時をこえる思い
 第十九話 龍牙作

「少女の過去」
 




















夢を見ている









それは、少女の過去の物語














「お爺様、今日はどこへ連れていってくださるのですか?」

「うむ。……ところで美汐や、もう少し子どもらしい言葉遣いでよいのじゃぞ」


 ここは町外れの少し小高い道。

 その道をまだ十歳にも満ていない様な年齢の少女と、年をだいぶ召してはいるが力強さは失われておらず、それでいて優しい目をした神主姿のご老人が会話を交わしながら歩いていた。

 少女の名は天野美汐、ご老人の名は天野竜人(たつひと)と言った。


「? ……どういう意味でしょうか?」

「ぬう……美汐が自分の真似をして上品な言葉で話してくれるのがうれしゅうて、婆さんが褒めてばかりおったからいつの間にかその言葉遣いが普通になっておったか……これはすまぬことをしたな、美汐や」

「? ……なぜ謝るのですか?」

「う〜〜む。悪いことではないのじゃから……よしとするか」

「???」


 竜人は少し苦笑しつつ、自分の白いひげをいじりながら美汐のしゃべり方のことは気にしないことにした。

 美汐はそんな祖父の態度の意味するところが良くわからず、首をかしげている。

 そんな美汐の様子を見て、さらに竜人は苦笑をもらす。

 だが、これはこれで面白いと思ってもいるようだ。

 しかし……この上品さが後に祐一にえらくからかわれる対象となろうとは、このご老人も不覚であっただろう。


「そういえばどこに行くかじゃったな。今向かっておるのは『ものみの丘』と呼ばれるところじゃ」

「ものみの丘?」


 すこし悲しい孫娘の未来など想像つくはずもなく、竜人は美汐の物腰のことはもう気にせずに話を元に戻す。

 美汐も――少し疑問は残っていたが――先ほど自分が尋ねた質問の答えが返ってきたので、とりあえずよくわからないことは置いておくことにした。

 そして、新しい話題へ興味を示して祖父に質問するのだった。
 

「そうじゃ、いろいろ伝承なども多い所じゃがな。とてもきれいなところじゃ。このあたりの街が一様に見渡せる……そんなところからこの名前が付いたのかもしれぬな」

「それは楽しみです。ですが……伝承とはどのようなものなのでしょうか?」


 竜人は懐かしい思い出をふと思い出したかのような穏やかな表情を垣間見せながら、ものみの丘の説明をする。

 美汐は丘そのものにも興味がわいたが、伝承と言う言葉の方により反応をみせた。

 そのつつましい物腰の中にも、少しだけ期待を目や声に垣間見せている。

 彼女はこの祖父、そして、家で今は留守番をしてくれている祖母が話してくれる話が好きだ。

 特に、不思議な話――伝承や伝説といった類のものは最も好きなものだった。

 祐一が未来で初めて出会った時の様子からは想像できないかもしれないが、この少女は意外と夢見る少女なのである。

 だから、今回もやはり伝承と言う言葉に興味を引かれたというわけなのだ。


「ものみの丘か……あまり面白い話ではないのじゃが……それでも良いか?」

「それでも……聞かせていただけませんか?」


 美汐とて面白い話のほうが好きであったが、この少女は生来、好奇心旺盛な面も持ち合わせている。

 これから先もそうであるわけではないが、少なくともこのころはそうであった。

 ただ今回は美汐も、祖父が一瞬逡巡しながら垣間見せた悲しい表情が、気にはかかりはしたようだったけれど。


「そうか……まあよかろう。美汐は物忌みという言葉を知っておるか?」

「はい。確かお婆様のお話では……ある期間の間行動をつつしみ、体を清めて不浄や不吉を避けることを意味したり、単に不吉なことを避ける行為そのものを意味する言葉であったり、縁起を担ぐという意味もあるのですよね?」

「だ、だいたいあっておるな……」


 美汐はこの歳にしては物知りであるし、自分の連れは色んなことをこの孫に教えているので、少しは知っているだろうと竜人も思ってはいた。

 しかし、さすがにここまで完璧な返答が返ってくるとは思っていなかった。

 古典に触れなければ、この言葉はそう接する機会は無いだろう。

 少なくとも……一般的な八歳の少女にここまでの知識はまず必要ないはずである。


(婆さんや、そもそも美汐に教えるには早い言葉じゃし、何もここまで詳しく教えんでも良かろうに……)


