「十年前か…」
夏の暑い日差しの中、一人の男の子が道を歩いている。
年のころは周囲の目から見れば、恐らく小学校に入ったばかりといったところであろうか。
ただよくよく男の子を間近に見てみると、感の鋭い人たちはその男の子に何か違和感を感じたことだろう。
この男の子のまとっている雰囲気が妙に大人びているように感じられるからである。
そんな不思議な男の子の名は相沢祐一、そう、いよいよ彼は十年前から再び歩み始めたのだ。
「母さんに急に雰囲気や言葉遣いが変わったって言われたな。失敗したか? しかし、下手に無理して変えてもぼろが出そうだしな。何があったと聞かれてもどう説明したらいいかわからんし……」
さて、周りに誰もいないこともあってか、祐一は少し困ったように独り言をもらしていた。
どうやらなかなか鋭い彼の母親に自分の変化に気づかれてしまい、早速問題にぶち当たってしまっているようだ。
しかし、上手い対応は思いつかなかったのか、この辺りはうやむやのままに自分の目的を果たすことを優先して遊びに行くと家を出て来た様である。
その際、彼の母親は普通に息子を見送ることにした。
端から見ると――さすがは秋子の姉といったところか――表情にそれほど変化はなかった。
だが実際その心のうちでは、息子の変化に一抹の不安を彼女は覚えていた。
祐一からすれば七年前――記憶を封印したとき、彼の様子を誰よりも案じたのは彼女だった。
秋子同様良い母親と言えるような女性なのである。
そんな彼女だから、今は様子を見ると言う選択を選んだに過ぎなかった。
加えて今回の場合、息子から感じるものは何かしらの強い気持ちでもあったため、邪魔をしてはいけないと感じてもいたのである。
祐一はそんな母親の内面の深いところまでは気づいていない。
母親に不思議に思われたことをちょっと失敗したかなと、どちらかと言えば簡単に考えてしまっている。
今はただ助けたい少女たちのことで彼の頭はいっぱい。
彼が自分の周りの変化に気づくのは、もう少し後の話になる。
今は……目の前の彼の様子に目を向けよう。
ちなみに、精神の融合はとりあえず危険なく行えたようだ。
多少の違和感はあるにしても、今のところそれほど支障は無い様子である。
「最初は舞か……」
彼は過去に来て初めに出会う少女――川澄 舞のことを考える。
そして、彼女が自らの命を絶ったその時の光景もまた、思い出していく……。
『…剣を捨てた私は本当に弱いから』
『いいんだよ、それで』
『…祐一に迷惑をかける』
『一緒にいてくれるという祐一に迷惑をかける』
『それでも、祐一は構わないの…』
『構うもんか、それが女の子じゃないか』
『道端で泣いてしまうかもしれない…』
『ご飯食べてたら不意に泣き出してしまうかもしれない』
『それでも慰めてくれるの…』
『ああ』
『祐一…』
『ん?』
『ありがとう』
『ああ』
『本当にありがとう』
舞はにわかに微笑んで繰り返す。
そして…
『祐一のことは好きだから…』
『いつまでもずっと好きだから…』
『春の日も…』
『夏の日も…』
『秋の日も…』
『冬の日も…』
『ずっと私の思い出が…』
『佐祐理や……祐一と共にありますように……』
その言葉の後……彼女は持っていた剣を自らに突き刺していた。
側にいた祐一は目の前で何が起こったのか、理解できなかった。
あるいは、理解したくなかったのか…。
いずれにしても彼はショックのあまりその思考を止めてしまっていた。
その様は、意識を失っているとなんら変わりない様子だった。
しかし、そうなってしまったのも無理はないのかもしれない。
祐一はこの日の数日前、香里から栞の病気と言う悲しい現実を伝えられていた。
そして舞の親友である佐祐理は昨日、魔物と舞の戦いに巻き込まれ怪我を負い、入院したばかり。
さらに祐一の近辺に当たっては、叔母の秋子が事故に会い重体に陥った。
そのことで秋子の娘である名雪は支えを失ったかのように心を閉ざした。
しかも、その数日前から元は狐であった真琴はその人としての意識を失い初めていた。
これほど様々なことがありすぎた彼には、目の前で自分が大切に思える少女が自らの命を絶ったという現実は
……あまりにも辛過ぎる物だったのだ。
だから、他者から見れば、仕方ない反応だったと評価してすむかもしれない。
