時をこえる思い 第八話 龍牙作
「再会」
コトコトコト…
『うん、今回も上出来♪ まあ年季が人の一生と桁違いだから当然だけど〜』
『……ん? おお、時の番人かあ――って何でお前がここにいるんだ!?』
さて、謎の衝撃で気絶した祐一が気がついた時に初めて見えたものは、なんと時の番人だった。
さすがにこれは祐一も驚きを隠せない様子である。
『〜〜〜♪』
だが、時の番人はそんな祐一にかまわずまったりとお茶を煎れている。
『……そうだ。こいつはこういうやつだった……』
対する祐一はそんな時の番人の天上天下唯我独尊さを改めて感じ、呆れて力が抜けていた。
どうやら一体自分がどんな状況にあるのかという疑問より、その呆れの気持ちの方が一瞬とは言え凌駕してしまったらしい。
『……ん? ……うーー、祐一君! 私がこのお茶を飲みながら思索にふける時間が大好きなのは知ってるくせに邪魔するというんだね!!』
『あ、あのな…』
さて、少し時間が経ってからやっと祐一に気付いたと思ったらこんなことをのたまう時の番人。
さすがに祐一も呆れて物も言えないような気持ちになっていた。
確かにこの男にとってお茶の時間は数少ない道楽なのか、異様な執着を持っていたのは覚えている。
しかし、今はこんなことを話している場合ではないはずだと祐一は思った。
それともそんな自分の判断は間違っているのだろうか……。
祐一はそんな疑問まで浮かんでしまうほどに少し泣きたくなっていた。
『あ……そうか、私の出番なんだ』
『今度はわけの分からないことを口にするし……』
そして恐らく祐一の心を読んだのか、状況を理解したように時の番人は先ほどの怒りをどこかへ吹っ飛ばしてくれた。
相変わらず唐突に冷静になってくれている。
しかし、今回それは別にいいのだが、今度は変なことを彼は口走りはじめる。
そんな彼を見ている祐一は本当に泣きたくなってきている様子である。
『はっはっは、気にしないでくれたまえ。私の策略……もといこっちの話なのだから♪』
『だからわけが分からんっ!』
普通と違う人物であることは祐一も重々承知しているが、やはりこの場合は激昂するしかなかなった。
『おやおや、何をそんなに怒っているんだい?』
『……もういい。それよりここは時の間か? だとしたらなんで俺はこんな所にいるんだ?』
『あ、一見時の間に見えるけど、大丈夫、ここは君の夢の中だよ』
『そうか、なら起きないとな』
時には相手にしないほうが疲れない人物だったことを思い出したのか、祐一は怒りを押し殺して要件だけ済ますことにしたようだ。
そして、時の番人の話を聞いた祐一は即座に踵を返して去ろうとする。
少しお返しのつもりの意地悪だろう。
本気でもあるかもしれないが……。
尤も去った所で夢から覚めることにはならないかもしれないわけだが……そこは分かっていない様子である。
『あーーー!? 待ちたまえ、祐一君! まだ話すことがあるんだよ! 全く、そんなに私と話すのは嫌なのかい?』
ちなみにこちらはそこは分かっていて祐一の意地悪にのって遊んで――
『ん? もちろんそんなの当たり前じゃないか♪』
『ガーーーーーーーーン』
――いや、案外本気なのかもしれない。
ガクリと肩を落として黒いオーラを時の番人は発している。
『ふっ、お前も相変わらずだな。いい加減話を進めようぜ。よくは覚えてないが寝てる場合でもない気がするんでな』
『うん、それもそうだね』
(これだもんな)
しかし、祐一が改めて声をかけるとケロッとした顔で時の番人は彼の言葉に頷いた。
そんな奇抜な反応を予想していたとばかりに祐一は溜息をつく。
だが、心なしか笑っているようである。
この二人……どこまでが演技でどこまでが本気なのだろうか……。
『でも、お茶くらい飲みながらでいいだろう? 祐一君』
『まあ……お前のお茶は確かに上手いから別にかまわんが……』
『うんうん、実はこの味を思い出してもらいながら、また言葉を贈ろうかと思ってね〜』
『そのためにわざわざ人の夢に押しかけてきたのか?』
仮にも時の番人たる存在がそれでいいのかと思いながら、小さなテーブルの席に着きつつ祐一は渡されたカップに口をつける。
こいつならそんなことをやってのけそうだとも思いつつ、確か現実には干渉できないような話もしていた気がするので彼は疑問に思うのだった。
ちなみに、お茶の旨さは天下一品なので味の方はちゃっかり楽しんでいる。
コーヒーの方をよくたしなんでいた祐一もこれは別格なようだ。
『うーん、そういうことが出来たら楽しいんだけど、さすがにそんな干渉はできないからね〜』