 竜人もまた、幼い孫にここまで教えた自分の生涯の伴侶にいささか疑問を感じたのであった。

 そんな祖父の心の逡巡には気づくこともなく、美汐は覚えていたことが間違ってないことにほっとしながら、祖父に再び話しかける。


「そうですか……それでその言葉がどうかしたのですか?」

「う、うむ。この丘には昔から人間に不幸を呼ぶ獣がおるという伝承が残っておってな。まあ、もはや知るものも少ないであろうが……そこから危険じゃぞという意味合いを込めて物忌み、それが転じてものみの丘という名になったという話もあるのじゃ」

「そう……ですか。でもどんな不幸なのでしょうか?」

「それは……よく知らんのう」

「……本当ですか?」


 美汐の祖母は教える必要もないことまでつい教えてしまう癖を持っていたが、この祖父は違った。

 話す内容をよく考え、美汐に必要のない話は極力しない人であった。

 美汐は何でも教えてくれる祖母も好きだったが、自分を気遣ってくれるこの優しい祖父も好きである。

 とは言え、自分を気遣ってくれるのはうれしいことではあるが、やはり気になるものは気になるのも正直な気持ちというもの。

 美汐は探るような視線を向けながら、祖父の真意を確認するのだった。


「美汐は鋭いのう。じゃが……これ以上はお前がもう少し大きくなってからじゃな」

「もう……またそれですね」

「ほっほっほ。おお、いつの間にか目的地についておったか」

「これは……きれいです。本当に街がよく見渡せます。それにここの草原も清々しいですし……でも、不思議ですね。ここだけ雪が少ないなんて」


 竜人が言っていたとおり、ここからは街の風景が一様に見渡すことができた。

 だがそれだけでなく、それだけの高さにもかかわらず雪があまりないこの草原は、ある意味幻想的な雰囲気をかもし出していた。


「ふむ。それもまたこの丘にすんでおる獣の力なのやもしれぬな」

「本当にそうだとしたら……面白いかもしれませんね」

「そうじゃな。……そういえば、そろそろ飯の時間じゃな。まあ、雪もないことじゃし、ここで婆さんが作った弁当でも食べるとするか。寒いが、いい修行にもなるじゃろうて。一石二鳥じゃな」

「……はい。 (お爺様はお優しいのですが……修行のこととなると厳しいです……はぁ)」


 少しだけ心の中でため息をもらしながら、祖父の言葉に美汐は頷く。

 冬の寒空に外で弁当を食べることなどそうはないだろう。

 ただ気休めで言えるとしたら、雪の中でバニラアイスを食するもの達よりは……幾分ましかなというところであろうか。




「そういえば……お婆様はなぜ今日はいらっしゃらなかったのでしょう?」


 さて、食事の準備をしながら、ふと美汐は気になることが頭の中に浮かんできた。

 お出かけの際、少なくともご飯のときだけはよく一緒に来てくれる祖母が今日は何故一緒に来なかったのかという疑問が浮かんだのだ。

 なお、美汐の家は竜人の袴姿――ただし、普通は神主だからと言っていつでも袴を着ているわけではないはずだが――が示すとおり神社である。

 お札の求め、祈祷の依頼の受付などなど……規模がそれなりにある神社でしかも年末と言うこの時期、誰か留守がいたほうが都合がいいのは確かなのだが、古くからお手伝いに来てくれる人もいる美汐の家では、忙しさが佳境に入る前は多少の時間の余裕はつくれるのである。

 そんなわけで、祖母もまた修行は好きであり、寒がりということもないことも含めて考えると、特に理由が思いつかないため、美汐は祖父に尋ねたのである。


「ふむ。実は神社の仕事が残っておってな。まあ、一人で片付けられる程度なんじゃ、わしが後でやろうとは思っていたんじゃが……自分がやるといってきかなかったんじゃよ」

「そうでしたか……お婆様には悪かったですね。私たちだけで」

「なに、その分、美汐が楽しんでくれれば婆さんも喜ぶじゃろうて」
 
「……はい」

(……美汐は本当に良い子じゃのう)


