時をこえる思い
 第二十話 龍牙作

「美汐の奇跡と祖父の奇跡」
 


















夢は続く












 あの狐との別れから二週間の月日が流れ、美汐たちの街は新しい年を迎えていた。

 そして美汐は今、小用で街に出た帰りの最中であり、神社への階段を上っているところ。

 ちなみに、正月の三が日も終わっていることもあってか、階段に他の人の姿は見受けられない。


「ふう、やっと落ち着いてきましたね。毎年のこととはいえ正月は忙しいですね」


 正月はどこの神社も忙しい、それは当たり前のこと。

 とは言え、当たり前であっても大変なのは変わらないので美汐もピークを過ぎた今はほっと一息と言うところのようだ。


「……そういえば、他の方々から見ればうちの神社は少し変わっているところがあるのかもしれませんね。単にお爺様たちが変わっているだけかもしれませんが、実戦的な剣や弓の稽古なんて普通はしないでしょうに……」


 それはこの天音神社とよぶこの神社が一般的な神社と違うということを意味しているのだが……今はまだ美汐の知らぬところのこと。

 いずれ彼女も真実を知ることになるが、それはまだ先の話である。


「ふう、半分くらいきました……少し休みますか」


 天音神社へと続くこの階段は、多少子どもにはきつい長さがある。

 小用で街を歩きまわった疲労も少しあったため、石段の途中の踊り場で美汐は一休みする。

 そして休憩しつつ、ふと思い浮かんだことは忙しい間は頭の隅においていた狐のこと。

 
「……あれから二週間ですか。月日がたつのは早いものです。元気にしているのでしょうか……夕菜」





ヒュ〜〜


その時、一陣の風が吹く。





「きゃ、いきなりですね。今の風は……」

「やっと会えた……」

「え……?」


 急に後ろから声が聞こえたため、美汐は後ろを振り向いた。

 そして、振り向いたその先には美汐より少し年下であろうくらいの女の子が立っていた。

 女の子はポニーテールにしてある綺麗な長い狐色の髪を風に揺らめかせながら、美汐のことをじっと見つめている。

 その表情は――理由はわからないが――本当にうれしそうな笑顔だった。


「あなたは……?」

「会いたかった……美汐」

「!? なぜ……私の名を……?」

「……美汐!」


 ドサ


「きゃあ!?」


 見知らぬ少女が自分の名を知っていることに驚き、美汐は戸惑っていたが、少女はそんな美汐にかまうことなく抱きついてきた。

 だが、なかなか勢いよく急に飛びついてこられたので、美汐にはさすがに少女を支えきることはできなかった。

 二人とも、そのまま階段の踊り場に一緒に倒れ込んでしまうのだった。




「痛い……ですね……いったい何なのでしょうか?」


 多少広い踊場であったのが幸いし、石段の段差に倒れずにはすんだようだ。

 また、痛いことには変わりはないものの、辛うじて不完全だが受身を取ることができ、痛みの程度は抑えることができたようである。

 このあたりは祖父や祖母の稽古の賜物でもあったので、美汐は少し二人に感謝した。

 そして、状況を確認するため、美汐は自分の上に乗っかる形になった少女に目を向けた。


「えっと……これは女の子に押し倒されてしまっ――って私は何を言っているのですか!!」


 少し……錯乱気味であられるようだ。


「ふぅ……落ちついて見るといたしましょう…………やはり会ったことはないはずですね」


 フワッ

 今度は先ほどよりやさしい風が吹き、見知らぬ少女の長い髪が美汐の顔にかかる。


「きれいな髪の毛ですね…………え!?」


 ふと少女の髪を結んでいるものに目がいき、驚く美汐。


「これ…は……夕菜にあげたものと……同じ……なぜこの子が……?」


 それはまさしく美汐が夕菜にあげたリボンと同じものだった。


「偶然でしょうか……?」