しかし、祐一はこのとき、思考を止めていたことを今、心底悔やんでいる。
いや、こんな状態にいた自分が憎くすら思えてしまっている。
その理由は、自分の心に呼びかけてくれていた少女に気づいてやれなかったから…。
この時、祐一の側には一人の少女が存在していた。
うさぎの耳のついたカチューシャをつけていたその少女は懸命に祐一の心に呼びかけていた。
少女は彼の力をかりて舞の一命をとりとめる術を持っていた。
だからこそ懸命に彼の心に呼びかけていたのだ。
しかし、彼の心に少女は入ることが出来なかった。
彼の心に溢れていた辛さは、彼の心に触れようとした少女にさえ心に痛みを覚えるものだった。
無理をすることができるなら、その痛みに耐えて彼の心の内にある舞への思いを経由して心に入ることも出来たかもしれない。
しかし、存在が消えかかっていたこの少女には、彼の心を覆っていた暗闇は大きすぎる障害だった。
それでも少女は、可能な限り、何度も懸命に祐一の心に呼びかけた。
だが、彼が少女の声に気づいたころには既に……全てが遅かった。
少女の持っていた舞を救う術も、舞が死に時間がたちすぎた状態では使うことが出来なかったから。
それを知った時の祐一の心に宿った後悔は並大抵のものではなかった。
自分をこれ以上ないくらいまでに憎み、床に何度もその拳を叩きつけながら、泣いていた。
少女はそんな祐一を悲しそうに見つめながら、彼女もまた涙を流していた。
そして……少女はその姿を少しずつ闇にとけさせていく。
もはや叶わぬ夢――舞と共に歩む幸せを心に描きながら、
せめて残った大好きな祐一には不幸にならないで欲しいと言うことばを笑顔と共に最後に残して……彼女は消えていく。
少女の名は“まい”、十年の長きに渡り、魔物と呼ばれ舞と戦い続けなければならなかった舞の半身。
(まい……俺は今度こそ、舞とお前の二人を不幸になんかさせたりしないからな!)
かつて自分が失わせてしまった可能性を思い出したとき、祐一は舞だけでなく、あの時ずっと心に呼びかけてくれていた少女――過去に彼との別れの際に舞が
拒絶してしまった力の表れ――まい――彼女のことも深く心に呼び起こされ、今度こそ二人を救いたいと言う強い思いが祐一の心には浮かぶ。
(……だけど、本当に俺にできるんだろうか?)
しかし、その気持ちとは相反するかのような気持ちも祐一の心に浮かぶ。
その気持ちが、自分は二人を絶対に救うことが出来るという自信を今ひとつ彼に持たせてくれない。
一度舞を救う可能性を潰してしまった自分が、果たして本当に彼女たちを救えるのか?
あの時のことを思い出したことで、祐一はそんな疑問が心に浮かんでいたのだ。
彼の心には今、そんな小さな迷いが生まれてしまっていた。
しかし、そんな彼を助けるかのように、ふと……声が聞こえてくる。
――大丈夫――
――祐一ならできるよ――
――舞にとって…祐一は特別だから――
(!? まい…なのか? ……まい、本当に…本当にそう思ってくれるのか?)
――もちろんだよ、祐一――
(……ありがとう、まい)
心に直接響いてきた声に驚かされながらも、祐一は自然と心の中で会話を交わしていた。
聞こえてきたその声に秘められた優しさは、その優しさに包まれたら、自然と自分の中の弱さをみせてしまうようなあたたかさを持つものだった。
そして、声に秘められたそのあたたかな優しさが祐一の中に生まれた迷いを徐々に振り払っていく。
(……もしかすると俺がここにいられるのも、天野、あゆ、時の番人のおかげだけじゃ…ないのかもしれないな)
そうやって聞こえてきた声が祐一の心の迷いを取り払っていくにつれ、彼の心は軽くなっていき、ふと思うところがでてきた。
これから初めて会うはずなのに、この声はこんなにも自分をあたたかく包んでくれている。
それはまるで自分を良く知っているかのようだった。
だから、もしかしすると、舞たちのあの強く願えばその願いが叶う力も、自分たちの時渡りを助けてくれたのではないだろうか。
なんとなく彼はそう思ったのだ。
もしそうならば、余計にがんばりたい。
彼は迷いのない瞳で前を見据えながら、意識を回想から現実へと戻す。
そうして再び意識を現実に戻した彼の瞳に映ってきたのは、一面に広がった美しい麦畑だった。
「あ…」