 竜人の言葉に頷いてはいるものの、美汐はやはり申し訳なく思ったのか、表情が少しだけ暗いものになっている。

 そんな美汐を見た竜人は、改めて自慢の孫娘が持っている良さを快く思っていた。

 ただいい子過ぎる気もするので、もう少しやんちゃになってくれてもいいのだがと、内心竜人は半分思っていたりもする。

 でもやっぱり美汐のこういうところが自分は好きだから、自分でもどうしたいのかわからないから困ったものだと竜人は苦笑が浮かんできそうになっていた。

 この悩みは今回に限らず、ことあるごとに浮上してくる悩みなのだが、なかなか解決してくれてない。

 でも、大好きな孫のことを考えること自体は祖父としては実に楽しいことであるので、うやむやのままに楽しんで終わってしまうのが常のようだ。


(そもそも、婆さんが悪いんじゃ)


 そして今回の場合、思考はいつの間にか自分の伴侶への非難に思考が変わっていた。

 そもそも年齢不相応の礼儀正しさからして、その発端は彼女にある。

 だからややこしくなったんじゃと言う気持ちが――その礼儀正しさを自分は好きなことは置いておいて――まず出てきた。

 次に、今回美汐を心苦しい気持ちにさせたものの正体を考えると、美汐をこんな気持ちにさせるのが悪いんじゃと方向がずれてきた。


(本当はただ腰が痛いだけじゃらしいからの! ほっほっほ、老いたもんじゃのう)


 もし、今考えたことをそのまま彼女に伝えたとしたら、それはそれはおもしろくて、犬も食わないものが展開されていくであろう。

 美汐の祖母――天野美里は、今回ちょっと腰が痛くなっただけで、いつもはまだまだ元気であるから彼女の自慢の弓の腕が披露され、それを受ける竜人も自慢の剣で、相対する。

 端から見れば、すんごく危ない光景であるが、結婚してから数十年、何度か見られた光景でどっちも無傷なのだから、美汐も自分の祖父母は変わっているかも知れないと最近思い始めていることは、祖父母には秘密のことであったりする。

 さて、竜人は美汐のことを考えているうちに、頭の中ではいろんな方向へ派生しかかっているわけだが、美汐にはそんな思考は知らぬところのこと。

 竜人のなかではずいぶん話が進んでいたが、美汐は食事の準備をするかかたわら、さきほどの心苦しい気持ちを徐々に切り替えようとしているところだった。


「そうですよね、御婆様が作ってくださったお弁当もあるのですし、楽しまなくてはそのほうが御婆様に悪いでしょうし…」

「うむ、そういうことじゃ、美汐や」

「はい」


 そして、気持ちが切り替わった美汐は表情に明るさを取り戻しながら、ポツリと言葉を口にする。

 確か考え事をしていたはずの竜人だが、その言葉にしっかりと反応しながら優しく微笑んでいる。

 美汐は祖父の優しい口調を心地よく思いながら、その言葉に頷いていた。


(久しぶりに一戦決定じゃな)


 さて竜人はというと、孫には優しげな表情を見せているかたわら、その心のうちでは美里と一戦交えることを決定していた。

 先ほどの美汐の一言が、実際に思考の中では戦いに発展しはじめていた竜人の気持ちを決めてしまったらしい。

 尤も、帰ってみて美里がまだ腰が痛い様子だったら、彼は間違いなく彼女を心配する。

 結局、家族が大好きなおじいちゃん、な人なのである。

 



「うむ、では早速弁当箱を開けるとするかの」

「は、はい」


 帰ったら一勝負、その前の腹ごしらえ――というより、単に美里の料理が好きで孫と一緒に食べるのが楽しいということもあり、意気揚々と弁当の包みを解いていく竜人。

 そんな祖父を見ている美汐は少し困ったような笑みを浮かべながら、祖父に続いている。  

 幼い少女が、白髪に白いおひげのにあう正にお爺さんという風貌のご老人にせかされているような構図が出来上がっているのだった。

 なかなか不思議な光景かもしれないが、ともかく、そんな光景の中、竜人は包みを開けていく。

 そして、開けてみたところ――


「……婆さんや……爺と子どもにはちと多いと思うぞ……」


 ――竜人は呆れたように一言つぶやいていた。

 大きめの重箱が二段、果物は別の箱。

 どれも和風の料理で、消化に良い食べ物が並んでいる。

 それはいいのだが、これはちょっと多いだろうと竜人は思った。

 竜人はこの歳の割にはよく食べるほうだが、幼い美汐は少食なほうであるし、そうでなくとも多いであろう量。

 正直、どうしろと言うんじゃと言う気持ちのようである。


(やはり、帰ったら語り合う必要があるかも知れぬな)


