に思いっきり力を入れた。

上体を斜め後ろに反らしたような体勢だが、バランスが崩れているわけではないのだ。

眼前には、攻撃直後で隙だらけのキラーエイプ。

このチャンスを見逃すつもりなんてない。


「っ!」


歯を食いしばり、勢いよく身を起こしながら、腰の捻りを最大限に活用して、手に持った大剣を全力で叩きつける。

遠心力をも加味した一撃は、空振って傾いだキラーエイプの体を、一気に切り裂いた。

ほとんど両断に近い形にされて、悲鳴すら上げられずに、それは血を撒き散らして崩れ落ちる。

そして。


「うぁいた!」


勢いがつき過ぎたのか、その場でこけてしまう祐一。

太い木の根に肩から落ちたため、少しばかり痛そうだ。

背後で構えていた香里が、それを見て、くすりと笑う。


「……なんだよ、笑わなくてもいいじゃんかよ」

「ふふ……ごめんなさいね」


少し口を尖らせる祐一と、笑顔のまま小さく謝る香里。

上体だけを起こしながら、祐一は笑っている香里を睨みつつ文句を言う。

胡座をかいた状態で、手を地面につけたまま、口を尖らせる祐一。

まるで拗ねている子供みたいで、それが香里の笑みを更に深くする。

それに反比例して、笑われる彼は不機嫌になってゆく。


「仕方ないだろ、勢いがつき過ぎたんだから」

「そうね。はい」


と、そこですっと差し出される手。

何でもないようにそういうことをされると、祐一もそれ以上何かを言う気は失くしたらしく、しっかと掴んですっくと起きる。

そして、先頭の終了を確認して、茜と詩子が後ろから駆け寄ってきた。


「大丈夫ですか? 祐一」

「魔術の援護、ホントになくても大丈夫?」


開口一番、そう言う二人。

心配しているような感じではないが、少し申し訳なさそうな声。

理由は簡単――茜と詩子は、全然戦闘に参加していないからだ。

フルートと別れてからここまでの間で、幾度となく戦闘はあったが、二人は後方待機のまんま。

その理由もまた簡単。


「俺は大丈夫だって、信頼してくれよ。大体、こんなトコで魔術使ったりしたら、また回復が遅くなるだろ」

「そうよ。ここまではあなた達が頑張ってくれたんだから、最後くらいあたし達にも仕事をさせてよね」


祐一と香里が、口々に休んでいるように言う。

そう、二人とも魔力が回復していないのだ。

もちろん、空っぽというわけではない。

けれど、その魔力の最大値からすれば、本当に少なくなってしまっている。

何しろ、茜も詩子も、昨日の戦闘で、魔力を限界まで使い切ったのだ。

それが、たったの一晩で回復するわけもない。

それなのに、ここでまた魔力を使ったりすれば、完全回復はさらに遅くなってしまう。

街に帰って、それで冒険が終わる香里と違って、茜と詩子は、まだまだ旅を続けなければならないのである。

となれば、一刻も早く、魔力を回復させなきゃいけない。



だからこそ、祐一も香里も頑張っているのだ。

茜と詩子を休ませるために、そして何より、二人を安心させるために。

大切な仲間のためなら、それは発奮しようというもの。

全力で、戦いましょう、帰るまでは。



そもそも、普段と違い今は四人パーティー。

二人が休んでも、まだ二人戦える人がいる。

祐一一人では心配もあるけれど、香里と二人なら、十分戦闘はできるのだ。

だから。


「……はい。頑張ってください、祐一も香里も」

「うん」


まっすぐに見てくる二人の瞳を目にして、茜も詩子も納得したように頷く。

確かに、二人にはまだ余裕があった。

戦いにくい森での戦闘とはいえ、さすがにこれだけ戦い続ければ、いい加減慣れてもくるというもの。



動きはどの程度まで可能なのか。

どの程度の攻撃で、キラーエイプやオーガは倒せるのか。

相手の攻撃力や防御力、動きのパターンなど。



そういった感覚的なものがあるとないとでは、格段に戦闘の危険度は変わってくる。