祐一の取り戻した記憶と同じように、麦畑の中から一人の綺麗な黒髪を持つ少女が現れる。
以前は突然視界に現れた女の子に驚いたものだが、今度は祐一もむしろ期待していたのであり、あまり驚くことはない。
そんな悪くない反応を少年がしてくれたためか、女の子――舞も祐一の記憶にあるように恐る恐る話しかけるのではなく、少しだけ期待を持ちながら話しかけようとしている。
自分の中の力が教えてくれたように、今まで自分の力を怖れた人たちとは違い、この人が自分の力を怖がらず自分を受け入れてくれる人であることを願って――
「君、遊びに来たの? ここに」 『やっときてくれたね』
「……舞(まい)」
――そんな期待を裏に秘めながら、舞は祐一に質問する。
だが、舞には聞こえていないようだが、祐一の耳、正確に言えば心には舞の声だけでなくもう一つの声も聞こえていた。
舞の力――まいの声が。
二つの声を聞いた祐一は、本来ならまだ知るはずもない二人の名を自然と声に漏らしてしまっていた。
その様は、感極まっていると言っていいほどに我を失っているかのような様子だった。
「えっ!? なんで……あたしの名前を?」 『祐一……』
当然まだ教えていないはずの名前を少年に呼ばれて舞は驚く。
対してまいは祐一の心を直接感じ、彼の心のうちを察している。
祐一の心には、今、狂おしいまでの感情が溢れていた。
一度自分の腕の中で息絶えた大切な少女が今、自分の目の前にいる。
そして、これは夢でも幻でもない。
このような状況に立たされれば、正気でいることのほうが難しいと言えるかもしれない。
嬉しさや愛しさ、他にも言葉では言い尽くせないほどのその自分の中から溢れ出る思いが祐一を支配していってしまう。
そのため、彼女の顔を見た次の瞬間には考えていたことも何もかも吹き飛んでしまい、自分の気持ちを抑えることが出来なかったのだろう。
舞の質問に答えることもなく、彼は舞を咄嗟に抱きしめてしまっていた。
「…えっ? !? あ…えと、あの…な、なにを…?」 『い、いきなり恥ずかしいよ、ゆ、祐一』
だが、会ったばかりの男の子に抱きしめられたら、当然取り乱すだろう。
もちろん舞も驚き、取り乱していた。
しかし、そんな状況にもかかわらず、戸惑ってはいるが不思議と嫌がっていない自分があることに舞は驚きを感じていた。
それはこの少年が自分が望んでいた全てを受け入れてくれる人かもしれないという気持ちも関係していたのかもしれないが、この場合、舞の中にある力が大きく関係していたのかもしれない。
事実、まいの方は恥ずかしがりつつも嬉しそうであるのだから。
「……舞! 俺は、たとえお前がどんな力を持っていても決して離れたりはしない! 避けたり、怖がったりなんて絶対に…絶対にしない!
それにもう二度と……忘れたりなんてするもんか!!!」
「……なにを……いっているの?」 『……うん、ありがとう。祐一』
そして、いきなり少年が叫びだしたので更に舞は驚く。
何がなんだかさっぱり分からない。
だが、言葉の内容を深く考えると、もしこの少年がこの先、自分と友達になってそう言ってくれたならどんなに嬉しいかと思っていた類のものではあった。
それだけに舞は余計に何が起こっているかわからなかったし、なんとなく嫌とも言えず困っていた。
と同時に、何故かはわからないが、自分の中にある力は何か喜んでいると感じた舞はますます混乱していた。
「よし! 舞! いっしょにいっぱい遊ぶぞぉぉぉ!!!」
「うぅ、唐突すぎるよ……」 『ゆ、祐一……』
しかし、さすがにここまで暴走してしまうと行き過ぎか……舞だけでなくまいもまた唐突すぎる彼にあきれていた。
舞と再会できたあまりの嬉しさに、祐一は段取りと言った考えは全てかなぐり捨ててしまったようである。
「何だ? 舞はいっしょに遊びたくないのか? そんなの酷いぞ〜」
「そ、そういうわけじゃないけど…で、でも――」
「じゃあ、何の問題もないな。うんうん」
心底心外そうに返答する祐一に対して舞はますます困っていた。
実際のところ、一緒に遊ぼうと言う言葉は自分が言いたかった言葉なので、嫌ではないだけに余計に困っていた。
祐一の方は祐一の方で、まだ正気に戻っているとは言いがたい様子である。
「そ、そうじゃなくて、まず…どうしてあたしのことを知っているの?」
(…………やばっ!)