 言葉ではなく、拳でもなく、剣と弓での語り合いを、やっぱりやろうと思う竜人であった。


「私も手伝ったのですが……こんなに多くなっていたんですね」

「……ほう。美汐も作ったのか。どれじゃ?」

「この山菜の煮付けです」

「どれどれ……もぐもぐもぐ」


 美汐の方も、大きい反応ではないが、やはり驚いていた。

 竜人はそんな孫と頷きあうかと思いきや、なぜか目を輝かせた。

 膨大な量より、孫の料理の方に興味が移ったようである。

 どれかわかった途端、すぐにその料理を口に運ぶのであった。


「もぐもぐ……なかなかじゃな。よし、どんどん食うとするかの♪」

「お爺様、頂きますもしておりませんのに……それに、たくさんあるのですからもっとゆっくりでいいと思いますよ」

「……幼い孫に注意されてはしゃあないのう。はっはっは」

「……クスッ」


 祖父の早い行動と、黙々と食べ始めようとしている祖父に唖然としながら、何とか気を持ち直した美汐は困ったように祖父をたしなめた。

 ここまで来ると、さすがに自分でも恥ずかしいような気がしてきたのか、竜人は自分のことながら可笑しそうに笑うのだった。

 そんな祖父の子どもっぽいようなところを見て、美汐も表情をほころばせる。



 八年後、祐一と初めて会った頃の表情とははるかに違う穏やかなあたたかい微笑みを浮かべている少女。

 その表情を忘れてしまうほどのことが、この後あったということ……。





「うまいのう。今からこの味なら、きっと良い嫁さんになるのう。美汐を嫁にもらえるやつがうらやましいわい。いっそのことこのわしが――」

「もう、お爺様。ほめてくださるのはうれしいですが、からかわないでください……」

「――ほっほっほ。こんな爺では、やっぱりいやか?」

「もう、何を言ってるんですかっ!!」


 けれど、今はそんな未来への前触れすら微塵も感じさせないまま、二人は楽しげなときを過ごしている。

 孫は困ったような照れたような、あるいはちょっと怒ったような仕草を見せながら、顔を赤くさせて祖父の言葉に反応する。

 祖父はそんな可愛い孫の反応を実に楽しみとしながら、笑顔を浮かべている時間が続く。

 そして、他にもいろんな話題に花を咲かせながら、二人は食事を進めていくのだった。
















「ふ〜、くったのう。残りは帰ってからにするかの」

「はい、お爺様。食後のお茶をどうぞ」

「おお、すまんのう」
 

 食事が終わってから二人は少し休憩をする。

 やはり食べきることは難しかったようだ。

 竜人は満腹感を感じながら、孫が差し出したお茶を飲んでほっと一息。

 そんなのんびりした時間――美汐は少し寒そうでもあったが――を過ごし、二人は片付けに入る。


 一通り片付いた後、二人は帰る前に腹ごなしもかねて丘を散策する。

 すると――





 クァ………ウ…………クァ……………ウ………






「!? ……お爺様、今何か声が……?」

「これは……狐の鳴き声……か?」


 ――二人の耳に突然それは聞こえてきた。

 かなりか細い、動物の鳴き声。

 もしこの地が静かな場所でなければ、恐らく気付かぬであろうほどの弱々しいものだった。

 美汐はその弱々しさに、何か良くないことを感じ、取り乱し始めている。

 だが竜人の方は、まるで何かを思い出させられ、衝撃を受けたかのように静か過ぎるくらいの落ち着いた様子で、一言つぶやいていた。



「お爺様、あっちです!!」

(まさかの……ただの狐じゃといいのじゃが……)


