時をこえる思い 第二十一話 龍牙作

「束の間の奇跡が終わる時」 






















夢の終わりも近い
















「う……ん」


 ここは美汐とあの少女が寝かされている部屋。

 あれから少し時間もたったようで、美汐も目を覚まし始めているようだ。


「……あ…れ……ここは。……そうでした。確か私は――」


 そして、目覚めてすぐは状況がよく把握できてない様子の美汐。

 しかし、ふと横に寝かされている少女が目に映ったとき、どうやら意識もはっきりしてきたのも手伝って、状況がわかったようだ。


「……不思議ですね。よくよく見ますと、少し私に似ているような気がします」


 自分の今の状況の原因となった少女。

 髪につけていたリボンのことも含めて、やはり気になってしまったのか、美汐は少女をつい見つめてしまう。

 そして、知らない少女であるはずなのだけれど、またしても自分との繋がりを見つけた気がしてとても不思議な気持ちになり、ポツリと独り言を美汐はもらす。

 実際、この少女はどこか美汐に似ているものを感じさせる。

 どちらかといえば大人びた雰囲気のある美汐を、もう少しあどけなくさせれば、ちょうどこんな感じになるのではないかという顔かたちと言えるくらいである。


(……あ、あまり繁々と見つめるのも失礼ですよね。そう言えばお腹をすかせているようでしたから、お婆様と一緒に何か作ってきてあげましょう)


 さて、気になってついついまじまじと少女を見つめていた自分を恥ずかしく思ったのか、美汐は少し目を泳がせる。

 そして、端とこの少女が気絶している原因でもあるのだろうことを思い出し、少し微笑みながら美汐は布団から起き上がった。

 いろいろ少女に聞きたい事はあるのだろうが、まずは落ち着いてもらうのが先でしょうと彼女は判断したようだ。








「お婆様、どちらでしょうかー?」


「……おお、起きたようじゃな」

「そのようですね。はい、こちらですよ。美汐さん」


 寝かされいた部屋から出た美汐は祖母がどこにいるか探しながら、縁側の廊下を歩いていた。

 そんな彼女の声に気づいたらしく、玄関から居間に移って神妙な面持ちで今後のことを相談していた竜人たちは、表情を落ち着かせてから孫を呼ぶ。

 少し間があってから、おとなしげな足音が聞こえてきて、美汐が居間に入ってきた。


「こちらでしたか、お婆様。あ、隆景先生もご一緒なのですね。こんにちは、先生」

「うむ、邪魔しているであるよ」

「夕菜のときは大変お世話になりました」

「なんの、拙者の仕事であるよ。動物を助けるのは」

「クスッ、それもそうですか」


 部屋に入り、隆景の存在に気づいた美汐は、穏やかな微笑みを浮かべながら丁寧にお辞儀をして挨拶とお礼を述べている。

 相変わらず、年齢にあわぬほど行儀の良い美汐を見て、内心苦笑が浮かびそうになりつつも、見ていて微笑ましい気持ちが強いので、隆景も穏やかに微笑み返して会話を進める。

 隆景も美汐も互いに祖父と孫の関係のように親しみを感じている間なので、お互い嬉しそうに会話を交わしている。

 ただ今回は――


(本当に……の)


 ――命を救うことが自分の仕事、その言葉を隆景は表情には出さないが悲痛な気持ちで心の中でかみ締めていた。

 特に、自分にとっても孫といえるような美汐の穏やかな笑みを見ていると、この子のこの表情が悲しみに彩られないようにしなければいけないという気持ちもまた強くなる。

 美汐に心配かけまいと表面上は終始穏やかなままであったが、隆景の心ではそんな深い思いが高まっていた。


「あ、その……お婆様? あの子、どうやらお腹をすかせているようですので、何かを作ってあげておきたいのですが……話はそれからすることにしてはいけないでしょうか?」

「いえいえ、それでかまいませんよ。では、お台所に参りましょうか、美汐さん」

「あ、はい」


 隆景と一通り会話を交わした美汐は、祖母へと体を向け、少し困ったように用件を話した。

 人としてそうすることが正しいとはもちろん思っているのだが、むしろ邪険にしたくないという気持ちのほうが強い自分の気持ちがよくわからないこともあってか、美汐も、この対応は普通なのかと少し疑問を感じているらしい。