舞はこんな状況になるとは思っていなかったので、まだ困っていながらもとりあえず順序良く行こうとなんとか頑張っている。
そして、舞の言葉を聞いて、祐一はやっと正気に戻ったらしい。
彼は、自分のあまりにも感情的な行動に冷や汗を感じていた。
「いやっ! そ、その……あれだ。そ、そう!! 舞は不思議な力を持っているよな?」
「……!」
「い、いや、そんなにびっくりしなくてもいいぞ! 俺は不思議だとは思うけど、全然怖くなんて思わないしな。舞の力は」
「そうなの…?」
「おお、もちろんだ。それとな、なんと俺は舞のその力と話すことが出来るんだ! それで舞と会う前に舞のことを聞いていたんだよ。うん」
「そうなの? すごいよっ、君」 『……苦しい言い訳だね。祐一』
かなりあたふたしながら、祐一は言いつくろっている。
いきなりの力のことを話したあたり、その混乱振りがうかがえよう。
だがとりあえず、舞を知っていた理由に結びつけることは出来たようだ。
多少は変に思っているものの、力を怖れてないのはなんとなく態度からもわかったので、それが嬉しかったこともあり、祐一の言葉を舞は信じてくれたようである。
とは言え…当たっていない訳ではないが、あまりにも苦しい言い訳であった。
舞が純粋で祐一も助かったと言ったところか。
さすがにまいのほうにはあきれられているようだが……。
「でっ、でも自己紹介は大切だな。よし! ちゃんとやろう。俺は相沢祐一。よろしくな」
「うん、あたしは…川澄 舞。……祐一くん?」
「祐一でいい。俺はすでに言ってる通り、舞と呼ぶしな」
「そう…なら、そう呼ぶね。それじゃあ、何をしてあそぼうか…?」
「ふっ、このような場所でかくれんぼをせずして何をする?」
祐一は妙に明るい態度でごまかしながらも、何とか舞と遊び始めることが出来たようだ。
そしてこの日、二人は時間の許す限り遊んでいく。
「じゃあ、今日はここで解散だ」
「……うん。 …また…明日も来てくれる?」
「もちろんだ! 台風が来ようが、槍が降ろうが来てやる!」
「そんな日じゃ遊べないよ……」
「それもそうか、あはは」
「くす……面白いね。祐一は」
こんな会話をしながら、二人は次の日もそして次の日も遊んでいく。
そして、そんなある日
「いっ!? 舞が二人いる!?」
「えっ!?」
「ふふふ」
今日も遊ぼうと祐一と舞は待ち合わせをしていた。
そして、祐一が麦畑に訪れた時、舞だけでなく、うさぎの耳のついたカチューシャをつけた舞とそっくりの少女が彼の目には映ったのである。
自分の力が他の人にも見えるような明確な姿になっていたとは気付かなかったのか、舞は困惑している。
そのため、舞は恐る恐る自分とそっくりな少女に声をかけ始める。
「どうして……出て来るの?」
「だって舞だけなんてずるいよ。祐一と遊ぶなんて! あたしも遊びたい!」
「そ、そんなこと…言われても……」
「……だめ…かな。まだ……うけいれてはくれないかな?」
「それは――」
チラッと舞は祐一の方を見る。
この力のために、もし祐一に嫌われてしまったとしたらと考えると……とてつもない恐怖を彼女は感じてしまう。
だから気になる彼のほうを見てみたのだ。
さて、向いた先の彼はというと――
「くっ、これから鬼ごっこも追加しようって時に二対一とは……卑怯だぞ!!!」
――舞の心配には関係なく……なんか一人で勝手に盛り上がっていた。
「女の子だから、いいんだよぉー!!」
「むむ! そう来るか! だが負けないぞ!!」
そして、まいもまた祐一にあわせてずいぶんと盛り上がって彼と張り合っている。
(は、はは……変な人なのかなあ……祐一は。でもこの人となら、あたしは…自分の力を好きになれるかもしれない)
そんな二人を呆然と見つめながら、舞は心の中でこんなことを考えていた。
自分の危惧があまりにも馬鹿なものだったように振舞ってくれる祐一に関しては、少しだけ呆れてしまっているようである。
だが、同時に彼女は全てを受け入れてくれるかのような祐一のその態度がとてもうれしかった。
そしてそのあたたかな気持ちが、彼女の心を軽くしていくのだった。
さて、その遊んでいる途中にて――
「ところで……え〜となんて呼べばいいのか…わからないけど……」