 夕菜にあげたリボン自体は普通のもの。

 同じものが複数あっても別段不思議なことではない。

 だが、先ほど夕菜のことを考えていたばかりの美汐にはただの偶然には思えなかった。


「あの……もし……」


 とにかくこの少女に自分の上からどいてもらって、話を聞かないことにはどうしようもなかった。

 だが――


「………きゅう。(…クゥ)」


 ――少女は気を失っているらしい。

 さらにお腹の虫もなっていた。


「えっと……あの……気が付いてくださいな……お腹すいているんですか? ……それはなんとかしますから、起きてくださいませんか?」

「………」


 美汐は困惑しつつも、もう一度少女に呼びかけてみる。

 しかし、まったく反応がなかった。


「もしかして…このまま…なんですか……そんな……酷な事はないでしょう」


 やはり幼い少女である美汐には、一人の少女の重さは少々大変らしい。

 少し息苦しそうである。

 だが、しばらくの悪戦苦闘の末、少女を動かし美汐はなんとか立ち上がることができた。


「ふぅ……さて……どうしましょう? 上にいらっしゃるお爺様たちを呼びに行けばいいのでしょうが……こんな所に女の子を寝かせたままにしていくのは人として不出来でしょうし……」


 少々悩んだ末、やはり連れて行くべきかなと美汐は考えている。

 しかし、年下とはいえ人を担ぐのはまだ美汐には大変なことだ。

 まして長い階段を上るのであるのだから――


「……こんな酷な事はないでしょう」


 ――ごもっとも。







 十数分後――



「ふぅ……ふぅ……やっと着きました」

「あら? 美汐さん?」

「おや? 美汐や、どうしたんじゃ?」

「お二人…とも……あとは……頼みま…す……。(クテ)」


 ――擬音が聞こえてきそうなほどに美汐は力なく倒れる。

 どうやら力尽きたらしかった。


「み、美汐!? !!! それにその…子は……まさか……」

「わたくし達の目が衰えていないのなら……おそらく、間違いはないかと」

「……起きてしまったというのか……束の間の奇跡が」

「……とにかく、このままでは二人とも風邪をひいてしまいます。早く社務所の中に入れてあげませんと……」

「……そうじゃな」


 美汐が倒れてしまったことも驚きだが、その抱えている少女を見てさらに竜人と美里は驚く。

 どうやらこの少女に関して二人は知っていることがおありのようだ。

 だが、その動揺はとりあえず胸にしまい込む。

 まずは、とにかくこのままではいけないと二人を両脇に抱えて、竜人は動き出す。

 その表情には辛そうな様子を見せていた。

 竜人にとって少女たちの重さは、全く苦にならないくらい軽いものだ。

 だがその重さは、肉体的ではなく精神的にくる辛さと重みを竜人に与えている。

 見知らぬ少女の重さは……自分の危惧が幻ではないことを嫌が応にも感じさせるものだったのだから。


「また……あの悲劇が繰り返されるというのか……」


 竜人の悲痛なつぶやきに答えるものはいない……。









 しばらくして二人を寝室に寝かせ、美里は念のため少女の持ち物を調べてみた。

 そして――


「悪いとは思いましたが、あの子の持ち物を調べて見ました。……やはり身元のわかるものはございませんでしたわ」

「そうか……やはりの」

「……どうなさいます?」

「どうと言ってもの……わしらにできることは、あの二人の力になってやることだけじゃ。……わしらにできることでな」

「……そうでございますね」

「たとえ残された時間が束の間のものであっても、せめてその間だけでも幸せにしてやるのがあの子のためじゃ。美汐にとってそれは辛さを増すばかりかもしれ んが……仮に邪険に扱い、あの子を悲しみを抱えたまま消えさせてしまったとしたら……美汐は後悔するじゃろう。美汐はやさしい子じゃからの。どちらにして も美汐には辛いことなのじゃ……ならば」