時の番人はカップを手にしながら、のほほんとした口調で祐一の言葉に答える。
そして、祐一と同じように香りを楽しみながらカップに口をつけ、上出来と満足げな表情を浮かべるのだった。
『じゃあ何でここにいてこんな会話ができるんだ?』
『それは君が時の間で寝ているときに、ちょっとした術を深層心理にかけてこういう夢を見させるようにしくんでいたんだ』
『……お前らしい行動だな』
普通なら怒る所だが相手が相手なので祐一は苦笑を浮かべるだけにとどめている。
それにどちらかというと気分も悪い方ではない。
この男らしさを久しぶりに感じて、懐かしいような変な気分にもなっているようだ。
『まあね♪ ちなみに術の発動のタイミングは君が再び過去から歩み始めて力の限界を知り、どうするか考えている時』
『う……』
なるほどと祐一は思った。
ちょっと痛いところをつかれたようで表情は苦い表情をしているが。
改めて彼は自分を振り返る。
自分でも気付いていなかったが、自分の力だけでなんとかしようと彼は考えていたのだ。
しかし、倉田家全体に接触するという問題を前にして、自分の力だけでは難易度が格段に上がってしまうことに気付いた今、より簡単で確実な道を選ぶべきだと頭では分かっている。
とは言うものの、あの悲劇を回避できなかった自分が他の人の力をかりる訳には行かないというかっこつけた思い。
そして、自分の力だけで成功させてみせるという自己中心的な意地。
他人を巻き込んだことで起こる予想外の事態――それにより、失敗してしまうのではないかという恐れ。
もしくは、巻き込んだことにより新たな不幸を大切な人にもたらすのではないかという不安。
他にもあるとすれば……限界こそあるものの手に入れた大きな力への過信。
そんな色んな感情が祐一の中では折り重なっている。
ただ負けず嫌いというだけでなく、これらの感情のために彼は決断しかねているのだ。
『ま、色々思うところはあるんだろうね』
『どうせ俺は我侭で欲張りだよ…』
『全くその通りで』
『うがーーー!』
『はっはっは』
全くフォローせずに時の番人は祐一の暴走を楽しみながら、お茶を一口。
そして、すこし表情を穏やかにしてから彼と向き合う。
『とはいえ、もう大体心は決まっているんだろう?』
『ふっ……気付いた以上、かっこつける気にはならんわい。大体俺は今までも助けられてばっかりだ』
悪い気はしないものの、天野には過去に戻る前も時の間でも助けられている。
それに時を遡れるのもあゆのおかげ。
さらに過去に戻ってからは幸にも心を助けられた。
そう思い返してみると、なんだかすこし情けなくなってきて自分が悲しくなりながら祐一は呟くのだった。
『さらには母君に心配ばかりかけさせたと』
『ぬあああーー…』
そんな祐一にさらに時の番人は、お茶を飲みつつ一言――追撃を放つ。
当たってるだけにもろにその言葉をくらった祐一はもう瀕死状態のような心境である。
『あははは、あきらめるしかないねぇ』
『うるさいわい!』
『まあ、それはともかく君のやろうとしていることは並大抵の力では解決できるものではない』
『うぐ…』
『あゆ君の持っていた奇跡の力でも直接は救えなかった人たちを救うんだ。つまり奇跡を超えるくらいすごい力じゃないと救えない』
『奇跡を超えるとはまたかっこよすぎなことを……まあ、否定はしないが』
『あはは、もっと呆れるかもしれないが……じゃあその力とはなんだというならば、いわば世界を構成する力だね〜。あ、ちなみに神通力のような特殊な力じゃないよ〜〜』
『お〜い』
『ふふふ、でもまあ、真実は時として簡単なことにも複雑なことにも含まれる』
『さっぱりわからん』
『言葉だけでは意味もなく、その身を伴い、その当事者だけにしか意味を持たぬ』
『あのな……まさか!? 自分で考えろっていう宿題か、それ?』
『うん、まあ、その内分かるだろうけどね。簡単だけど、結局はそこに行き着くという問題だよっ』
『まあ、覚えとくよ……』
相変わらず話すだけ話して、隠す所は隠す。
そんな人を食ったような性格の時の番人に改めて呆れつつ、祐一は言葉に頷いておく。
なんだかんだいってもこの男のもつ知識は人間の比ではないのだから、覚えておいて損はないだろうと思ったようだ。
『ま、つまりはもとより成功させるには誰でも力が足りないことをこれからやるんだ。あきらめて他の力をかりなさいって♪』
『はぁ……そう思ったほうが気が楽ってか?』
『うん、そういうこと。ではこれで終わり。お休みなさい、祐一君』
『ああ、お休みって――マテ!? その大木槌はなんだ!?』
