「茜、滑りやすいから気をつけて」
油断なく辺りを見回し、警戒を強めながら、詩子が茜に注意を促す。
陽の差さない薄闇の中だからか、岩肌もどこか湿り気を帯びており、確かに注意しないと滑ってしまいそうだ。
「はい、分かってます」
茜も1つ頷き、同じく警戒しながら進む。
2人の歩みは決して速くはない。
先を急ぐあまりに、自分達が負傷してしまったら、笑い話にもならないからだ。
注意一秒、ケガ一生。
祐一&香里を助けられるのは自分達だけなのだ。
そんな想いが2人を支える。
だからこそ、急ぐことも大切だけど、安全こそが1番大事。
――ヒュッ――
「わっ」
と、そこでいきなり詩子に襲い掛かってきた魔物が1匹。
テラーバット……体長50cmほどの蝙蝠の一種だ。
闇を好み、主に洞窟などに生息。
普段は大人しい性格で、人を襲うことは少ない。
だが、テリトリーに侵入してきた冒険者がいれば話は別。
空中を忙しく飛び回り、爪や牙で攻撃してくる。
もっとも……
「っ!」
詩子の手から放たれた炎が、テラーバットを包みこみ、あっという間に燃やし尽くした。
そう、個体としての強さは、実際大したことはない。
ただ、じゃあ問題が全くないのかというと、これがそうでもなかったりする。
というのも……
「詩子、マズいです……」
「わわっ、いっぱい……」
慌てた様子の茜と詩子。
パッと手を口元に当てて、ぴたりと動きを止める。
それも当然。
何せ、2人の目の前には、数十とも数百ともしれないテラーバットの大群が。
揃いも揃って天井からぶら下がっているのだから、それは焦りもするだろう。
質は大したことがなくても、量が大したことなのだ。
「静かに歩きましょう……」
「そーっと、そーっと……」
ただまぁ、幸いと言おうか、目の前で1体燃やされているにも関わらず、他のテラーバットは、動く気配すら見せない。
どうやらみんな、お休み中か。
何はともあれ好都合。
茜と詩子は忍び足。
「運が良かったですね」
「うんうん。それじゃ、張り切って行こーう」
話す言葉はヒソヒソと。
足取りもちろんソロソロと。
2人は静かに進行中。
のんびりお気楽夢紀行
20ページ目 一難去って、また一難
「う〜ん……」
「見つからないわね……」
所変わって、祐一&香里。
2人はまだ、地下の空間をさ迷い続けていた。
何せ広すぎる。
とにかく広すぎる。
端っこに到着し、周囲をぐるりと歩こう、ということになって、歩き始めてはや1時間。
まだ半周もしていないのだ。
壁を調べ、床を調べ。
小さな手がかりだって見逃すわけにはいかないのだから、慎重にゆっくりと進むことになるのは仕方がない。
でもまぁ、これだけ時間も経つと、ダレてくるのもまた、仕方がないのだ。
ともあれ。
「ふぅ……ないなぁ」
「はぁ……ねぇ、相沢君、少し休憩入れましょ」
「ん? あぁ、そうだな。確かに疲れた」
香里に頷いてから、くるりと辺りを見回して、座れそうな場所を探す。
ほどなく見つけた石の上。
2人は並んで腰を下ろした。
「ふぅ……」
「はぁ……」
出るはため息ばかりなり。
心身ともに、お疲れのご様子。
歩き回って体は疲れて、見つからないから心も疲れて。
それからしばらく、無言のままで。
「ん〜……とりあえず、腹ごしらえしとこうぜ」
「……そうね、少しお腹が空いてきたし」
祐一の言葉に1つ頷き、取り出したのは、携帯食糧……いわゆるインスタントフード。
お味は今イチだけど、手軽さと食べやすさが売りの一品。
冒険者には欠かせません。
まぁ、そんなわけで食事時間となったのだけど。
「う〜ん、やっぱりアレだな」
「どうもインスタントは好きになれないわ」
食にかける執念が半端じゃない祐一と、現役料理人の香里には、どうにもこうにも味気なく感じられてしまう。
ちょっと顰められた表情には、不満の色がありありと。
まぁ、この製品の目指す方向が、2人の求めるものとは違っている、ということだろう。
お腹は満たされても、何だか心が満たされない。
そんなの贅沢と言われるかもしれないけれど、食事はやはり、大切な旅の楽しみの1つなのだ。
だからこそ、できる限りこだわりたい。
が、しかし。