「どうしたの? 舞? あ、あたしのことかな? う〜ん、あたしは舞でもあるんだからどう呼んでくれてもいいけど、祐一はまいって言ってるから、同じでいいんじゃないのかな?」
「自分を呼んでるみたいで変な感じだけど……まあ、いいかな。それより、その頭につけてるのは…何? 今まではそんなものなかった気がするんだけど?」
「あっ、これ? ふふふ、その答えは祐一に任せよう♪」
「おいおい……まあ、確かにそいつは俺が今日舞に渡そうと思ってたものと同じだからかまわんが……実は舞に今日はプレゼントがあったんだ。さっきは舞が二人いたことで驚いて渡しそびれたんだ。すまんが、目を閉じてくれ」
「…こう?」
祐一はまいの言い様に少し呆れつつも、持ってきていた手提げに入っているうさ耳付きのカチューシャを取り出しながら、舞に目を瞑らせる。
そうしてから、彼は記憶と同じように舞の頭にそのカチューシャをつけてあげるのだった。
「よし、目を開けていいぞ」
「……もういいの? ……あ…」
目をつぶっているのは少しだけ不安だったが、祐一の言うことなので素直に目をつぶっていた舞。
そして、目を開けたとき、うさぎの耳が見えたので彼女は顔をほころばせる。
どうやらまいのカチューシャを見ていて、自分もつけてみたいと内心思っていたらしい。
「おそろいだね。舞。へへ、実は今日は祐一がこれを渡すとわかってたから先につけちゃってたんだ。あたしたち、ウサギさん大好きだもんね♪」
「うん、動物は全部好きだけど…ウサギさんがいちばん大好き。 …祐一、ありがとう」
「ああ、気に入ってもらえたようでよかった。だけど、それは俺と鬼ごっこやかくれんぼで遊ぶ時だけつけてくるか? 実はそいつは遊びの時だけ持ってくると楽しくなる魔法のアイテムなんだ!」
「そうなの? じゃあ…そうするね」
過去に祐一がこれを舞にあげた理由は、運動能力が自分より高い彼女とのかくれんぼや鬼ごっこの勝負を少しでも有利にさせるため。
とは言え、効果はなかったわけだが。
それでも祐一が今回も舞にこのカチューシャをあげたのは彼女のかわいらしい姿を見たいと言う気持ちや、思い出を再現したい気持ちなどいろいろな理由があったようだ。
ただ、さすがにいつもつけるようなカチューシャではないため祐一は念を押しておく。
舞は生来の純粋さに加え、年齢の幼さ、そして信じ始めている祐一の言うことだからと彼の言葉を信じたようだ。
(祐一、どうしてそんなことを言うの?)
(ああ、舞にこいつをあげたかったのは確かだが、さすがに他の人がいる前でこれをつけられたら見る人がびっくりするだろうからな)
(そんなものなのかなあ?)
(そんなものだ)
しかし、まいには疑問を感じる発言だったので心で祐一に尋ねたわけだが、返答を聞いてもあまり納得はしていない様子。
少々一般的な感覚とはずれているまいに苦笑しながら祐一は心で言葉を返すのであった。
(ウサギさん…♪)
(ふふ、舞、楽しそう)
(……ちょっとうれしすぎるくらいだぞ…またこうすることが出来るなんてな)
舞はカチューシャが気に入ったのか上機嫌で麦畑の中を駆け回っている。
あの後、まいにはしばらく疑問が残っていたようだが、舞の様子を見て嬉しく思い、いつの間にか遊びに夢中になっていた。
もちろん祐一も、そんな二人を見て嬉しくないわけがなく、実に楽しいひと時を過ごしていった。
そして、しばらくして――
「まさか、寝ちまうとはな」
舞は遊びつかれて麦畑の中で寝てしまっていた。
なかなか麦畑の中から見つからないと思ったらこういう理由だったので祐一は苦笑している。
どうやら祐一は本来より体力を上げているらしい。
恐らく、時間を大切にする機会が多くなるだろうと考え、彼はそういった秘術も体得しているのかもしれない。
「舞はうれしかったんだよ。だから、はしゃぎすぎちゃったんだ」
実際舞はとても幸せそうな寝顔だった。
それに遊んでいる最中も本当にうれしそうな表情をしていた。
舞と通じているまいが言うまでもなく、ただその様子だけでも舞がうれしかったことはよく分かるだろう。
「そういうお前は疲れてないのか? まい」
「あたしは、肉体があるわけじゃないからね……」