いきなりお休みはないだろうというツッコミも入れたかった祐一だが、それよりいきなり取り出した大木槌の方が流石に気になった。
時の番人は楽しそうに微笑みながらこう言う。
『もちろんこれで殴って目覚めさせるんだよ♪』
『ま、待て、早まるな!!』
『イ・ヤ♪』
心底楽しそうに笑みを浮かべながら時の番人は大木槌を構える。
『く……ならば最後に言わせてくれ』
『なんだい?』
こいつならばもう止められないだろうと祐一は悟ったのか、覚悟を決めたようだ。
しかし、少しだけ抵抗しようとは思ったらしい。
真面目な顔で質問を始める。
『思ったんだが、方法云々の前に結局これは世界に干渉したことになってお前の立場的に問題はないのか?』
『……あ』
『マテ。あってなんだ!?』
『……ダイジョウブ、モンダイナイ』
『思いっきり棒読みじゃねえか!?』
ドゴ
『きゅう……』
『五月蝿いよ♪ じゃあね〜』
問答無用で時の番人は殴って祐一の意識を目覚めさせる。
別に殴らなくても他に方法もあったのは当然のこと。
唯このほうが面白かったから。
それが彼がこの方法を取った理由。
『……だってせっかくだからね』
しかし、祐一が聞こえなくなるだろうころを見計らって彼が口にした言葉はどこか寂しさを含んでいたのだった。
「ぐしゅぐしゅ……祐一、起きて」
「ぐす……ごめん、祐一。お願いだからおきてよ…」
「はぁ…いい加減、起きなさいな。 (ぺちぺち)」
(ん……母さん? それに舞に幸……?)
さて、無理やり意識を目覚めさせられた祐一は自分が母と舞と幸に囲まれていることに気付いた。
とりあえず泣いている舞たちがかなり気付けになったらしく、祐一はすぐに体を起こす。
「ん……ああ、おはよう、諸君」
「ごきげんよう、祐ちゃん」
「え……?」
「は……?」
舞も幸もすこし呆けてしまっている。
祐一が気がついてくれたのは嬉しいことだったが、何事もなかったように会話を始める目の前の親子についていけなかったのだ。
「ん? どうした? 舞、幸」
「え、えっと……祐一、大丈夫?」
「んと〜〜……ごめんね、祐一。いきなり抱きついちゃって」
そんな舞たちの様子を不思議そうに見つめながら、祐一は声をかける。
自然にそんな風に話しかけられた舞は、どうしたらいいか戸惑いつつも祐一のことを気遣うことにしたようだ。
幸も舞の後に続いて、祐一の気を失わせてしまったことを謝り始める。
「ふむ、この祐ちゃんを気絶させたのはお前たちか……」
「「……ごめんなさい」」
泣きそうになる舞たち。
対する祐一の方はというと、何か企んでいるような表情を浮かべている。
そして次に述べる言葉は――
「ならば、キスしてくれたら許そう」
「「!?」」
――こんな言葉。
舞たちはずいぶん衝撃を受けているようだ。
「なんちゃっ――」
ボカッ
「――母様、とても痛いのですが、何故なぐるですか!?」
「あのね……調子に乗るんじゃないの。見なさい本気にしちゃってるでしょう!?」
「あ……」
もちろん冗談だったようで、表情を崩そうとした祐一だったがいきなり一葉に拳骨をお見舞いされてしまった。
よほど痛かったのか、口調を妙に丁寧に変えて祐一は抗議する。
しかし、母の言うとおり舞たちのほうを改めて向くと――
「祐一とキス、祐一とキス……嫌じゃない、でも恥ずかしい……。 (ポッ)」
(抜け駆けはいけないけど……で、でも……)
――両方とも顔を真っ赤にさせながら俯いてしまっている。
舞はつい言葉にも出してしまっているほど混乱しているようだ。
幸にいたっては口にこそ気持ちを出さないものの、なんか身悶えている。
「祐ちゃん、責任とれるの〜〜?」
「………」
そんな二人を微笑ましそうに見つつ、一葉は邪笑と表せるような笑みを浮かべて息子に声をかける。
祐一はというと……今にも砂となって消えてしまいそうなくらい、固まってしまっていた。
「……久しぶりね、祐一君。いきなり娘といろいろあったわね」
さてそんな時、舞たちの母――真弥が祐一に声をかける。
どうやら、少し離れた場所から状況を見守っていたらしい。
娘二人はしばらくあのままだろうと思って苦笑を浮かべつつ、とりあえず間が空いたので自分も祐一に挨拶をしようと思ったようだ。
「……あ、あはは。ええ、真弥さん。お久しぶりです…」
そして祐一は反応が鈍りつつも真弥の言葉に頷く。
しかしながら、ある“もの”を見て祐一の表情は引きつり、苦笑というよりは乾いた笑いを浮かべてしまう。
(た、たしか、剣も復帰したと聞いてたから持っているのはいい! しかし、なんで封が開きかかっているんだ!?)