手探り状態だった行きと違って、帰りは少し、有利な状況となっているのだ。

もちろん、だからといって油断はできないけれど。


「おう、任せろ」

「えぇ、任せて」


にっこり笑って、祐一と香里が言う。

二人のコンビネーションも板についてきていたし、確かに、信頼しても大丈夫そうだ。

それに、二人が頑張ると言っているのだ。

ならば、ここはその言葉に甘えるのが正しい。

信頼して、全てを任せよう。

茜も詩子もそう考えて、魔力を使わないことを決める。

どの道、満足に魔術も使えない今の状態だと、足手まといになりかねないのだし。





「じゃ、さくさくっと進もうぜ」

「そうね、あとは帰るだけなんだもんね」


そしてまた、祐一が先頭に立ち、香里が殿になって、ざっくざっくと森を行く。

邪魔する植物蹴倒して、遮る魔物を蹴散らして。

目指すは栞と両親の、そんな大切な家族の待つ街だ。

それからも何度も魔物は出たけれど、香里が撹乱、祐一が止め。

そのスタイルに変わりなく。

さしたる苦もなく、歩みは進む。










「おっ!」

「到着ー」

「少し眩しいです……」

「やっと出られたわね」


がさがさ、と何度目かの茂みを抜けた先には、少し荒れた街道があった。

そしてその先に広がる草原……そう、ついに森を抜けたのだ。

砂利道だけれど、歩きにくい森の中を思えば、十分すぎるほど整った道がそこにある。

思わず知らず、歓喜にむせぶ祐一達。


「詩子っ!」

「祐一っ!」


街道に足を踏み出すと同時、久方ぶりのハイタッチを交わす二人。

パンッと小気味いい音が、静かな街道に響く。

少し傾きかけた太陽は、そんな二人を優しく照らす。

まるでそれは、彼らを労っているかのようで。





「相変わらずね」

「そうですね」


やったやった、と手を取り合って騒ぐ祐一と詩子を見て、少し苦笑気味の香里と茜。

顔を見合わせ、くすりと笑う。

けれど、そんな子供っぽい行動に対する賛否はさておき、二人にもこみ上げてくるものがあることは確かだった。

ふと脳裏を過ぎる、ここまでの道のり。



大変だった森林の行軍。

止めを刺し損ねたキラーエイプに香里が殺されかけたこと。

祐一の魔力らしきものに助けられたこと。

はぐれた二人と二人。

苦戦したゴースト。

流れた悔し涙。

翌朝の騒動。

森林最深部での激戦。

フルートとの出会い。

美味しかった果実。

きれいな星空。

別れ際の笑顔。



大変だったけど。

何度も死ぬ思いをしたけれど。

それでも、今となっては、そのどれもが忘れられない大切な記憶。

街で暮らしているだけでは絶対に経験できない、そして決して風化しないだろう、思い出の一ページ。

きっといつか、思い返した時に、小さくでも笑みがこみ上げてくるだろう日々。

走馬灯のように過ぎるそれらの光景に、知らず表情が崩れる香里と茜。

見詰め合ったままの二人。

お互いに、考えていることは同じだと察したのだろう。

再び小さく笑ってから。


「せっかくだし、あたし達もしましょうか」

「悪くありませんね」


笑顔のまま、右手を上げる香里と茜。

少しして。

パンッと、再び小気味いい音が、明るく照らし出された街道に、小さく響いた。


「茜っ、香里っ」

「あ、私も私も」


騒いでいた祐一と詩子も、いつのまにやら二人の傍に。

笑顔で上げられるそれぞれの右手。

茜も香里も、もちろんそれに、笑顔と右手で答える。

パンッと耳に心地よく響く音が、三度響いた。

そんなこんなの昼下がり。


















後書き



止まるにせよ進めるにせよ、一度キリのいいところまでは持っていこうと画策中。

空回らないことを願いつつキーボード叩いてます。

二束の草鞋は難しい。





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