「そう……か。ごめんな。でもこうして遊べてよかったな」
「うんっ!」
ちょっとだけ複雑そうな表情を浮かべて祐一の質問に答えるまい。
余計なことを言ってしまった気がして、彼はすまなそうな表情を浮かべながら、話を変えた。
まいは気にしないでとばかりに微笑みを浮かべてくれている。
「だけど、こうして一緒に遊べられたのも祐一のおかげかな?」
「へ? どういうことだ?」
「あたしと言う力を含めて、受け入れてくれている祐一が側にいてくれるから、舞もあたしの存在を素直に受け入れてくれてるのかもしれないから」
「そうか…」
「だから、祐一以外には多分あたしの姿は見えないのかな?」
「ふむ、そのあたりは俺の見つけた術でまいの希望通りに出来ると思うが、まずはその前に聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「うん、いいよ」
「もしかして、まいは未来のことを全て知っているのか…?」
「うん、全部覚えてるよ…」
「やはりそうか、だけど、何故だかはわかるか? 俺としてはお前たちの力が関係してるとは思うが……」
「……正確なところはあたしにもわからない。あの時、あたしは闇に少しずつ消えていったように、もう舞の力はあたしにもほとんど残っていなかった。だから……舞を助けることができなかっ――」
「すまない! ……あの時、俺がしっかりしていれば……っ!」
まいの悲しげな表情で呟くのを見て、祐一はいたたまれない気持ちになっていた。
あの時の事を悔やみ、唇をかみながらまいに謝る祐一。
そんな彼の表情は自分自身を憎んでいるような暗い表情だった。
ポカ ポカ
「まい……?」
祐一のその表情を見たまいは、何度も…何度も、その小さい手で彼を叩いていた。
そうしながら、本当に悲しそうな表情を浮かべ、少しずつ彼女は寄り添うように祐一に近づいていく。
祐一はそんな少女の様子に戸惑いながら、ただ呆然と彼女を受け止めていく。
「……あたしも舞も、祐一が好きだよ…祐一は舞の最後の言葉もあたしの最後の願いも忘れちゃったの……?」
「忘れられるわけ…ないじゃないか」
「…だったら、そんな顔をしないで……祐一。あたしの願いも……舞の思い出も、祐一の笑顔がなきゃ、存在できないんだよ」
「まい…」
「あたしは、祐一に笑顔でいてほしい…よ…」
「……すまん」
あの時、祐一が自分の声に気づいてくれなかったこと――それはまいも確かに悲しかった。
でも、彼の思考に暗雲をもたらしていた辛すぎる現実も、拳と心を痛めつけていたあのときの祐一の気持ちも、直接彼の心を感じていた彼女には痛いほどわかった。
それに、自分も何もできなかったことは変わらないとまいは今は思っている。
だから、祐一が彼自身を憎む気持ちも少しだけわかる。
けれど、祐一に暗い顔でいてほしくないと言う思いの方が何よりもまいの心の中では勝っていた。
自分も舞も祐一が大好き。
だからこそ生じるその思い――それを、涙を流しながら彼女は言葉とその小さな腕で…祐一にぶつけている。
そんなどこまでも優しく純粋な少女の気持ちにあたたかさを覚えながら、すまないと言う気持ちで一杯になった祐一はやさしくまいを抱きしめる。
しばらくその姿勢のまま、二人は共に負った心の傷を癒すかのような時間を過ごしていくのだった。
「…祐一、一度は終わってしまったことでも、今はまたやり直すことが出来る。だから、もう暗くなっちゃだめだよ!」
「ああ、ありがとうな、まい」
「よし!」
涙の後は残しながらも、明るく自分を励ましてくれるまいに祐一は本当に感謝しながら彼女の言葉に頷く。
まいは、祐一の顔からさっきの暗い表情が消えたことを快く思い、ちょっとお姉さんぶりながら微笑む。
「それにしても、本当に不思議だけどね。あたしが消えても、あたしに残ってた最後の力と願いはのこっていたのかもしれないけど……よくはわからないや」
「そうか……恐らくそんなところだと俺も思う。正確なところはわからんが…」
そして、落ち着いてきたまいは、自分の身に起こったことを不思議に思い、小首をかしげながら呟いていく。
祐一の方もよくはわからなかった。
時の番人は何も教えてくれなかったしと思いつつ、一応少しは考えてみる。