真弥が後ろ手に隠しているものがふと祐一には見え、それが何か分かってしまったようだ。
彼女が後ろ手に持っている細長い包み――その中には侍の証が入っている。
護身用か練習帰りか……なんでそんなものをもっているかはよく分からないが、それよりも気になるのは包みの封が解きかかっているということ。
(も、もしかして、舞たちをあれ以上泣かせるようなことをしてたら斬られてたってこと?)
なんとなくそんな気がして祐一はすこし身震いする。
もちろん峰打ちだろうが、でも痛いことに変わりはない。
(り、理不尽な気はするが、でも気持ちはわかるな)
気絶させられたのは祐一であって、祐一は悪くはない。
でも、どんな理由であれ、舞たちが泣いているという事実はうれしいことではない。
祐一もまたそれは同じだから、気絶させられたことを怒る気もすこし失せたのだ。
だから、せめてからかってやろうとしたのだろう。
……見方を変えればそれは怒っているとも言えるかもしれないが。
そして、真弥も状況はわかっているがちょっとばかし危ない冗談でもしようかという気持ちが、ほん〜〜の少しだけ頭の中をちらついてしまっただけというのが実際の所のようだ。
「「あはは…」」
(やれやれ……二人とも優しいというべきか怖いというべきか面白いというべきか……ふふ)
結局、なんとなく祐一と真弥はお互いの気持ちがわかったのか、不自然に笑いあうのだった。
そんな二人を見て一葉は楽しそうに微笑む。
そして真弥を見て、これはいい仲間になるかもしれないと直感的に感じて何やら企ててもいるようである。
「こんにちは、川澄さん。こうしてお会いするのは初めてですね。祐一の母、相沢一葉と言います。息子が大変お世話になったようで本当にありがとうございますね」
「あ、こちらこそ初めまして、私は川澄 真弥と言います。それと、そんなことないです。祐一君にはとても感謝しています……」
早速仲良くしようと行動に出る一葉。
そして真弥はというと、そんな一葉の思惑を抜きにして親しみを込めて挨拶を交わす。
先ほどはちょっとだけ驚かせようという気持ちが掠めたとは言え、祐一の存在が舞にとってどれだけよい方向へ向かうものであるか理解している真弥は、心底祐一には感謝している。
だから、そんな感謝の気持ちをしっかりこめて真弥は礼を言うのだった。
(あ、なんか、かわいい)
「? どうかしましたか? 相沢さん。私の顔をじっと見て?」
「いえ、なんでもないですよ」
そして、そんな真弥を一葉はかなり気に入ったようだ。
容姿も立場も真弥とは同年代なのだが、なんとなく一葉は気に入った女性を妹のように仲良く接する傾向がある。
加えて、真弥も標準的お母さんより若く、それなのに苦労というものをよく知っているような落ち着いた雰囲気を持っていることが、一葉にはかなり好印象だったようだ。
「ふふ、そうですか。私が言うのもなんですが息子は悪い子ではありません。ですが……今回はそちらの可愛い娘さんを泣かせてしまったようで申し訳ありませんね」
「いえ、そんな、気を失わせたのはこちらが……」
「男の子なんですから、これくらい受け止めなくちゃいけないわよね〜〜祐ちゃん」
「う……」
いきなり矛先が自分に来たことと、その言葉の内容に祐一は戸惑う。
だが、それはないだろうと冷静になれば普通は祐一も抗議していた。
しかし、母の顔を見た祐一は言葉を詰まらせるしかなかった。
何故なら、彼女の表情は自分を上回るレベルで人をからかう時特有の表情――これ以上楽しいことはないという微笑みだったからだ。
「そんなことは……」
「それに、今回は冗談が過ぎて彼女たちを困らせてますからね〜」
