雪解け
この街にも、春が訪れようとしていた
美汐と夕菜の一件から二ヶ月の月日が流れていた。
学校が春休みに入って間もないような時期。
そのため、この街と言えど今は駅の中ではそれなりの旅行客が行き来している。
そんな人の流れの中から、この街についたばかりの一組の親子が駅の外へ出た。
「そういえば、この街に来るのも何回目だっけ? 母さん」
「うーん、結構来たもんねえ、誰かさんが熱心だし、くっくっく」
「母上、その笑いはなんですかな?」
「別にー♪」
「はぁ…」
絶対何か意味が含んであるだろう笑みを浮かべる母を見て、祐一は溜息をつく。
彼には母の考えが未だに把握できないので、余計に不安だった。
そんな困っている祐一を、楽しそうに見つめている困ったお母さん――相沢一葉。
息子の恋路で遊ぶのは楽しいし、大体息子自身はいつ色恋沙汰に目覚めるのか、それを見極めるのもまた面白い。
そんな訳で邪笑を浮かべていたが、来るのは何回目だろうかという息子の問を今になって振り返って少し表情が暗くなる。
「でも、さすがに、今回は予定にいれてなかったわね。あの人は春は忙しいし」
「ごめん……母さん」
「おおっと、いいのいいの、頼れって言ったのは母さんだし」
祐一の申し訳なさそうな声に、慌てて一葉はなんでもないと表情を戻す。
そして、失言だったと心の中で落ち込む。
責めるつもりはなかったのよ――と。
確かに、春は祐一の父――祐喜の仕事上、決算などで忙しくて、妻の一葉としてもここに来る余裕はあまりないはずだった。
しかし、そのように状況的に厳しくて、つい彼女は表情を暗くしたのではない。
彼女が表情を暗くした理由は別にある。
(失敗、失敗……けど、あんな表情は、見たくなかったわね……)
彼女の表情が暗くなった理由は、とある祐一の表情を思い出したから。
その表情とは、祐一が一葉たちにこの街へ連れて行ってくれと願い出たときのもの。
時期が時期なだけに、一葉と祐喜が少し難しい表情を見せたあの時の祐一の表情が、一葉の心を狂わせる。
あれは、絶望と言うべきなのだろうかと、一葉は思い出すだけで胸が痛くなる。
一瞬、ほんの一瞬のことだったのだが、一葉達がどうしようか悩んだ時に祐一は、自分の内にある暗き思いを表情に出してしまったのだ。
もちろん、あの冬の秋子と同じように、見ていたのが、鋭い感覚を持つこの両親だったから見過ごさなかったのだが。
祐一の表情に表れた暗き思い。
それは――自分は助けに行くことができないのか――つまり、自分には何もできないと思う辛さと絶望感から来る思い。
確かに、祐一にとっては絶望というにふさわしい思いである。
無論、何もできないというには早すぎることは、祐一もわかっている。
自分の願いが厳しい頼みごとであることも分かっていたし、駄目でも頼み倒すつもりもあったし、どうしても駄目な場合の対策も考えていた。
九歳では少し、乗り継ぎも多い一人旅は不安という一葉たちの考えに面倒がないように沿ってきたが、なんとか一人で行くことを許してもらうとか。
美汐と協力してなんとか頑張るなど、とにかく、対策がないわけではなく、今までと同じく強い意志はあった。
けれど、美汐の件で何かが出来たことを嬉しく思ったばかりだったからか、少し心に油断……いや、悪夢が再び起こることへの恐怖が彼の中を掠めたのだろう。
だから、祐一は一瞬だけ、マイナス思考に陥ってしまったのだ。
だが、その一瞬こそ、一葉にとっては衝撃的なものだったのである。
(本当に……何があったの、祐一……?)
祐一の心にある深き闇を見つけてしまった一葉は、本当に言い知れぬ不安で押しつぶされそうになった。
だからこそ、一も二もなく、一葉は祐一をこの街に連れてきたのである。
彼女は息子をからかうことは好きだ。
しかし、息子が傷つき悲しむのは大嫌いな、彼の母親なのである。
「……とりあえず、秋子のところに行こうか、祐一」
「ああ」
けれど、彼女の不安が取り除かれるのは、もう少し先……。