恐らく、あゆの願いの力同様、舞たちの力も、その願った力自体はかすかにまだ残っていたのかもしれないと彼も思う。
そして、あゆが再び願ったとき、自分や天野の思いすらもあゆの願いの力は取り込んだはず。
ならば、まいの願いの力があゆの力に同調したと考えるのが自然かなと言う結論に祐一は達していた。
もともと、まいは力そのものが具現化した姿。
力が時を遡ったのなら記憶なども遡ることが出来たんだろうと彼は思った。
とはいえ、はっきりとした確証はもてなかったが。
「まあ、これ以上考えても答えはでそうにもないか…」
「そうだね。でも、本当にびっくりしたよ〜気がついたら舞と一緒にこの麦畑にいるし、なんか前よりあたしの意識がある気がするし…」
「確かにそりゃあ、びっくりするだろうなあ」
尤も、彼はどういう経緯であっても、さしあたってそんなに気にしてはいなかったりする。
少々時の間での勉学の時間が長かったこともあり、つい癖になってしまっているのか、考えてしまったに過ぎなかったらしい。
実際、どんな理由であれ、まいに会えたことの方が彼はうれしいのだ。
そのことを楽しむかのように、まいの正直にびっくりしている様子を納得しながら、彼は微笑みを浮かべて彼女を見ていた。
「さてと、じゃあ、話を戻すか。まい、お前は今後はどうしたい?」
「う〜〜ん。あたしがホイホイ実体化したら舞のためにならないと思う。とりあえずは今のままで、でいいかな? 舞が完全に受け入れてくれるのをこのまま待つよ」
「…そうか」
「祐一、気にしてくれてありがとう。でもあたしは舞と一緒に過ごせるだけでいいんだよ」
「まいはいい子だなあ…。 (なでなで)」
「ゆ、祐一」
ふと、祐一はまいの頭を優しく撫で始める。
対するまいは嫌というわけではないが、突然のことなので驚いた。
「あ、すまん、嫌だったか?」
「そ、そんなことないんだけど、でもほら、一応あたしの方がお姉さんなんだし」
「むむぅ、しかし、なんか自然にこうしてしまうのだ。まあ、俺の精神は半分大人だし♪ よいではないか♪」
「う〜〜ん、なんか複雑だけど………ん」
(なでなで♪)
「……はにゃ〜〜」
確かに今の姿はまいの方がお姉さんなのだが、祐一の精神の大人の部分が、ついまいをかわいいと思ってしまい、子どものように扱ってしまったのだろうか。
まいはちょっと複雑そうだったが、頭をなでられていくうちにだんだんほのぼのとしていっている。
どうやら気持ちよかったらしい。
そして、そんな子どもらしい反応をするまいが面白くて、祐一はしばらく彼女の頭を優しくなで続けるのだった。
「うぅ、一応あたしがお姉さんなのにぃ…」
「はっはっは、まあ、さっきのまい、可愛かったぞ」
「うぅ〜〜〜、恥ずかしいこと言わないでよ、祐一」
「あははは」
「むむぅ、あっ、そういえばさっきは言い忘れたけど、このままでいいって言っても祐一の力にはなるからね」
まいはちょっと恥ずかしかったのか、話題を変えようと早口で話し出す。
「ん? 俺の力に?」
「あたしたちの力が役に立つかもしれないでしょ? それに、何か他の人には話せないような内容でも、あたしを夢ででも呼んでくれればすぐに飛んでいって、相談に乗るよ」
「ありがとうな……まい。だけど、お前たちに無理はさせたくない。今度こそ、お前たちには普通の女の子として過ごしていってもらいたいからな…」
「祐一、優しいね…」
「俺は優しくなんてないさ……それに、俺は――」
「もう、祐一! だからそれは駄目だって言ってるでしょ! これから頑張ればいいんだよ! そんなに暗くなっちゃ駄目だったら!」
「――そう…だな。ありがとうな。まい」
「へへ、うん、どういたしまして。 (祐一は笑顔の方が……あたしはやっぱり好きだよ)」
まいは祐一の感謝と共に浮かべてくれた笑顔を見てうれしく思っていた。
祐一は数々の悲しみを受けたことと自分への無力感にさいなまされたことから、一時、笑顔を失った。
だが、美汐のおかげで彼は少しずつ笑顔を取り戻し始めていた。
そしてここに来て、まいの真摯な気持ちが、祐一の心を更に軽くし、まだまだ影を残しつつもしっかりとした笑顔を見せることが出来るようにさせたようである。