「え〜と、それはそうかもしれませんが」
「うぅ…」
真弥は祐一のフォローをしようとしつつも、一葉の独特な雰囲気に押され始めている。
祐一も今度は確かにその通りな部分もあるので参っている。
(……あ、祐一君の困った顔もなんか可愛いですね)
さて、そんな祐一の様子をふと見た真弥は少し酷いとは思いつつ、こんな感想をもってしまっていた。
はからずも一葉の思惑にのりつつある真弥だった……。
「クスッ……ではそのうち祐一君には責任をとってもらいましょうか?」
「え?」
そんな状態のまま、思いついたことをふと口にしてしまう真弥。
真弥はちょっと言ってみようかと思った程度のようだが、祐一にとっては驚くのに十分なもの。
少し呆然としてしまっている。
「うふふ……そうですね。では、お詫びに私は全面的に川澄さんに協力しますわ」
「か、かあさん……?」
「くすくす……冗談ですよ。祐一君の気持ちは大事ですから」
「御配慮感謝しますわ。これで全ては祐一次第ですわね(にやり)」
「そうですね……できれば泣かせてほしくないですけど……」
「責任重大ね、祐ちゃん♪ (に〜〜っこり)」
「え、あぅ……」
(あら……祐一君には悪いけど……祐一君面白い)
(ふっふっふ)
素質があったのだろうか……真弥は祐一をちょっとからかう楽しさを覚えてしまっていた。
恐らくその全てを見通していた一葉は、心の中で笑いながらガッツポーズを組んでいた。
これから可愛い息子で遊ぶ方法が増えたと思って大満足の様子である。
祐一の天敵ここにありっ、と言った所だろうか。
(電車の中で俺のことを本当に大切におもってくれているのは分かったけど……こういうところは勘弁してくれ〜〜)
今日は一日立場なしな心境の祐一だっただけに、ダメージは大きかった模様。
ここまで彼が追い込まれているのも珍しいかもしれない。
尤も、幼い精神が消えたわけではないので、致し方ないかもしれないが。
「……! ……?」
「祐一……あたし……ってあれ?」
「ん? 幸、どうしたの? え…祐一……?」
さて、ようやく自分の世界から舞たちは帰ってきたようだ。
ちなみに、舞はまだ未成熟な精神なので自分の中にある気持ちが理解しきれず、気がついた時には自分がどういう状態だったかよく分かっていない様子である。
幸の方は祐一に対して抱いている自分の気持ちをそれなりに理解しているので、少し戸惑いつつ祐一に声をかけようとしていた。
だが、なんだか燃え尽きているような祐一を見て驚いてしまい、不思議な表情を浮かべている。
舞も幸の疑問の声を聞いて、同じように祐一を見るとなんだかよく分からないがさっきまでとは何かが違うと感じたのか祐一を気遣っていた。
「舞……幸……すまなかった。俺を許してくれ……」
「……? 幸、何が起こったかわかる?」
「ごめん、舞。あたしにもわからないよ」
何故か頭を抱えながら、悲壮な感じで呟く祐一。
二人とも訳が分からなかった。
「それにどちらを選ぶかも問題ですね」
「そうですね……でも将来うちの娘だけとは限りませんよね?」
「そうですね〜〜、私の見立てでも一人は確定してますし」
「まあ…」
祐一が頭を抱えていた理由――それはまだ母親二人の会話が終わっていなかったからだ。
むしろエスカレートしてしまっている。
真弥は毒されたばかりなので、祐一のほうを見れば可哀相に思ってやめてくれたかもしれない。
しかし、一葉は巧みにそれを防ぎ、且つ祐一の反応を楽しんでいるのだ。
祐一が頭を抱えたくなるのも無理はなかった。
「うわ〜〜〜〜ん」
「ゆ、祐一、しっかり…」
(……お母さん……なんだか性格を変えられてきているような……?)