「美汐さんに後悔させるようなことはさせたくはありませんね……」



 二人がこうして悲壮な決意をしていたとき――


「御免……竜殿はいらっしゃるか?」


 ――運命と呼ぶべきか……竜人と美里の今の気持ちを理解できるものが訪れた。


「隆か……」

「おお、竜殿。実はよい酒が……? どうされた? 浮かない顔であるが?」

「……隆には話しておくべきことじゃな。実はの――」


 竜人は沈痛な面持ちで事の次第を語りだしていく。

 そして、隆景か竜人の話を理解し始めたとき――


 ガシャーン


 ――彼の持っていた酒瓶は彼の手から滑り落ちていた。




「本当である……のか……それは?」

「恐らくの。確証はまだないが……あの子の気は普通の人間のものではない」

「わたくしもそう思います……」


 しかし、三人は落ちて割れた酒瓶のことなど気にも留めずに話し続けていた。

 それだけこの三人にとっては重大な話だということなのである。


「恐れていたことが……起きてしまったというのであるか……」

「「………」」

「それで……いつ美汐ちゃんには教えるのであるか?」

「今はやめておこう。今、全てを話しても混乱を招いて普通に接せなくなさせるだけじゃ。それに……まだ全てわしらの時と同じになるとは限らん」

「そうであるな……もし……もし助ける方法があるのなら、教えないままのほうが都合がよいであろう」

「うむ。わしはとにかく天野家の文献を調べてみる」

「わたくしも手伝います」

「拙者も……今度こそ助けたい……あんな無力を感じるのはもう御免こうむりたい」

「隆……あれは……」

「あなたはがんばったではありませんか」

「お心遣い痛み入る。だが……助けられなかったことに変わりはない」














 三人の過去にあったこと。

 それはまだ三人が若かりしころ。

 未来の祐一たちよりも年齢が上ではあるが……まだ三人がそれぞれの職の駆け出しであったころに時は遡る。


『隆!』

『何事であるか? 竜殿?』

『説明は後でする! とにかくこいつを見てやってくれ!』

『これは……狐であるか?』

『ああ、子供のいたずらに引っかかったみてえだ。とにかくはやく!』

『なるほど……これはまずいであるな。よし、すぐに』


 思い起こせばそれはまるで、美汐のときと同じ光景を見ているように思うだろう。

 その登場人物に美汐が入らず、美汐と一緒にいた二人の男の姿が変わっているだけなのだから。

 そう、一人は血気盛んな好青年に、もう一人は勉強熱心な白衣姿の若い研究生といった姿に。





『ふう……何とか大丈夫であった』

『へ、さすが名医だな』

『よせ……まだ駆け出しの医者である』

『は、謙遜するんじゃねえよ』


 竜人は豪快に笑いながら、音がするほど強く隆景の背中を叩く。


『痛いであるよ』


 隆景はそんな親友の言動に苦笑しながら、一言文句を言う。
 
 お互い風貌はだいぶ異なるが、長い付き合いである気心の知れた友人同士であることを如実に感じさせる光景だった。




 そして、しばしの間、美汐と同じように天野家で過ごす竜人と狐。

 そこに美汐によく似ているが髪は長く、そして着物を着ている女性が訪れた。


『かわいい狐ですね。天野さん』

『おう! 美里か。……なあ、いい加減名前で呼んでくれねえか。俺たちは幼馴染な上に…その…ほら…な』

『それはプロポーズをしてくださるときまでとっておきますわ』

『うう……恥ずかしいこと言いやがって……』


 美汐の祖父母である二人はこの頃、もう後一息で婚約という所まで来ている仲だった。