 少し興奮気味の美汐に反して、竜人は落ち着きすぎているような静かさを保ったまま、無言で美汐についていく。

 どうやら、何か思うところがあるようだ。

 それが何なのか今はわからないが、少しだけ辛いことを思い出しているような暗い表情である。




 さて、二人が歩いていた少し先の場所に、子どものいたずらであろうか、落とし穴のようなものがあった。

 そして、その穴の底にはまだ幼い子狐がいた。

 何かの理由で穴に落ちてしまい、恐らく自分では這い上がれなくなってしまったのであろう。


「かわいそうに……早く助けてあげませんと……」

「うむ……どれ……ちと……せまいの」


 深さはちょうど美汐ぐらいの小学生がすっぽり入るくらいであり、誰かが上から手助けしないとそのくらい歳の子は出られない深さがあった。

 しかし、大人が入るには幅が狭く、歳の割に体格の良い竜人にはとても入ることが出来そうもなかった。


「私が行きます」

「仕方ないの……行ってきなさい。ちゃんと後で引っ張ってあげるからの。ただ、野生の動物は怖がりじゃから噛み付かれんようにの」

「はい」


 美汐は祖父の忠告を受け取りながら、慎重に穴の底へ降りていく。

 怖がられないようにということもあるが、下手に降りると狐を傷つけてしまいそうなくらいの狭さなので、その意味でも美汐は気をつけながら降りていこうとしている。


「ほれ、手を貸しておるから、片手はしっかりつかまってなさい」


 竜人もうっかり美汐が落ちてしまわないように、しっかりと彼女の腕をつかんでいた。

 この方は年に似合わず、力は衰えていない。

 美汐が降りていくにしたがって竜人の体勢は多少無理のあるものになっていったが、穴の中に降りていく美汐をしっかりと片手で支えていた。

 そして、狐を踏まないように美汐が穴の底にたどり着き、一旦祖父の手を離して狐の反応に気をつけながら抱き上げようとすると――


「クァーウ……クァーウ」


 ――声だけは威嚇の様子を見せていたが……噛み付くどころか、もはや体は動かない様子だった。


「いったい……どれくらいここに……? お爺様、急ぎませんと!」


 医術の心得がなくとも、今の子狐の様子は誰が見ても危ないと感じるくらいのものであった。

 美汐も時間がないことがなんとなくわかり、子狐をしっかり片腕にやさしく抱きながら、即座に残りの腕を空へと上げる。


「うむ。しっかりとつかまっていなさい」

「しっかりして、すぐに助けますから!」

 
 竜人が腕を伸ばして、しっかりと自分の手をつかんでくれたを確認しながら、狐を勇気付けるように美汐はささやきかける。

 そんな美汐の様子を見て、竜人も急ぐ必要があると感じたのか、早速力をこめる。


「ふん!!」


 そして、ほぼ一瞬で竜人は美汐を穴から引き上げるのだった。


「お爺様、ありがとうございました。でも早く……」

「うむ。これは……まずいの。いくら雪が少ないとは言え、ここまで衰弱しているとこの寒い外にいつまでもいては死んでしまう。とりあえず、美汐、しっかり と抱きしめてあげなさい。今、お前のために一応持ってきていた暖かい上着を用意するからの。そして、さっさと街に下りなくては……」

「はい! 早く天恩先生に見せませんと」

「うむ。あいつは立派な獣医だからの、きっと大丈夫じゃ。だが、とにかく急ぐぞ」


 すでにこの会話の途中から動き出していた二人。

 彼らはかなりの速さで丘を降りていった。


 そんな二人を見ている一つの影が存在していたことには、気付くこともなく……。















 街の動物病院にて――


「天恩先生!!」

「おや? 美汐ちゃんであるか、それに竜殿……? ! ……それは……狐?」


 美汐は病院についた後、すぐさまかなり親しい間柄でもあるここの獣医のもとへと向かい、声をかけていた。

 獣医の名は天恩隆景(てんおん たかかげ)。

 少し古風な雰囲気と口調の初老の男性であり、竜人とは古くからの友人である。

 その関係で美汐もここにはよく訪れているので、外来がないときや休診時間などには良く相手をしてもらっていた。

 そんなわけで、隆景も訪問自体は驚いていなかったが、こんなに取り乱したような声は聞いたことがなかったので、やや不思議に思いながら、やってきた彼女を見る。

 すると、最初に狐の鳴き声を聞いたときの竜人と同じような驚愕に近いものを隆景は表情に垣間見せた。


「説明は後じゃ、隆。とにかくこの狐を……」

「う、うむ」


 だが、獣医としての自分をすぐに取り戻し、隆景は狐を抱いてすぐ診療室に向かった。

 恐らく隆景の気持ちがわかるのであろう竜人は、隆景を促した後、暗い表情を浮かべながら彼と狐を見送っていた。

 狐を心配する気持ちの強かった美汐が、そんな祖父の様子に気づくことはなかったが。



「だが……竜殿……これではまるであの時と同じ……」


 さて、竜人に見送られた隆景もまた、体はしっかりと狐と助けるために動いていながらも、表情には竜人と同じように暗いものを時おり浮かべていた。

 そして、一瞬、辛そうにつぶやいたこの言葉。

 それが意味するものは何であろうか……?