このことが意味するところは、これから先の彼らの歩みの中で表れていくだろう。
それは今は置いておき、現在の彼らの様子に目を向けると、祐一はまいと話が終わった後、眠っている舞に視線を移しだした。
「さてと、この寝てる奴をどうするか。起こすのはかわいそうだし…」
「祐一が舞の家まで運んでいくしかないよ」
「くぅ、やっぱりか…」
「あたしが運んだらまずいでしょ」
「はぁ……道、教えてくれるか?」
「うん。やっぱりやさしいね。祐一」
「これぐらい当然だろう」
「あはは、まあ、よろしくお願いします」
別に嫌と言うわけではないようだが、舞にも困ったものだとでも思っているのだろう。
手のかかる娘を思う父親のような心境に少々なりつつ、眠っている舞を祐一は抱え始める。
まいの方はちょっと祐一にすまないと思いつつ、舞の中へと戻っていく。
そして、彼らは舞の家へと向かうのだった。
そして、その帰り道――
『あっ、いきなり男の子に担がれて帰ったら、お母さん驚くかな?』
舞の中に戻ったまいが、ふと思いついたことがあったようで、祐一の心に直接問いかけていた。
「ふつうは……驚くな」
『でも、お母さんやさしいから大丈夫かな』
「そういう問題か? ……本当に誤解されなきゃいいが」
多少冷や汗をかいている祐一。
高校生の時は時で色々問題もありそうだが、小学生の時であっても喧嘩でもして怪我でも負わせたと誤解されたら嫌であろう。
「……それにしても、人が通らない道だな」
とは言え、自分が運んでいくことは変えるつもりもないので、彼にはどうしようもなかった。
そのため、今はほかの事を考えて気を紛らわせるつもりのようだ。
尤も、祐一としても夕暮れの時間に全く人と会わないというのも不思議な気がしていたのは確かだった。
ただ、人に会ったら会ったでちょっと恥ずかしいものがあるなと、つまり、この場合は助かっている気もしているようである。
『ちょっとだけならあたし一人でも舞の力を使えるからね。人が来ないような空間にしてるの』
「そうか……だが、そうすると、まいだけでこいつを運んでも人に見られる心配はなかったのか?」
『う……さ、さすがに舞を抱えながらじゃ、家まで力がもたないよ』
「そうか、まあ、力仕事をまいにさせるのもなんだし、別にいいんだがな」
まいが舞を抱えて運ぶとなると、他の人に見られて、今後、不測の事態が起こりかねないと思っていただけに祐一はまいの言葉にちょっとだけ疑問を感じた。
そして、何か動揺した感じは受けつつ、彼女の言葉で彼はとりあえず納得している。
実際、ちょっとした疑問に過ぎなかったし、彼が返した言葉どおりの意味に加え、途中で人に会わなくても家についた後、母親との対応などを考えるとやっぱり自分が運んでいった方がいいだろうと彼は思っていたのだ。
ただ――
(…ごめんね、祐一。だって祐一に運んでほしかったんだもん。はにゃ〜祐一の背中あたたかいよ〜。舞、ごめん。独り占めにしちゃって)
(……なんだ? 今、そこはかとなくはめられたような気が……?)
――さすがに舞の体を自分が動かすとなると舞が起きてしまうとは思ったが、力を使いつつ運ぶくらいならなんとかなるらしかった。
もちろん他の理由も踏まえて祐一が運んでくれた方が都合がいいのは確かだったが、現在心で思っていることがまいの正直な理由である。
祐一は自分の背中で至福のオーラを放っている少女に何か感じたのか、少し不思議そうな顔をしている。
(まあ、いいか…)
だが、舞を抱っこしている状況は決して悪い状況でもないし、彼は気にしないように努めたようだ。
それに、背中に感じるあたたかさは、少女が生きていることの証。
なんとなく、やはりそれがうれしくて、祐一は表情を明るくさせる。
だけど――
(……あの時は、とても会える状況じゃなかったから……今回が初めてなんだよな。舞のお母さんに会うのは)
――ふと舞を失った時のことも彼の頭をかすめ、そしてこれから会うだろう舞の母のことを祐一は考えると、やはり彼は心に少し痛みを覚える。
それでも、その痛みにさいなまされるときでは今はないことはわかっているので、祐一は立ち止まらずに歩く。
かつて……ありえなかった出会いに向かって。