 二十を過ぎたと言うのに、なかなかほのぼのとしていたようである。


『ふふ、でも本当にかわいい狐ですね』


 長い付き合いだと言うのにまだ恥ずかしがって赤くなる幼馴染を微笑ましく思いながら、美里は狐を優しく撫で始める。

 尤も、そろそろ決断してくれそうな気もしたため、その意味での微笑みも浮かべているのだが。

 
『あ、ああ、なんか弟が出来たみてえだが……すぐに野に放すことになるな』

『そうなのですか?』


 美里にしてやられたような気がして、そっぽを向きながら、竜人は恥ずかしいから話題を変えるかのように狐の話を進めていく。

 そんな態度にまたふと笑みを浮かべながらも、美里は少し意外そうに質問する。


『こいつはな、ものみの丘ってきれいな丘に住んでたんだ。最近ごみごみしだしたこの街に住まわせるのはかわいそうってもんだ。親もいるだろうしな……』

『……そうですね』

 
 竜人は一通り話し終えてから、愛おしさと寂しさの混じった静かな表情を浮かべて狐に目をやる。

 美里も竜人の言葉に頷きながら、同じような表情を浮かべる。

 二人とも大人であるが故に、決断することは簡単。

 でも、別れに寂しさを感じることには変わりない。

 そんな二人の気持ちをよそに、狐は二人になでられ気持ちよさそうにしている。

 竜人と美里の気持ちはともかくとしてだが、そんな穏やかな光景が数日にわたって神社の境内で見受けられるのだった。











 そして別れのとき――


『ほら、いきな……タカト』

『く〜…』


 どうやら三人の名前から一文字ずつもらって狐は名づけられていたようだ。

 そのタカトは、別れに当たってなかなか竜人から離れようとしてくれない様子である。


『おいおい、お前、親父さんたちのことを忘れたわけじゃないだろ?』

『!』

 その言葉の意味がなんとなくわかったのか、タカトは戸惑っている。

 竜人はそんなタカトの様子をみて、後一押しどうしたものかと悩む。

 少し間があってから、ふと何か思いついたらしく、明るい口調と表情で竜人はタカトに話しかけ始める。


『よし、こいつをやるからそいつで我慢してくれや』


 そういいながら竜人は身に着けていたお守り袋をタカトに見せる。


『?』

『こいつはな、俺と隆、そして美里をあの戦争の中守ってくれたお守りだ。こいつをお前にやる。こいつがお前を守ってくれるさ』

『♪』

『気にいったみてえだな。じゃあ……元気でな!』

『!?』


 竜人はタカトの首にお守りをかけてあげた。

 タカトは竜人に物をもらったことがうれしかったのか、興味津々にお守りに目を向けつつ、触ったりしながら走り回っていた。

 その隙を突き、竜人は走り出した。

 当然タカトは驚き、彼を追いかけようとする。


『お前のこと……俺は本気で弟だと思ってたぜ! 俺の弟なら……俺がいなくても元気でいろよ!!』


 しかし、追いつけないと思ったか。

 それとも今の言葉の意味がわかったのか。

 タカトは追うことをやめ、ただずっと竜人が走っていく方向を見つめていた。






『へ、この歳で泣くわけにはいかねえよな……』

『では……すでに泣いている拙者はどうなる?』

『お前な……』

 
 だいぶ丘から離れたところで、竜人は隆景たちと合流していた。

 年甲斐もなく少し涙ぐみそうになった自分に苦笑しながら、竜人は言葉で気を紛らわそうとした。

 しかし、自分の親友は既に完全に泣いてしまっているので竜人はあきれて言葉がなかった。


『わたくしもなのですが……』

『……ん、その、なんだ。美里はいいんじゃないか……そ、それだけやさしいってことだろ』