「まぁ、まずはここを脱出してからだよな」
「それもそうね。何とか脱出しないと……」
今は危機的状況なのだ。
食事を楽しめるのも、命が保障されてこそ。
ここを脱出できなければ、その時2人がどうなるか……こんなの想像に難くない。
ならば、贅沢言うのは止めておこう。
そう決意し、1つ頷きあう祐一&香里。
もぐもぐ、と口を動かしながらの意思確認。
そうと決まれば話は早い。
探索開始のその前に、少しだけ食後の休憩をとることに。
「くそ〜、どこだ〜?」
「……」
少し休憩してから、2人は行動を再開。
でもその足取りは、ちょっと重そうで。
ぼやきながら探す祐一と、無言の香里。
両者とも、心中穏やかではないだろう。
順調に探索が進み、足が進み続けている、ということは、しかし同時に、脱出の可能性がある場所が減少している、ということも意味しているのだから。
狭くなっていく捜索範囲が、可能性の減少をも彷彿とさせてしまうのだ。
完全に論理に則って考えれば、今の状況は望ましいことのはず。
けれど、探せど探せど見つからなければ、人間は不安になってくるもの。
イライラしてないだけマシだけど、やはり焦りが見え始めている。
「……」
「……」
半周を超え、しばらく経つと、2人とも無言になってしまった。
薄闇の中での捜索は、やはりかなり疲れるものではあるが、物理的なそれよりも、精神的なそれの方が、今は辛い。
嫌な想像が頭を過ぎるのを、必死になって追い払う。
2人とも無言になってしまったため、場は不自然なほどの静寂に包まれてしまった。
聞こえる音は、2人が歩く音と、手であちこちに触れたり叩いたりする音だけ。
耳に痛いほどの、しんとした静寂。
時が止まっているのか、と思ってしまうほどに、そこは静かだった。
空気の流れさえも感じられない。
「……なぁ」
「……なぁに?」
静寂に耐えられなくなったのか、祐一が香里に話しかける。
捜索の手を止めずに、香里は静かに返事をする。
「おかしくないか?」
「何が?」
話を続けながら、とんとん、と、岩肌を叩くことも忘れない。
もしかしたら、道が埋まっているかもしれないから。
とにかく慎重に、少しでも可能性を求めて。
絶対に諦めたりしない、という強い姿勢の表れだ。
その片手間に、言葉は続く。
「いや、ここ、静かすぎると思うんだ」
「……どういうこと?」
ちらっと、香里が祐一の方を見る。
祐一もまた、香里の方に目を向ける。
「何ていうかな、生き物がいないみたいな感じ。大きいの小さいの諸々ひっくるめて、全くこれっぽっちもいないんじゃないか? ここ」
「……」
その言葉に、香里が少し考え込んでしまう。
言われてみればその通り。
大型の獣とはいかないまでも、小動物くらいならいてもいいのに、何もいない。
それこそ、微生物の存在すら危ぶまれるような、そんな空間に思える。
まるで生物を否定するような空気が満ちているかのように。
とにかく、不自然なほどの静寂が、そんな思考を後押しする。
胸に沸き起こってくるのは、新たな不安。
「それが気になってさ……」
「……何が言いたいの?」
「いや、何かヤな予感がするんだ。俺達が出られないとかじゃなくて、もっと違う何か嫌な予感が、さ……」
「何? 化け物でも出てくるって言うのかしら?」
祐一の言葉に、笑って返そうとする香里だが、それはどうしても笑顔になってくれない。
香里もまた、言葉にはしてなかったものの、同様の予感を抱いていたからだ。
雰囲気がとにかくそんな不穏な感じだから。
言ってみれば、嵐の前の静けさに似たような、何か良くないことの前兆のような気がするのだ……ここの静寂は。
一度心に芽生えた不安は、もう消えてはくれない。
それどころか、少しずつ少しずつ、時間が経つにつれて大きくなってゆく。
それが故に、2人とも神妙な顔をしたままで、しばらくの間、言葉もなく見つめ合っていた。
こうしてる今にも、それこそ大地を突き破ってきたり、天井から降ってきたりするようなムチャクチャなやり方で、化け物か何かが現れそうな、そんな予感。
何事もなければいいけれど、そんなに上手くいくとは思えなくなってしまっていた。