 あの子に不思議なつながりを感じて戸惑っているのだろうと察した美里は、優しく微笑んでから立ち上がって美汐をつれていく。

 美汐は対応の早い祖母に少し驚きながらも、祖母について行く。

 道中、何も聞かれないことを不思議には思いながら、あの子のことを聞かれないほうが助かりもするので美汐も気にしないことにしたようだ。



 二人が台所に言った後――


「しばし、最悪の事態など忘れよう、のう、隆」

「そうであるな、拙者たちが暗い顔をしていてば、あの子達も変に思うであろうしな」


 心の奥ではその暗い思いを抱えるままだとしても……二人の少女のために二人は覚悟を決めていた。







 そして、美里たちの料理が出来上がるくらい時間が経ったころ、あの少女もまた目を覚ましていた。


「くんくん。おいしそうなにおい……」 

 
 よほどお腹がすいていたのか、目覚めてすぐの意識はこの部屋に向かってくるおいしそうなにおいに向かっているようだ。

 小動物のようににおいにつられている姿は、なかなか微笑ましく目に映るものと言えよう。

 ただ、妙にその仕草がしっくりきすぎているので、不思議だなあと見る人によっては感じるかもしれない。


「あら、起きていましたか。ちょうどよかったですね」

「あ、美汐〜〜〜」


 さて、少女が感じていたとおり、料理――つまりそれを運んでいる美汐が少女の寝ている部屋にそれほど間もなく到着した。

 お盆を一度床に置き、襖を行儀良く開けて部屋の中の様子を見た美汐は、少女が目を覚ましていることに気付いて微笑む。

 そして、それを迎える少女の方はというと、今までにおいに気をとられていたが、美汐の姿を確認すると、今度は意識は全て美汐に向かったのか、抱きつこうと飛び出そうとしていた。


「あ、危ないですよ。食器を落としてしまいます。話はちゃんと聞いてあげますから、落ち着いてください、ね」

「あ……ごめんなさい」

(意外と……といっては失礼かもしれないですが、お行儀はいいみたいですね)


 そんな少女を美汐は軽くたしなめた。

 実際、少女を一瞥した後、再び食器類を持ち始めていたところだったので、神社の階段のように抱きつかれたら悲惨な状況になるのは目に見えていた。

 しかし、階段でのことを振り返るに、問答無用で抱き疲れる未来も美汐の頭の中を掠めていた。

 そんなわけで、美汐の言葉を聞いてすぐにシュンとなり、謝ってきた少女の反応は美汐にとっては少し予想外のことだったようである。


「あ、怒ったわけではないですからね。そんなに気にしないでください」

「……はい♪」

「クスッ、あと、お腹すいているのでしょう? まずは、どうぞ、召し上がってください」

「わー、ありがとうございます。いただきます」


 さて、少女の態度を良く見ると、どこか叱られて気落ちしているようにも感じた美汐は、先ほどの自分の思考を相手に対して失礼とも感じたことも手伝って、優しく微笑みかける。

 そんな美汐の言葉と微笑みで気を取り直したのか、少女の表情はパッと明るいものに変わった。

 その変わり様がとても微笑ましかったので、美汐は笑みをこぼしながら、当初の目的どおり少女に料理を勧めていくのだった。


「はぐはぐはぐ」

「クスッ、よほどお腹がすいていたのですね」

「はい。あの……おかわりしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、かまいませんよ」


 とてもうれしそうに料理を受け取ってから、本当においしそうに食べる少女を見て、美汐はさらに笑みをこぼしていく。

 少女の方は、美汐に様子を見られて少し照れているようであるが、やっぱりお腹はすいているらしく恥ずかしそうにお茶碗を美汐のほうに差し出す。

 美汐は快くそれを受け取って、またご飯をよそってあげるのだった。

 ……しかし、これは本当に八歳とそれより下であろう少女のママゴトでもない普通の会話であろうか?