『…恥ずかしいですわ』


 そして、美里も涙ぐんでいたので少し竜人は困ってしまった。

 だが、惚れた相手な上に、その表情をかわいく思ってしまったのできちんと美里のことはフォローするのであった。

 隆景のことは……まあとりあえず置いておこうとちょっと薄情な気持ちになりながらも、一応なんか言ってやるかと竜人は親友の方を向いてみる。

 すると――


『照れるである』

『お前には言ってねえー!!!』


 ――やはりなかなか油断のならない親友であった。






 これだけならよかった。

 ちょっとした寂しさも友人同士で取り払ったのだから。

 だが――


『あいつ元気にしてっかなあ〜』

『兄ちゃん!!』

『はあ? 何言ってんだ坊主?』


 ――未来の孫のように、しばらく時が経ってからふと狐のことを思い浮かべていた竜人の前に、歳は小学校に入るか入らないくらいのかわいらしい男の子が現れた。

 突然現れ、自分を兄と呼ぶ少年の出現に竜人は当然のことながら驚く。

 困った竜人は相談しやすい二人を呼んでみるのだった。


『どうやら記憶もないようですね』

『名前だけ……タカトと思い出したようだ。すごい偶然であるな』

『あ、ああ。名前があいつと同じと言うのは確かにすごい偶然だよな』


 そして、竜人は美里と隆景に協力してもらいながら、突然現れた少年のことを調べている。

 そんな中、竜人は二人の言葉に頷きながら何か思うところがあるのか、少し反応がおかしかった。


(ただ、それだけじゃなくあのお守りも持ってやがった。まあ、同じお守りならここの神社でいくつも売ってるわけだが……それになんか変な気を感じるんだよなあ)

『天野さんをお兄様と勘違いしていらっしゃるようですし、しばらくここに置いて差し上げたらどうですか?』

『まあ……そうすることにすっか』


 竜人は頭の中ではいろいろ考えていたが、美里の提案にはとりあえず頷いていた。
 
 どこからきたのかは調べるとしても、少年を自分の下に置くことに竜人は異存はないのである。

 それに、まずは事の成り行きに任せるしかないようにも思ったらしい。



 そして――


『元気だな……お前』

『うん。僕は元気だよ。兄ちゃん』


 ――境内の掃き掃除を作務衣姿で行っている竜人の周りを、元気に幼い少年が走り回っている。

 竜人は少し呆れながらも、どこか楽しそうにそんな少年を見守っている。

 しばらくはそんな騒がしいが楽しい日々が続くのだった。





 しかし……そんな日々に突然終わりが訪れ始める。


『しっかりしろよ、タカト』

『一応あるのは熱だけであるな……』

『そうか…すまねえな…人は専門外だろうに……』

『なに、拙者は一通りの医学を学んである。動物の病気の中にも人間に通ずるものもあるからな』


 突然熱を出してしまったタカト。

 ちょうど良く居合わせていた隆景にとりあえず診てもらいながら、竜人は応急手当を行い、タカトの様子を案じている。

 隆景は職業柄落ち着き払って竜人とタカトを安心させ、タカトの症状をまとめながら、念のため知り合いの腕のいい医者へ連絡する算段を頭の中で整えていた。


(しかし、何故であろう? ただの風邪にしては何か解せぬような…?)


 隆景は一通り症状の記録をまとめた後、特にひどい症状でもなかったことには安心しながら、知り合いの医者に連絡しようと電話のある場所へ向かう。

 だが、その途中、隆景はこれまでの経験からくる感から、何か引っかかるものを感じていた。

 それが何なのか正確にはわからなかったが。

 