「……とりあえず、やることやるか」
「……えぇ、それが先決ね」
重苦しい空気は取り払えないけれど、じっとしてても始まらない。
まずは今、やれることをやろう。
悩むのも不安になるのも、できることを全部やってからでいい。
そして。
――コンコン――
「っ! 香里っ! ここだ!」
「え?!」
祐一が叩いた場所から、他とは違う、少し高い音が響く……これは、この先が空洞になっている証。
人為的なものなのか、それとも自然にできたものなのかはわからないが、壁のようなものが、ここに立ちはだかっている、ということだろう。
少し興奮気味な言葉を耳にして、香里も驚きの表情に変わり、すぐさま祐一のそばまで駆け寄ってきた。
「ほら!」
「ホントね……少し硬いけど、突き破れないことはないんじゃないかしら」
香里の言う通り、そこにあるのは、少し硬めの壁。
周囲の岩肌のような厚みはないが、密度が高いということだろうか。
とにかく。
「よし、香里、少し下がってろ」
「えぇ、分かったわ」
祐一が剣の鞘を振りかぶった。
その間に、香里は影響がないところまで下がる。
それを見てから、渾身の力を込めて、祐一が鞘を振り下ろした。
手を痺れさせる衝撃と同時に、少しだけ飛び散る岩の欠片。
だが、一撃では壁は壊れない。
相当に硬いのだろう……けれど当然、祐一も諦めたりしない。
すぐにまた振りかぶり、それを振り下ろす。
何度も何度も、振りかぶっては振り下ろす、の動作を繰り返す。
その甲斐もあって、少しずつ壁にヒビが入ってくる。
そのヒビが広がるにつれて、さらに祐一の腕の速度が上がる。
そして、もう何度目かも分からないくらいに鞘をぶつけた時に。
――ボゴォッ――
「よっしゃ!」
「やったわ、相沢君」
ポッカリと、そこに穴が開いた。
2人は思わずガッツポーズ。
少しでも穴が開いてしまえば、あとは周りを突くだけで、ボロボロと壁は崩れてゆく。
結果、最初は小さな穴だったけれど、すぐにそれは大きな穴へと姿を変えることになる。
ここまでくれば、もう大丈夫。
作業を続けているうちに、とうとう人が通れるくらいの大きさの穴になった。
そこまできて、ようやく祐一も一息つく。
それから、後ろの香里に目を向ける。
交錯するのは、少し喜びの色を滲ませた視線。
「よし、行くか!」
「えぇ!」
2人は1度ハイタッチを交わすと、順にその穴を通り抜けた。
まずは祐一、続いて香里。
穴を抜けてから、2人並んで前を見る。
さっきの空洞と同じく、薄ぼんやりとした空間が、目の前に広がっていた。
「……道、だな」
「道、ね……」
2人の前にあるのは、先の見えない薄闇に彩られた通路。
どうやら、塞いでいた壁も相当に広かったようで、その道の広さは十分なもの。
それこそ、家の一軒くらいなら丸ごと入るくらいの広さがあった。
もっとも、そんなことより問題なのは、苔の発光が弱弱しいこともあって、先が本当に見えないこと。
どこに続いてるのか、全くわからないのだ。
静寂と薄闇が、2人の不安を煽ってくる。
あるいは地上に通じている道なのかもしれないが、もしかしたら、さらに地底の奥深くへと続く道なのかもしれない。
一瞬躊躇するが、どうあれ他に道はないのだ、と思い直し、2人は1つ頷き合うと、並んで歩き始める。
いや、歩き始めようとした。
――ヒュウウゥゥゥ……――
「……風?」
「……イヤな予感ほど当たるのよね」
洞窟内部で、先は行き止まり。
なのに、突然聞こえてくる風の音。
ここから考えられることは1つ……何かがいるということ。
2人の表情に、はっきりと緊張の色が広がった。
その間にも、風の音は強くなる。
――ウウウゥゥゥゥゥ……――
「……気をつけろ、香里」
「えぇ」
2人は油断なく剣を構える……が、その顔に浮かんでいるのは、紛れもなく不安。
なぜなら、目の前にあるのは、風そのものだから。
そう……風が2人の前に集まって、渦を巻き始めているのである。
禍々しささえ覚える、不気味な風の塊。
少なくとも、普通に冒険している分には、到底お目にかかれる類の魔物などではなさそうだ。
危険の匂いは濃厚である。
と。
――オオオオォォォォォォ……――