 そのころ、待合室では――


「お爺様……大丈夫ですよね?」

「大丈夫じゃ。あいつは名医じゃからの」


 心配そうに不安な表情を浮かべている美汐を、竜人は元気付けていた。

 そして、その心のうちでは――


(あの時も……じゃったからの)


 ――絶対の自信と、隆景と同じような辛い気持ちを抱えているのだった。

















 そして数時間後――


「ふぅ。何とか大丈夫であった。衰弱がひどかったがそれだけであったからもう大丈夫。後は栄養をつけて休ませてやれば助かるであろう」

「よかった……です」


 多少疲労の色を見せながらも、落ち着いた様子で診療室から隆景は出てきた。

 隆景の言葉を聞いて、美汐はほっと胸をなでおろす。


「左様であるな。今は眠らせておいたが、眠りから覚めたら何か消化の良いものを食べさせていけば、遅くとも1週間後には全快するであろう」

「消化の良いもの……もしかして、こんな感じのものでよいのでしょうか?」


 相変わらず優しい親友の孫娘の様子を微笑ましくおもいながら、隆景は今後のことについて一応言っておこうと思って話し始める。

 その説明の中、美汐は先ほどの弁当のことを思いついたのか、竜人が忘れずに持ってきてくれていた弁当箱の中身を隆景に見せる。


「ほほう、なかなかであるな。これを少しすりつぶしたり、程よく暖めればちょうどいいである。なるほど、これはあの方の料理であるな、竜殿?」

「察しの通りじゃ」

(どちらも、相変わらずであるな)


 美汐が見せてくれた弁当の中身を確認して、感心したように隆景は美汐の言葉に頷いた。

 そして、この料理の作り手であろう人のことを予想して、隆景は目の前の親友の伴侶にして、もう一人の親友である女性の腕は相変わらずすばらしいのだなと考えていた。

 竜人はそんな隆景の考えを見越して、どこか気分よさげに――感の鋭い人にしかわからぬ程度の変化だが――頷く。

 そんな竜人を見て、隆景は表情を綻ばせる。

 素直に言葉で聞いたことは数少ないが、竜人がそんな料理上手なところ、またそれに限らない部分でも、妻のことをを誇らしく思っていることを知っているので、老成しても相変わらず中身は昔のような仲のよさであることが改めてわかって微笑ましかったのだ。

 また、この二人がこんなに元気なのも、美里の食に関する知識が大きいことは、職は獣医だが、とある理由から医学全般に精通している隆景としては良く知っていることなので、その意味でも美里の良さは隆景も知っている。


(ちょっと、うらやましいところであるかな)