 隆景が感じた得体の知れない違和感。

 それは錯覚ではなかった。

 そう、この熱の発生は、束の間の奇跡が終わる前兆だったのだから。





『ようやく熱下がったか。よかったな、タカト』

『うん。心配かけて御免ね』

『なあに、いいってことよ。さて快気祝いに飯にするか』


 そうして食卓に着く二人。

 タカトが箸を持とうとしたとき。


『あれ?』

『うん? どした?』

『えっと……』

『何でえ、箸が持てねえのか?』

『……そうみたい』

『(おかしなこともあるもんだな? 今までは使えたってのに) ……美里には内緒にしといてやるから、手で食っていいぞ』

『うん…』




 そして、変化はまだ続く。

 その様は、まるで人ではなくなっていくかのようだった。

 終には――




『……う…』

『なんで、しゃべれなくなっちまったんだ……』

『わからぬ。知り合いの医者全員を駆けずり回ったが誰にもわからなかった……』

『いったい……どうして……?』


 ――タカトはもう人の言葉を話せなくなってしまっていた。

 3人の大人は医者などの人脈も豊富であるにもかかわらず、何もできずただ困惑することしかできなかった。

 だが、言葉はなくともタカトは三人、特に竜人から離れまいとしていた。

 それゆえ、体そのものには危ない症状はなかったので入院はせず、とにかく隆景経由で診てもらうことはだけは続けていくことにした。






 だが、タカトは次第に人として何か根本的な意識がなくなっていく。

 原因も全く不明、症状も判断不能、三人はただ本当に側にいることしかできなかった。


『なあ、兄ちゃんって言ってくれよ…前みたいにさ…元気な顔で……タカトーー!!』

『なぜだ……なぜ、救ってやることが出来ぬのだ。苦しむものを救うために拙者は医者になったというのに…動物も…人も…もうだれも苦しむ姿など見たくなかった。そんなのは……あの戦争中でもうたくさんだったのに』

『……うぅ……お願い…だれか…助けてあげて……』


 三人が絶望と悲しみで、あるものは憤り、あるものは呆然とし、あるものは涙を流し続け、タカトの側にいる。

 どうにもならない病院ではなく、せめて精神的に癒せる思い出の場所、神社で時を過ごす。

 そして、竜人たちにとってはもはや時間の感覚が失われていたが、数日とも言えない短い時間が流れ……終わりがやってくる。



 それぞれが最低限の自分の仕事を終え、三人でタカトを見守っていたとき、それは起こった。

 まるで今までが夢だったかのようにタカトは消えてしまったのだ。

 そう……跡形もなく。


『な!?』

『なに!?』

『そんな!?』


 目の前で何が起こったのか認識できず、たとえなんとかして目の前で起こったことを認識しようとしても自分の目が信じられず、呆然となる三人。

 そんな三人に、ふと声が聞こえてきた。


『すまぬな、人間たちよ』

『『『!?』』』


 三人が振り向いた先には人よりもかなり大きく、数十本の尾を持つきらびやかな光を放っている狐がいた。


『もののけか!?』

『そうとってもらってかまわぬよ。だが、我のことなどどうでもよかろう。我は御主たちがタカトと呼んでいたもののことを伝えるためにやってきた』

『タカトのことだと!?』

『そうだ。そしてまずはここから話さねばならぬのだろうな。タカトは……御主たちが助けてくれた狐なのだよ』

『え……』

『何を言っているのである……?』

『まさか……だが言われてみればあの気は……』


 美里と隆景は今、目の前で起こった人が消えたと言う信じられない事実と明らかに人外といえる存在を目の当たりにして、思考があまり働いていなかった。

 だが、竜人だけはタカトから普通の人とはなにか違うものを感じていたため、他の二人とは違って、タカトが狐であったということを受け入れることはできたが、やはり驚きは隠せていなかった。

 狐はそれぞれの反応を見ながら静かに眼を閉じ、無理もないと言わんばかりに一呼吸置く。

 そして、唯一話ができそうな竜人の方を向いて、狐は再び語り始めるのだった。


『もう少し修行を積んでおれば気付いていたであろうな……天野の家のものならばな』

『天野家のことを知っているのか? いいやそんなことはどうでもいい! タカトが狐ならこれはどういうことなんだ!?』

『ものみの丘の狐には人に姿を変えることが出来るものがいる。ただし、自らの記憶と命を犠牲にすると言う条件があるがな』

『な……に……そんなことが……だ、だが……それが本当だとしても……なぜ、そこまでしてあいつは人間になったって言うんだ!?』

『それが……人のぬくもりを知ってしまったあの子達の性分なのだ。自分の命を束の間のものにしてでも……そのぬくもりを求めてしまうものなのだ。それは我にも止めることが出来ぬほどの決意なのだ。すまぬな、人間よ……』