「なっ……!」
「えっ……!」
唸り声のような重低音。
それを耳にした2人の驚愕の声が、通路に響く。
しかし、反響音を気にする余裕など、今の2人にはない。
ひきつった表情の2人の視線が、そこに釘付けになる。
薄闇の中、ぼんやりと浮かび上がるのは……
静寂の中、低く響きわたるのは……
「……ゴーストかよ」
「よりによって……」
ギリ……と歯を噛む音。
2人の声には、明らかに苛立ちが含まれていた。
そう……2人の前に現れたのは、ゴースト。
様々な生物の怨念の集合体とも言われる、魔物の中でも特殊な存在。
呪詛の言葉を浴びせてきたり、人の精神に干渉してきたりするなど、実に厄介な攻撃を持っている。
さらに、魔力をも内包しているため、魔術攻撃だってあり。
おまけに、物理攻撃さえ可能な始末。
そのくせ、こちらの物理攻撃はほとんど受け付けないのだから、たまらない。
冒険者にとって、十分脅威となり得る魔物だ。
壁を壊したら現れるというトラップみたいなものなのか。
それとも、たまたまここにいただけなのか。
それは分からないけれど、少なくとも、これを倒さなければ先に進めないのは、まず間違いなさそうだ。
けれどこれは、剣士コンビの祐一&香里にとって、相性最悪の相手。
今、目の前にゆらゆらと漂っているのは、大体1m四方に広がる煙状のゴースト。
もっともオーソドックスなタイプだ。
稀に、もっと実体に近いタイプも現れるが、実はそちらの方が遥かに強い。
その意味では、これは格下と言えなくもないが、それはあくまで一般論。
もし、ここに魔術士がいたのなら、どうにでもなったかもしれない。
だが、剣士の祐一&香里に魔術が使えるわけはなく、そうなると、目の前のこいつは、この上なく手強い相手になってしまう。
剣だけで倒せないというわけではないが、あくまでもそれは、可能性がゼロではないというだけの話。
実際問題として、魔術なしでゴーストを倒すのは、困難を極める。
自然に、2人の表情も厳しいものになってしまう。
「ちっ……仕方がないか。逃がしてくれそうもないしな。いけるか? 香里」
「……やれるかやれないかじゃないわ。やるかやらないかよ」
「頼もしいお言葉で」
「だって、生きて帰るって約束したんだし」
2人は軽く言葉を交わす。
でも、香里のそれは、強がり。
祐一のそれもまた、強がり。
けれど、強がりだろうと何だろうと、可能性がある以上、徹底的に足掻いてみせる。
まだまだ2人とも、死ぬつもりなんてないのだ。
栞の夢を叶えてやる、と言った。
香里と栞の両親に、絶対無事に帰る、と約束した。
茜と詩子と旅を続ける、と……2人を守る、と……心に誓った。
祐一は、1つ深呼吸。
目の前でゆらゆらぷかぷか漂うそれを、じろっと睨みつける。
剣の柄をグッと握る。
じんわりと、手に汗が滲む。
そして。
「やるぞっ! 香里っ!」
「えぇっ!」
香里もまた、グッと剣の柄を握る。
そして、祐一の言葉に力強い返事をすると、同じく目の前の存在を睨みつける。
一瞬後、2人は同時にその場を飛び出した。
疑いようなく2人はピンチ。
剣士の2人に勝機はあるか?
それは誰にも分からない。
夢のためにも、仲間のためにも。
こんなところで倒れられない。
まだまだ旅は終われないのだから。
後書き
ついに到達20ページ目〜♪ うん、がんばった。
……だからどうだってわけでもないんですが。
ども、GaNです、ごきげんよう。
さてさて、とりあえず祐一&香里はピンチっぽいです。
っていうか、ピンチです。
えぇもう、完膚なきまでに。
ってなわけで、次回は対ゴースト戦ってことになります、はい。
いや〜、にしても、長引く長引く……よもや森林探索がここまで長引くとは、ちょっと驚きですよ(オイ)
結局、大雑把なイベントしか考えてないから、話数の予測ができないんでしょうね。
どんなイベントをするか、とか、誰に何をさせるか、とかは決まってますけど、それ以外は白紙ですから。
まぁ、これも1つのやり方ということで、ご容赦を。
はふぅ、まだまだ次回も大変だ。
うし、頑張ろ。
多分シリアス率多めになるし。
気合入れないと。
ではまた次回にお会いしましょう。