 部屋に入りそびれた大人たち三人のうち、二人はそんな疑問を持ちながら様子を伺っている。


「さて、落ち着きましたか?」

「はい、ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」


 しばらくして少女はお腹一杯になったようであり、食器を片付け、いよいよ話を進めようという段階へと時間は移りつつあった。

 ただし、その前に少女はご飯のお礼を述べ、美汐はそれに応える。

 もちろん二人とも正座して丁寧にお辞儀している。

 ……邪魔しては悪い雰囲気だったので、やはり部屋の外から見守っていた二人のご老人は、やっぱり何か不思議なものを見ている気分だった。

 お飯事の中で普通の女の子がしているような、あるいは行儀正しくしようと幼子が片言っぽくなってしまうようなものはなく――いや、少女の方は不協和音をバリバリ感じると言えば感じるが――自然体に敬語で日常会話を行っているような八歳と六、七歳の少女たち。

 加えてそんな光景をただ微笑ましそうに見ているご老体も一人いるのも、不思議と言えば不思議であるが。



「さて、話を聞くことにしましょう。まず最初に、あなたはどなたなのです? 私の名前を知っていらっしゃるようですが……私は会ったことはないと思うのですが」

「ごめんなさい。わからないんです」

「え…? わからない、とは?」

「私、何も覚えていないのです」

「記憶喪失……というものなのでしょうか?」

「それ……何?」

(あら?)


 会話を進めている途中、話がややこしそうになってきていたが、それだけでなく、少女の口調が敬語でなくなったことにも美汐は驚いたようだ。

 そういえば、階段の踊り場でも敬語ではなかったと思い当たり、少し美汐は首を傾げる。

 廊下で様子を伺っているご老体も一人首を傾げる。

 残り二人のご老人は、ここまで敬語だったことに何も感じなかったらしいこの二人に対して、むしろ首を傾げたくなっている。

 ……それはそれとして、今まで敬語だっただけにいきなり変わったのは確かに不思議ではあるが、容姿としてはこちらの方が釣り合ってるといえた。

 どうやら、この少女は時として美里や美汐をまねたような敬語と、そうでない年齢相応の言葉遣いに時によって入れ替わるらしい。

 何故そうなのか、美汐は疑問に思ったが、とりあえずそれは置いておき、本題は別にあるだろうと思い直して、改めて口を開く。


「ええとですね、記憶喪失とは、あなたのように何も覚えていないことを言うんです。でも、そうだとしてもなぜ私の名前を知っているのですか?」

「わからない……でも、あなたを見たときとても懐かしい気持ちがしたんです……そしたら美汐って名前が頭に出てきて」

「あなたと会った心当たりは……私にはないのですが……」

「でも…」


 追いすがるような目で美汐を見つめる少女。

 そんな少女の表情にうそは見えなかった。

 感情が高ぶるにつれて言葉遣いも落ち着かなくなってきている様にも感じられ、このまま彼女を追い詰めるようなことを言うのは美汐も気が引けてきた。

 それに、なんとなくこの子を悲しませたくないとも思った美汐は表情を和らげ、一息おいてから口を開く。



「納得しかねることはありますが、私があなたの記憶の手がかりではあるようですね。そういうことなら――」

「思い出すまで、ここにおいて上げるのならわたくしはかまいませんよ。美汐さん」

「――お婆様!?」


 突然きこえてきた第三者の声に美汐は驚いた。

 尤も、急に会話に入ってこられただけでなく、今正に考えていたこと、そしてこれから相談するのが大変であろうことがあっさりと承諾の言葉と共に祖母から持ちかけられたことにも驚いているのだが。


「驚かせてしまったようで、申し訳ありませんね、美汐さん。話し込んでいたものだから、なかなか部屋に入りずらかったものですから」

「あ、いえ、確かに驚きましたが、私もお婆様たちのことを失念していました。申し訳ありません」


 そんな美汐の戸惑った様子を見て、すまなそうにしながら美里は謝る。

 対する美汐も丁寧に受け答え、料理を共に作り、恐らく後から続いてきてくれていた祖母の存在を忘れて、少女との会話に集中していた自分の否にも気付いたようでこちらもお詫びを入れている。


「……なんというか、やっぱり不思議な二人であるな」

「わが家族ながら、確かにのう……」

「はい? どういう意味ですか、竜人さん」

「? 隆景先生、私、何か変なこと言いましたでしょうか?」

「いや、別に良いんじゃ、婆さん」

「いや、気にしないで良いである。美汐ちゃん」

「「?」」


 礼儀正しすぎると言うか、お互い表情は心許しあっていると分かるほど穏やかな優しい表情であるのに、やっていることは「おばあちゃんとかわいい孫」とは少しずれているような二人。