 隆景は一人身のまま、この歳まで来ている。

 若い時分から全然気にしてはいなかったことだったが、この歳になってようやく色恋沙汰がわかってくるのだから自分は何者であろうかと隆景は自分のことながら笑っていた。

 なお、だからと言って寂しい人生だったと隆景が感じているかと言えば、実のところ、そう感じてはいない。

 不思議であるなと隆景自身、不思議に思っている。

 いずれ触れることはあるかもしれないが、その理由に気づいていないのは、当人だけなのである。



「あの、天恩先生?」

「お、おお、なんであるか? 美汐ちゃん」

「あの子を……見てきてもよろしいでしょうか?」

「ふむ、よいであるよ。しばらくしたら起きるであろう。ただ、あまり神経を逆撫でさせないように。あ、弁当の方は拙者があたためておくゆえ、安心なさい」

「はい」


 美汐は足早に子狐の元へ向かっていった。

 そんな美汐を微笑ましく思いながら、竜人と隆景は彼女を見送っていた。

 だが、美汐がいなくなった後、今回のことに関してのお互いの気持ちを互いに察しながら、二人は少し暗い面持ちで会話を交わし始める。


「なあ……竜殿」

「わかっておる。あまりにあの時と同じじゃ」

「もしそうならば――」

「……じゃが、どうすることもできん。優しくするなと美汐に言っても聞かんじゃろうし……わしもそんなことはしたくない。……あの狐があの子と同じという確証はないしの」

「――だが、あの子と同じならまだ幼い美汐ちゃんには……酷であるぞ」

「それが……あの子らの性分じゃというのか………よ」


 竜人が最後につぶやいた声はあまりに小さく、聞き取ることは誰にも出来なかった。

 隆景はそんな竜人を、彼と同じ感情を込めた表情で見つめながら、頭の中で遠き日の思い出が断続的に浮かんでいた。

 しかし今は考えるまいと思考を切り替え、二人はお互いに肩を叩き合う。

 そして隆景は、狐に与える食べ物をあたためようと、調理場へと足を運ぶのだった。





 数時間後の診療室――


「……?」

「あ、気が付きましたね」

「!?」

「あ、怖がらないでください、別に何もしません。これ食べられます?」


 ずっと見守っていた美汐は、子狐の気がついたことを心から喜びながら、話しかけた。 

 しかし、当然のことながら子狐は見知らぬ人間である美汐へと警戒心を強めている。

 そんな子狐に対し、美汐はもらっていた隆景のアドバイスと食べ物を有効に活用しようと、落ち着いて狐の相手をしようとしている。


「………」


 さて、狐の方は、美汐の対応の仕方がよかったのか、暴れるようなことはしなかった。

 それに、お腹はかなりすいていたから、狐も差し出された箱に入った食べ物から漂ってくるいいにおいがとても気になっている様子だった。

 なので、恐る恐ると言う感じながら、美汐に近づいていく。

 美汐はそんな狐の行動が嬉しくて、優しげに狐が食べやすいような位置に箱を置くのだった。

 そして狐は、目の前の人間が特に危険でもなさそうな気がしたのか、いいにおいに我慢が出来なくなったのか、ともかく多少は慰撫かしぎながらも差し出された食べ物を口にしてみる。
 
 すると――


「きゅーん♪ んぅ〜♪」

「おいしかったみたいですね。まだありますから落ち着いて」

「♪」

「くすくす…かわいいですね。あの穴の中でよっぽどお腹をすかせてたんですね」


 ――徐々に黙々とおいしそうに食べはじめ、よほど気に入ったのかとっても嬉しそうに狐は声を上げている。

 その様子がとてもかわいらしくて、美汐は穏やかに微笑みながら、狐をそっと撫でていく。

 最初こそやめてほしがってもいたが、狐もそうされていくうちに心地よくなってきたのか、美汐のなすがまま、というより、彼女に大分なつき始めているようだった。

 まだ幼い狐ということもあり、こういったあたたかさを気に入ってくれたのだろう。






「そういえば呼び名がないと不便ですね。私が名前付けちゃっていいですか、狐さん?」

「ク?」

「可愛いです……あ、んと、流石に言葉はわからないですよね。ではすいませんけど、勝手に名前を呼ばせていただきますね」


 さて少し時間が経ち、お腹も満腹になって、撫でられるのも気持ちが良くて、とっても満足な様子で美汐の側で狐は丸くなっていた。

 すっかりなつき始めている狐を可愛く思いながら、美汐はそういえばと、気がついたことを口にする。

 急に声をかけられた狐はつぶらな瞳を浮かべたまま、頭を少し捻る。

 どうやら、なにか尋ねられていることは理解してくれたようだが、内容まではさすがにわかってもらえなかったようだ。

 その狐の可愛らしい反応に思考が止まりかけながらも、美汐は気を取り直して考える。

 この反応だけでもこの狐さんは賢いのかもしれないと考えながら、でもさすがに何を言っているかまではわからないのは当たり前ですねと、少し自分の思考を可笑しく思いながら、狐の名前を考えてみる。


「女の子みたいですし……私の名前の漢字の一部とあの草原のイメージから……そう、夕菜というのがいいかもしれませんね。では、夕菜とよびますね。私は美汐、しばらくの間よろしくお願いします、夕菜」

「?」


 しばらくわかっていなかった狐も美汐が指を自分に向けたり、子狐に向けたりして根気よくやっていくうちに少しわかったらしい。

 コクリと最後は頷く姿が見受けられた。

 やっぱり賢い狐さんなのだと思いながら、どうやら気に入ってくれたようなので、美汐は嬉しそうに狐を抱えながら再び狐の頭を撫でた。

 そうされると、とても落ち着くのか、気持ち良さそうに狐は目を閉じるのだった。











 さて、それから二日後、天野家で狐は面倒を見られていた――


「こら! 夕菜、そこにいてはいけません。ああ、お皿の水をこぼしたりて」

「クァーーウ!」

「もう、私を威嚇したってしょうがないですよ」


 どうやら神社の祭壇用のお供え物がおかれてあった台の上に夕菜は上がってしまったらしい。

 美汐は叱りつつ、夕菜の態度に苦笑していた。


 その様子を複雑そうな顔で見つめるご老人三人。

 竜人、隆景、そして美汐の祖母――美里。


「もしやとは思いますが……」

「だが、どちらにせよあの光景の邪魔など出来ぬわ。ただ……あの子は友達は結構おるが、わしらのように本当に心を許せる同じ歳ぐらいの子がおらん。支えてくれるものがすくない。何かあってもわしらの前では無理して平気に振舞うじゃろうしな……どうしたものか」