『まだ未熟な俺にだってわかる! お前はすごい力を持っていることが! そいつを使えば、狐を人にすることぐらいわけないんじゃないか!?』

『もしそれをなそうとするならば……我も本気で力を振るわねばならぬ。だが、そんなことをすれば、この国の一つや二つを消し飛ばすことになる……』

『そ…んな……』


 竜人はそれなりに不可思議な“力”というものへの理解は深い。

 破壊と創造が表裏一体というレベルの、いわゆる神の力は、過去を終わらせ、未来を作る、効果は大きく犠牲の大きすぎる力。

 使うことは事実上不可能な力でしかタカトを救えないことを理解できた竜人は呆然とする。

 その竜人の思考に同調するかのように、狐は深く頷く。 


『力を持っていても我は何もできぬのだ。わが子たちとも呼べるものたちを助けることもな……』

『……そうやってお前は何度も今起きたのと同じことを見続けてきたってのか……辛かったろうな』

『……人間に気遣われたのは初めてだ。何もできない我をうらまぬのか?』

『うらむ資格なんてあるわけねえじゃねえか。あいつを救うことが出来なかったのは俺も同じだ!』

『よい人たちに巡り会えたのだな……わが子は。あの子にやさしくしてくれた人間たちよ……ありがとう。我に言えるのはそれだけ…………さらばだ』


 心の強い竜人はたとえ厳しすぎる現実の前でも自分を保ち、神と称しても良いほどの存在のうちにある悲しみを見て取った。

 そのことにむしろ狐の方が驚きながら、タカトには少しであっても幸せがあったことを理解して深く感謝し、姿を消した。

 狐のいなくなった後、竜人はしばらく静か過ぎるほど静かな雰囲気を湛えたまま、目を閉じていた。

 けれど頭の中では、タカトとの思い出が浮かんできて、竜人の心に悲しみを溢れさせていた。

 そして、兄と慕ってくれた少年に何もできなかった自分と、あんないい子に対する現実への苛立ちがどうしようもなく募ってくる。

 しかし、誰にあたることもできないし、するわけにはいかない。



『……ちくしょお!!』


 数刻して、竜人のどこへ向けたらいいかわからない自分の不甲斐なさや悲しみを叫びという形で放ちながら、拳を地にぶつける。

 状況についていけず、今まで呆然としていた美里と隆景は、竜人のさけびでようやく思考が落ち着いてきたのか、二人とも体が自然に崩れていくようにひざを落とし、うなだれていた。

 美里はただ静かに涙を流してうつむく。

 隆景はタカトの消えた方向を感情を失ったような表情で一瞬見つめる。

 すると自然に隆景の目からは涙が流れてきた。

 その涙は、彼の優しき心がもたらす悲しみと、静かで純粋な信念がもたらす悔しさが同居した辛い涙だった。













「あの時から……拙者はもう救えないものがないように全ての医学について研究してきたである……」

「隆……お前もずいぶん傷ついていたんじゃな……命を救っていくことがお前のもっとも大切な夢じゃったものな」


 竜人はあの時、自分自身もまた深い悲しみと不甲斐なさで心が満ちていたため、気づくことはなかったが、今はこの親友の気持ちがよくわかった。

 この親友ほど、純朴な優しさを持ち、そして持ち続けている人物を竜人は知らない。

 獣医になった理由も子どものころからの思い。

 しかし、その思いがどんなに頑張っても救えない命という壁にぶつかることはいずれありえたことではあっただろう。

 けれど、手の施し用がない病という次元とはまた違った、本当に何もすることができないという壁に、医者に成り立ての時期に、この親友はぶち当たってしまったのだ。 

 その時の思いと、それでもずっと医学から逃げなかった隆景の心。

 タカトは自分にとっても大きな位置を占めていたが、この親友にとっても自分とは違った形で大きな位置を占めていたのだと竜人は改めて痛感していた。

 そして、改めて親友の目を見つめた竜人は、その親友の瞳にどこか頼もしいものを感じた。

 自分は悲しいかな、結構老いた気持ちはぬぐえないのに、この親友の中にある情熱は昔以上かもしれないと。

 しかし、そこで負けん気を起こすのが竜人であった。

 竜人は隆景と美里に向かって力強い瞳で口を開く。


「あの子達のために、やるぞ、隆、美里」

「……うむ。今度こそ避けねばならん。あの悲劇は」

「はい」


 





 しかし……無情にも解決方法に心当たりがあるわけではない。


 束の間の奇跡はすでに始まっているにも、かかわらず……















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