 そんな二人を見て、美里に続いて部屋に入ってきた竜人と隆景はなんとも言えない表情で二人の様子の感想を口に漏らしていた。

 だが、長い付き合いから本人達にとってはこれが自然体であることは竜人たちにはわかりきっているので、わざわざ角を立てる必要もない。

 納得は……できてないかもしれないが、何より、この状況で話をずらすのもよくないと思い、つい漏らしてしまった感想をうやむやにしようと言葉を濁す。


「ク?」


 当然、美汐たちも竜人たちの態度を不思議がっているが、突如として話から取り残された少女はこの光景全体に首をかしげている。

 しかし、何故かこの光景に見覚えがあるような気もして、さらに不思議がっているようだ。



 さて、いくつか四人が言葉を交わした後、自分達の感想で話がずれてしまったことには苦笑を浮かべつつ、竜人たちは納得しかねている美汐たちに本題へと話を移すことが出来た。

 とはいっても、竜人たちが少女をここにおいてあげたいと言う美汐の気持ちには全面的に賛成なのだから、何の問題もなく話は進む。

 むしろ、逆に何の滞りなく話が進むことが、美汐を困惑させているようである。


「……本当によろしいのでしょうか?」

「ええ、美汐さんは、そうしてあげたいのでしょう?」

「それに、立ち聞きするようで悪かったが、その子にとってはお前が手がかりのようじゃしの」

「この手のは専門ではないが、医者としてもしばらくそのほうがよいと思う。もちろん、その方面に詳しい医者は紹介するであるが」

「……ありがとうございます」

「な〜に、美汐の頼み……というか、めったに我侭言ってくれない美汐のお願いじゃ、聞かんと損と言うものじゃ」

「え、あの」

「くく、まあ、それと、孫が増えたみたいでうれしいのじゃよ」

「ふふ……そうでございますわね」

「……本当にありがとうございます。お爺様、お婆様」

「………」


 誰よりも自分を大切に思ってくれている。

 元から大好きな祖父母であるが、今まで以上に気持ちがあたたかくなった美汐は、改めてこの祖父母のことが自分は好きなのだと感じていた。

 さて、当事者であるが、少々蚊帳の外に置かれていた件の少女は、そんな美汐の様子を見て美汐同様にあたたかい気持ちを感じていた。

 自身には良く分からず、また、言葉で表すこともできない心地の良い気持ち。

 もし、少女が記憶を持ち、この気持ちを言葉で表す術をもっていたなら、「ここに、戻ってきてよかった」と言うことができただろう。

 残念ながら……そのように明確に嬉しさを覚えることは出来ない境遇の少女だが、とにかく、何か嬉しさを感じていた。

 だから、状況が良く飲み込めていなくとも、自然と今は自分も感謝の気持ちを表さなければならない。

 そう思い、少女もまた口を開く。

 ただ――


「……ありがとうでございますですわ」

「…はい?」

「あれ……私何か間違ったの? お礼を言ったほうがいいって思ったんだけど」

「いえ、それはいいのですが……」


 ――本当に術(文法)が心もとない少女にとって、感謝の気持ちを素直に表すことは容易ではないのだった。


「その、なんと言いますか、言葉遣いが――」

「変……だったかな?」

「――有体に申せば」

「はぅぅ……難しいよぅ」

「いえ、でも感謝の気持ちが大切ですから、そんなに落ち込まないでください」

「はぅぅ……」

「あの……よしよし」

「ク? ……♪」


 失敗してしまったと戸惑う少女を見て、指摘した美汐は少し責任を感じて落ち着かせようとそっと抱きしめて頭を撫でてみる。

 少女は少し驚きはしたものの、どこか、懐かしく、そしてこの場所に心地よさを感じて擦り寄る。

 咄嗟にとった自分の行動に、我ながらと美汐も驚いているが、なんとなくこうしていると自分もこの子も落ち着く気がしてしばらくそのままでいるのだった。


(そういえば……怪我をしている夕菜さんをよく抱いて散歩していましたね……)

(体…魂…心……まあ、表す言葉はなんでもあるが、どうやら、どこかで……繋がっておるのじゃな)

(見ていて和むであるな……狐の時と変わらず)


 そして、事の推移を見守る形となったご老人三人は優しい表情で二人の少女を見守っていた。

 この光景が示す意味が三人には分かる。

 分かりすぎるがゆえに、儚い気持ちも溢れそうで、三人とも自分達の知る未来を変えたいという気持ちで一杯だった。


(いや、感慨に耽らずに未来を信じよう。しかし、言葉遣いが変とは……婆さんと美汐が混ざったのかのう)