「その原因は……あなた方と仲がよすぎて子どもだけの時間があまりなかったからかもしれませぬな」

「むむ。痛いところを……」

「そんな酷なことはございませんでしょう……」


 美汐の知らない事実を知る三人は、今の心配が杞憂であることを願った。

 だが…運命は残酷でしかない……



「もう……駄目ですよ」

「♪」



 まだ、この子たちにはわからぬことだとしても。










 そして、一週間後のものみの丘――


「ぐす……一週間など早いものですね。楽しかったですか? 夕菜。私は楽しかったですよ」

「?」

「あなたにも、親がいますでしょう。覚えてますよね?」

「きゅーん……」


 夕菜には状況はよくわからなかったろうが、仲良くしてくれていた美汐が泣いているので戸惑っているのだろう。

 だが、覚えのある親の匂いを少しだけ感じたためか、その意味でも戸惑っているようだった。

 いつもとても落ち着く美汐の腕の中も、美汐が泣いているためか、夕菜もどこか落ち着かないようで悲しそうに美汐に寄り添っている。

 そんな夕菜の姿が、さらに美汐の分かれたくない気持ちを高めてしまっていたが、美汐はその思いをなんとか振り切ろうと頭を振る。

 そして腰を下ろしていき、しがみつく夕菜を穏やかな仕草で丘の草原へと下ろしていく。


「きゅーん……」 

「……それ、気に入ったのですね。あげますよ。私のこと忘れたほうがいいかもしれませんが、それだけとれるまでの間だけでもつけててください」


 いつもやさしく抱きしめてくれた美汐が、そうしてくれないことを寂しく思ったのか、夕菜は悲しそうに自分の足についてある彼女からもらったものをいじりだす。

 美汐があげたもの、それはリボン。

 普通の子ほどではないかもしれないが、美汐もこういったものは興味がないわけではない。

 ただ、身に着けるにはちょっと恥ずかしく思い、買ったものの、どうしようかと悩んでいたら、ちょこんと側に夕菜の姿。

 狐さんには邪魔なものかもしれないけれど、少しだけと思い、美汐は夕菜の足につけてみた。

 すると、夕菜はひらひらが面白かったのか、綺麗に思ったのか、とにかく気に入ってくれたので、美汐は微笑ましく思いながら贈り物ということにしたのだ。

 家でもあまり動きすぎると外れて、困ったように鳴く姿が見受けられるくらい取れやすいものだから、この草原ではすぐ外れてしまうだろう。

 それでも、ここで外すことは美汐にはできなかった。

 その思いは自分の寂しさのあらわれ。

 自分でもそれがわかり、また涙が止まらなくなり始めた美汐はこのまま長くここにいては耐えられないかもしれないと思い、顔を伏せながら美汐は立ち上がる。


「……じゃあ、私は行きますね。ほら、故郷にお戻りなさい」

「ク?」


 だが、離れようとする美汐に夕菜はくっつこうとする。

 美汐は自分の内にある思いを我慢しながら、根気よく、自分から夕菜を離す。

 しばらくその繰り返し……そして、さすがにあきらめたか、あるいは嫌われたと思ったのか丘の方に夕菜は向かいだした。


「私……大好きでしたからね……あなたのこと……元気でね。夕菜」


 涙を流しながら、そう言葉を漏らす美汐。

 それが聞こえたのか、夕菜は振り返る。
 
 しかし、もう美汐は丘とは逆の方向に向かって走っていた。



「これでよかったんですよね。親に毎日会えないのはさびしいですから……」


 彼女の両親は仕事で日本中を飛び回っている。

 めったに家に帰ってくることはない。

 祖父や祖母のおかげでそれほど辛くはないが、やはり親と子が一緒にいない寂しさを美汐は知っている。










 これだけでも……辛い別れ……だが、この先にもっと辛い別れを美汐は経験することになる。


 この別れは……皮肉にもまだ良いほうであった。


 不思議な力、奇跡とは時として悲しいものとなる。


 人の、不幸という形で














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