身だけでなく、心も子どもに戻ってしまったように泣きそうになってわめいている祐一。
舞はわけは分かっていないが、とりあえず祐一を心配している。
幸は今まで見たことのないような雰囲気をかもし出す母をみて、少し嫌な予感を感じつつ状況を傍観するのだった。
「僕……頑張ったよね」
「祐一……本当に大丈夫?」
「ご、ごめんね、祐一君」
すっかり別人のように佇んでいる祐一。
どれだけ話がエスカレートしたのか……実に考えさせられる姿である。
舞と、そして状況を理解した真弥は必死にそんな祐一を気遣っている。
「ちょっとやりすぎたかな?」
(これじゃキスの話も……まさか、一葉さんその辺りだけは助けてあげるつもりで……?)
「何かしら? 幸ちゃん」
「な、なんでもないよ。一葉さん」
さすがに一葉もやりすぎたと反省しているのか、困った顔をしている。
幸はとりあえず今は祐一の世話は舞に譲りつつ、ちょっと残念そうに話題が立ち消えたことを考えていた。
しかし、そこまで考えてふと思う。
まさか、それもこの人の計算のうちだったのだろうかと。
にっこり微笑んでくるこの人を見ているとそんな話も冗談ではない気がしてくるから怖い。
祐一の母の凄さを垣間見た気がした幸だった……。
「あ、ね、祐一、また一緒に遊ぼうね」
「……あ、ああ、そうだな、舞」
(よかった……ちょっとだけ祐一元気が出てきた)
しばらく舞は不器用ながら祐一を元気付けていた。
その甲斐あってか、祐一は何とか正気に戻り始めたので舞も顔をほころばせる。
(……舞はいい子だよな。器用ではないかもしれないけど……一生懸命。そんな舞を心配させたんだから俺は極悪者かもしれないなあ)
「ゆ、ゆういち…?」
落ち着いてきたらなんとなく舞の一生懸命さが可愛くなって、祐一はそっと舞の頭を撫で始める。
舞は突然のことにビックリしつつ、祐一にそうしてもらうとなんだかほっとするのでされるままになっているようだ。
「あ、舞、いいな〜〜」
「幸も舞と一緒に祐一君についてあげればよかったのに……まったく、いい子ね。 (なでなで)」
「じゃ、そんな健気な幸ちゃんはお母さんたちが祐ちゃんのかわりね♪ でも、幸ちゃんももっと欲張りでもいいと思うわよ? (なでなで)」
「ふわわ…」
この一年半時々包まれた母のあたたかさ。
そして、初めて感じるあたたかさ。
幸はそれがちょっとくすぐったかった。
でもとてもうれしい。
(やっぱり、祐一のお母さんなんだ……)
そして、幸は思う。
意地悪でいて本当は優しい。
だれかさんと同じあったかさなんだなと。
「毎日祐一とは遊びたい…」
「そうか…でも、すまん。今回は――」
「大丈夫、幸から話は聞いてる……だから我慢する」
「――幸から……そうか本当にごめんな」
しばらくそんなほんわかな時間を過ごした後、舞は一言言葉を漏らす。
その言葉に祐一は申し訳なさそうな表情を浮かべて答えようとする。
今回は来年以降の色々な準備もあるだろう。
だから毎日というわけには行かないのだ。
しかし、全部分かってるとばかりに舞はちょっと悲しそうだけど微笑んで、祐一の言葉を制してくれた。
そんな舞の表情を見て祐一は胸が痛むもの感じつつ、心から詫びる。
「祐一はこれから困っている人のために頑張るって幸は言ってた……がんばれ、祐一」
「舞……本当にありがとな。 (なでなで)」
(それに……祐一の力になれば、祐一はもっとあたしのことを好きになってくれるかもしれないといってた。だからあたしも頑張る……ん…やっぱり祐一のなでなで、嫌いじゃない)
舞は、この一年半の幸と母と過ごす時間の中でちょっとだけ成長していた。
そんな舞の心のうちにある可愛らしい気持ちまではわからないものの、祐一は舞の持つ優しさと純粋さを心からうれしく思いながら、舞に感謝するのだった。
(それにしても幸のやつ……舞を説得してくれていたのか。はは……既に誰かの力をかりていたってわけか、俺は)
そして、もう一人にも感謝を。
また、今日悩んだ事柄についてもふと考えてみて、ちょっと笑う。
どうやら本当にあきらめるしかない……そう、思うのだった。
そんな思いを抱きつつ、もう少し祐一は舞たちと会話を交わす。
一葉も舞や幸や真弥が気に入ったので、秋子が困らないぎりぎりの時間まで話していくつもりのようだ。
こうして、二つの家族は会話を楽しみながらも、落ち着いて話せる場所に移ったほうが良いかなと考え始めていた。