 しかし、優しくも儚い思いに駆られすぎてもいけないと、「今」と言う時をしっかりと進めようと竜人は気持ちを切り替える。

 少し現実に思考が戻ってきたのか、重要かどうかは迷うところであるが、この光景の発端について少し思いつくことがあった。

 砕けた口調は思いがそのまま形になって出た言葉で、気持ちが落ち着いていて考えた言葉は一番良く接していた美汐と美里を見本にして作った言葉といったところなのだろう。

 美里の影響が大きいとはいえ、美汐にも同年代や自分の影響もあるので、微妙に言葉の遣い方が異なる面がある。

 その差が、この子には良く分からず、見本のままに使ってしまったのだろう。


(難儀じゃのう…)


 妙なところで問題が発生したことに竜人は苦笑を浮かべる。

 尤も、この先を考えると、こんな悩みなら、ドンと来いと思える面があることが悲しく思ったが。



「落ち着きましたか?」

「は、はい、ご迷惑をおかけしました」

「ふふ、そう緊張なさらなくていいですよ……え〜とそういえば名前がないと不便ですね。ご自分の名前は思い出せませんか?」

「……う〜〜ん」


 しばらくして、美汐は少女に話しかける。

 やや名残惜しそうにしながら、でも少し恥ずかしくなってきたのか、少女は気を取り直して応える。

 可愛らしいその様子を微笑ましく思いながら、美汐はふと気付いたことがあった。

 名前がないのは確かに不便、だが、少女はすぐに思い出せそうもない様子である。


(ふむ、せっかくじゃ、試してみようかの)


 美汐の問も尤もだと思い、そして、少し思いついたことがあるようで、竜人は一計を案ずる。


「のう、美汐や、こんなときで悪いが実はお前の名前を習字で書いてみたのじゃ、見てくれんか?」

「……お爺様、いきなりどうしたのですか?」

(竜殿……結果オーライになるとはおもうであるが……もう少し)


 一計……なのだろうが、あまりに不自然な一計。

 さすがに美汐も呆れている。

 わが親友ながら、大雑把すぎるのが玉に瑕であるなと、隆景は額を押さえるのであった。


「あれ…? それは……」


 だが、確かに結果オーライとなるであろうことは、少女の反応を見ればわかった。

 ふと少女の頭によぎった光景。

 それは数週間前、美汐が美汐自身の名前の字を書いて見せてくれ、自分にあなたの名前はこの字から名づけたんだと教えてくれている光景。

 無論、狐がわかってくれるとは思っていなかった美汐は試しに言ってみただけだったようだが。

 あまりに頭の中で掠めた時間が一瞬のものだったため、認識はできなかったようだが……一つの言葉だけは浮かんできた。


「夕……菜……」

「!?」

「それがあなたの名前なのですね」

「多分…」

(やはりの…)


 竜人をはじめ、納得げな三人。

 だが、美汐だけは――


(なぜ…あのこと同じ名なのですか……?)


 ――偶然とすれば、あのリボンに続き、あまりに出来すぎている偶然に戸惑っていた。

 同じ名だからといって、狐と少女、何の問題があるだろう。

 頭ではそうも思うが、何かが引っかかる美汐は深く考え込む。

 そんな美汐の動揺は理解できる三人ではあるが、答えを言うわけにもいかない。

 それに答えを知らないで過ごせるのなら、それに越したことはないと先に話し合ったばかりであったから、竜人たちは美汐に悪いとは思いつつ、美汐の疑問を無視して、話を進めていく。
 

「よほど、縁がある名前なのかもしれませんね」

「うむ……そういえばどことなく美汐に似ている子じゃの。どうじゃろ、ここにいる間は美汐の妹ということにしてみては……のう、美汐や」

「うむ、幸い、美汐ちゃんの両親は家に不在がちであったから、幼いので今までは両親と一緒にいたことにすればいいである、どうであろう、美汐ちゃん?」

「え!? ……はい、それはかまいません」

「妹?」

「うむ。これからは、美汐姉さんとでも呼べばいい」

(さすがに、姉上やお姉様とかだと違和感増強であるからな……先手をとったであるな、竜殿)

「美汐姉さん……うん。よろしく、美汐姉さん」

「なんだか、くすっぐったいですね。でもよろしく、…夕菜」

「うん!!!」


 そのこちらまでほほえんでしまうような嬉しそうな笑顔を見て、美汐は難しい顔をしてこの子を邪険に扱ってもいけないと感じて表情を崩す。

 不思議な偶然もあるもの……今はそう思うことにしたようだ。






 その後、美汐と夕菜の二人はお手玉、福笑いなどさまざまなもので遊んだ。

 正月の忙しい時期は、あまり社務所から出られない美汐にとってそれはとても楽しい時間となっていった。

 そうして、しばらくは竜人たちのときと同じように楽しい日々が続いていく……。



「美汐姉さん、どこに行くのでございますか?」

「学校です。休みも終わってしまいましたから……ごめんなさいね、夕菜。遊んであげられなくて」

「ううん、いいの。でもいつ終わるの?」

「三時前くらいですね」

「うん、わかった。行ってらっしゃい、美汐姉さん」

「なるべく、早く帰ってきますからね」

「うん。(えへ、迎えに行っちゃおっと)」

「では、行って参ります」


 最後の夕菜の企みには気付いていないが、表情が明るくなったことには安堵しながら、美汐は学校へと向かう。

 途中、砕けた口調になったことで、寂しさを我慢しているのだなということがわかったので、美汐は少し心配したのだ。

 数日間の中で、夕菜は我慢できる良い子だが、この子は我慢していると簡単に分かる子であるとよくわかった。

 口調が変わることだけでなく、その表情や態度でよく分かる。

 微笑ましく、なんとなく放っておけない気持ちにさせてしまう子。

 本当に自分に妹が出来たような気がして、美汐は不思議な気持ちだった。

 だが、悪い気はしていない。

 それは、彼女の足が自然と早歩きになっていくという仕草に表れていた。



 放課後、学校にて――

 
「美汐姉さん〜〜〜〜」

「え!? 迎えに来てくれたのですか、夕菜?」

「はい! あの……いけなかったかな?」

「ふふ、そんなことはないですよ。むしろ、うれしいです。さあ、一緒に帰りましょう」

「うん!」


 美汐の表情が、本当に嬉しそうな表情だったので、心から笑顔になって夕菜は美汐の手をとって歩いていく。

 そんなに急がなくても良いのにと思いながら、楽しそうに美汐は笑っていた……。






 今日は日曜日――


「わあ〜〜〜、おいしそう。姉さん、でも、これなに?」

「クスッ、ホットケーキって言うの。たまにはこういうものもいいでしょ?」

「うん、へ〜、ホットケーキって言うんだあ」

「夕菜も作ってみる?」

「うん、やってみたいけど…私に出来るのかな?」

「ふふ、大丈夫、私がちゃんと教えてあげるから」

「そっか、うん、姉さんと一緒なら大丈夫だね」

「期待には応えなくちゃね」


 美汐も夕菜も、二人だけで過ごしていくうちに会話が敬語でないときも出来てきていた。

 というのも、もとより感情が不安定な時に砕けやすい夕菜を見て、そういった口調の方が夕菜には話しやすいのではないだろうかと、美汐が最初は恥ずかしそうにしながらも、夕菜と二人だけの時のみ頑張ってみたのである。

 すると、時々学校できかされていた姉妹のような会話になって、なんとなくそれが嬉しくて、美汐は夕菜と二人だけの時頑張ることにした。

 ホットケーキも、学校の友人の話を聞いて思いついたもの。

 美汐は、夕菜との時間がとても楽しく、大切に思っているのだ。

 そして夕菜も、細かいことはわからなくても、美汐が自分のことを大切にしてくれている――それが分かるだけで満面の笑みだった。

 美汐の呼び方も誰に言われるでもなく、ただ「姉さん」に変わったのもその気持ちの表れ。



「こんな言葉遣いの美汐さんもいいかもしれませんね」

「うむ、わしとしてはこの方が子どもらしくて好きなんじゃが」


 美汐にとっては夕菜とだけの秘密の時間ということで、邪魔はしたくないが、しかし見たいということで、竜人と美里は影ながら見守っている。

 なんとか美汐たちにはばれないでいる様子。

 美里としては、お行儀の良い姉妹の会話にこだわりがあるが、この光景を見ていれば、こちらも捨てがたいものですねと素直に思う。

 ただ、竜人に言われると――


「それはそうかもしれませんが……竜人さん。それは暗に、昔のわたくしや、いつもの美汐さんは年よりくさいといっているのですか?」

「そういうわけではないのじゃが……」

「うふふ」


 ――弓を構える美里。

 どうも竜人に言われると悪意を感じて素直になれないらしい。


「負けぬぞ…」


 刀を構える竜人。

 やれやれと思いつつ、結構乗り気。

 ヒュン……キン

 台所は子ども達の憩いの場。

 お庭は戦場。

 そんな光景を見て隆景は呆れつつも、しかし、悲しげに呟く。

「やれやれ、また始まったか……だが、あの二人の、今は気を紛らわしたいという気持ちもわかる。拙者も何かしていなければ耐えられん。このままでは 拙者たちと同じ結果に終わってしまう。この幸せそうな光景が消えてしまうかもしれんのだ。……頼む。この光景をいつまでも続かせてくれ」


 すなわち、神に祈るしかないのが現状。

 光景が幸せであるだけに、隆景たちの心には焦りと不安が着実に刻まれているのだ……。









 そして、運命は変わることはなかった。


「う〜〜ん…」

「しっかり、夕菜!!」

「大丈夫、熱があるだけである……っ」

「……くっ……」


 しかし、これではあの時と同じ、隆景も竜人も歯を食いしばるしかない……。

 そして熱は引く。
 
 次にはあの時と同じく食卓。


「あれ?」

「どうしたの? 夕菜?」

「あの…」

「箸が使えないのですか……? (なぜ? 今まではそんなこと…)」

「はい、ごめんなさい……」

「………いいんじゃよ……。ほれ、スプーンで食べなさい」

「ええ、そうしてください」


 冷静な美汐だったら、祖母たちのいつもと違う様子に困惑していただろう。

 だが、今は美汐も夕菜のことが心配だった。

 いや、その意味では美汐は気づいていたのかもしれない。

 何か歯車が狂い始めていることに……。





「もう潮時じゃな……美汐にすべて話すとしよう」

「……はい」


 何も知らずにこのまま平穏に過ごすことは不可能。

 口惜しい思いで竜人も美里も現実を認めていた。

 ならばせめて、自分達とは違う最後を迎えるためにも、美汐に知ってもらい、そこから活路を見出していく。

 そんな楽観思考はとても無理そうではあったが、自分達と「何か」だけは二人とも変えたかった。






 夕菜が眠りに付いたころ、竜人は美汐を呼んだ。


「すまぬな、こんな夜更けに」

「いえ、でも何の話なのでしょうか…お爺様?」

「……これから話すことはすべてわしらの過去で、現実に起こったことじゃ……よく聞きなさい」

「はい……?」


 そして美汐は全てを知る。


「……そ……ん……な」

「今回もそうなるとは限らん…じゃが……」

「私は……どうしたらいいのですか……お爺様」

「お前は……夕菜の側にいてやりなさい。わしらは、同じことにならんよう全力を尽くすから、わしらと、夕菜を信じて夕菜の側にいるんじゃ、お姉さんなんじゃからの」

「うく……はい」


 知ったからといって何が出来るかはわからない。

 しかし、知らぬがゆえに大切な時間を無駄にすることもありうるし、努力も仕切れなくなるかもしれない。

 それだけは、避けなければならない。

 か弱い孫が泣きそうになりながらも、大切な妹の為に頑張ろうとしている。


(なのに……わしは……なんと無力なのじゃ)


 美汐に頑張ってくれと言外に言っているようなものなのに……今、できることは何一つない。

 それがわかっている竜人は、やり場のない思いで目を閉じるしかなかった。











 そして……ただ時間だけが過ぎ……過去をなぞっていく。


「夕菜……ケーキ…作ろうね。ほら、これをもって」

「ク……」


 美汐は料理道具をかつてのように渡す。

 笑顔を何とか作って、夕菜だけに向かう口調で。

 でも、夕菜は手でそれをつかむことが出来ず、料理道具はそのまま地面に落ちる。


「きゅーー……うく……クゥ」

「うく……しょうがないですね…はい、拾いましょう」


 夕菜は泣いてしまっている。

 美汐は抱きしめ、彼女の頭をなでながら、慰める。

 自分の瞳には大粒の涙を見せながら。


(……もう駄目なのですか)


 夕菜が泣いていなければ、そのまま崩れてしまいそうなほどに、美汐は夕菜を抱きしめていた。









 日に日に、夕菜は人としての意識を失っていく。


「おねがい……姉さんって呼んでみて、夕菜」

「ク……ァウ」

「おねがい!」

「クゥ……ねえ……」

「がんばって!!」

「ねえ……さん……」

「夕菜ぁ〜〜〜〜。うぅっ!」


 それは、最後の力を振り絞ってでた言葉。

 竜人たちのときはなしえなかったこと……それができた。

 しかし……それだけなのだ。

 そのことは美汐自身がよくわかっている。

 美汐はもう泣くことしか出来なかった。

 そして、この三人もまた、その場の二人をただ見つめることしか出来ない。


「なぜじゃ! なぜ、助ける方法が見つからんのじゃ!! 天野家に伝わるものは所詮この程度じゃというのか!!!」

「拙者は…また何も出来ないというのか……こんなことがあってよいと言うのであるか…っ!!」

「また……わたくしは……当てのない助けを求めることしか出来ないというのですか……」


 過去に味わった自分の無力さに対する口惜しさ。

 何十年と生きてきて、また再びこの思いを、それも命よりも大切な子たちのためにすらなにもできないという憤りも合わせて味わうことになってしまった。

 行き場のない思いが、言葉と共にこの場に木霊していた。













 ものみの丘――


「ほら、夕菜ここはあなたと始めて出会った所ですよ」

「ク?」

「覚えていますか? ……あまり穏やかな出会いではなかったのですが」

「きゅ〜ん〜〜〜」

「覚えて…いるんですね。うく…ほら、一度別れたときみたいにリボンを結びなおしてあげます。こっちにいらっしゃい」

「?」

「今度はちゃんと結んであげます。もうあなたは……本当の私の妹なんですから」

「ク♪」

「はい、結び終わりましたよ」

「きゅ〜ん♪」

「う……ほ、ほら、一緒に座りましょう」


 もうそれほど時間もない。

 誰が言うわけでもなく、そのことが分かってしまってきた美汐は、夕菜をここに連れてきていた。

 何のためにここに来たのか……正直にいえばわからない。

 ここなら何かが起こると思ったからか。

 いや、ただ、初めて出会ったこの美しい場所で同じ時を過ごしたかったのか。

 それとも……一度目の別れはもう意味のないものなのだと示すためか。

 いずれにしても、美汐は愛しそうに夕菜を抱きしめながら草原に座る。

 ……祐一と真琴の最後の光景と同じように。



「………」

「眠いんですか? もう少し…我慢してください。お話……しましょうよ、いつも……みたいに」

「………ク?」

「ほら……」

「………」

「うく……ほら」



 何度かの受け答え……それも段々と間が長くなっていく。




 そして




 束の間の奇跡は終わりを告げた。




 ……たった一つのリボンを残して。











「夕……菜………なぜ………なぜ………なぜなんですか!!! なぜ、夕菜が消えなくてはならないんです!!! あの子がなにをしたって言うんですか!!!! こんな……こんなのあんまりじゃないですかぁーーーーーーー!!!!!!」


 美汐はしばらくリボンを手に取り虚空を見つめてから、心のそこから憤りを涙と共に声に出す。

 今まで抑えていたもの、我慢していたものがどんどん決壊していくかのように。


「夕菜………うぅ……うあぁーー!!」


 もはや涙をとめることなど出来ない美汐。


 ……そして……それを見守ることしか出来なかったものたちもまたその涙を止めることは出来なかった。





「……わしらは、まだ大人じゃった。じゃが、美汐は…まだ幼いのじゃぞ…こんな辛いことを…味あわせるなど…なんとむごい…それをわしは…わしは避けられんかったのじゃな……くっ…ああーーーーー!!!!!」

「美汐さん…わたくしは、今も昔も何一つ…何一つ…できないのですね……う……くぅ……」

「またか……またなのだな。また救うことが出来なかった!! 何のためのこれまでなのだ!! 拙者のこれまでは全部無駄だったというのか!! こんな! こんな……っ! こんなっ!!!」



 もう一つ、全てを見ていた存在――狐たちの父というべきものも――



「………我は………もはや…憎くすら思える……見ていることしかできぬ我自身が…あのような年端も行かぬ少女ですら……あの子の為に……すまぬ……っ!」



 ――その瞳に生涯始めてかも知れぬものが浮かんでいた。



















夢は終わる









最後に










多くの命に涙と、行き場のない憤りを残して











この夢を変えるため








祐一の思いは今、動き出す


























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