時をこえる思い 第十六話 龍牙作

「姉弟、その…家族」 









「ふぇ〜。恥ずかしい所を見せちゃいました」

「はは、いいじゃないか。本当に言いたかったことをいえて、うれしかったろ?」

「はい!!」


 一頻り一弥を抱きしめながら泣いた後、佐祐理は恥ずかしそうに顔を赤くしていた。

 でも、祐一の言葉に、佐祐理は涙の後は見せつつも、満面の笑顔を表情に浮かべて頷く。

 そこからは先程まであった悩みも迷いも、ずっとしまい込んでいた何かを我慢する苦しみも、全て吹き飛んでいた。

 その笑顔は、祐一がずっと見たかったもの。

 一度は失ったあの太陽のような明るい笑顔……いや、それ以上かもしれない佐祐理の本当の笑顔。

 それが見れたことで、祐一は目頭が熱くなり、自分の感情を止められなくなりそうだった。

 だが、何とか我慢して、二人に不信……いや、この二人ならばむしろ心配するであろう。

 だから、そうさせないようにと努めて明るい口調で祐一は話を続ける。


「さて、一弥君。約束どおり俺の名前を教えよう。佐祐理さんも聞いてくれ。俺の名前は相沢祐一。何でも知ってて、何でもできる、すごいやつだ。でもごめんな、佐祐理さん。いきなりいろいろ言って……」

「いえ、感謝してますよ。祐一さんには」


 端から見ると、怪しい自己紹介ではあったが、佐祐理は終始にこやかに微笑んでいた。

 自分の心の闇を取り払ってくれた魔法使いのお兄さんを見るような、感謝の目を向けられた祐一はちょっと照れくさかった。

 少し冗談まじりで言った言葉だけに、真に受けてもらえた場合の反応には困る。

 初対面で、舞の恋人宣言をしたときの佐祐理の反応を思い出し、なかなか手ごわい先輩だと改めて祐一は思うのだった。

 そしてふと、佐祐理が年上であることが意味することを思い出して、祐一は口を開く。


「感謝してくれるのはありがたいけど、出来れば、一弥君に話してるように話してくれるとうれしいな。俺のほうが実は年下なんだ。それにそのほうが仲良くなったみたいでうれしいし」

「あははーっ、じゃあ、祐一くんって呼ぶね。でも、一弥以外の男の方にこうやって話したことないから、慣れるまでは待ってくださいね、祐一くん」

「う〜ん。確かに敬語が混ざっちゃったね。でも『祐一くん』になっただけでもよしとするか……」

「あははーっ」

「あの……」

「ん? なんだい? 一弥君?」

「祐兄さんって……呼んでもいい?」

「おお! もちろんかまわんぞ。俺も一弥、って呼び捨てにするからな。あ、あと少し言葉遣いが悪くなるかもしれんがいいか? もう変わってる気もするが……」

「うん。いいよ。祐兄さん」

(祐兄さんか…なんかくすぐったい響きだな…さて…まだ終わりじゃないんだよな……)


 佐祐理と一弥の自分の呼び方が決まって、祐一は二人との関係が改めて始まった気がした。

 しかし、その門出を祝う前にもう一つやらなければいけないことがあると、祐一は病室の外から感じる視線に意識を向け始めていた。 







 さて、時間は少し戻り、佐祐理が病室に入る前ごろのこと――



「御呼びだてして申し訳ありません」

「いえ、かまいません。水瀬さんと相沢さんにはずいぶんとお世話になっていますし……」


 病院のロビーでは秋子、一葉、そして佐祐理たちの両親、倉田冬弥(とうや)、倉田佐理奈(さりな)が顔をあわせていた。

 お互いとても丁寧な挨拶を交わしている。

 しかし、倉田夫婦は、内心ではこの場所に呼ばれた理由がわからないので秋子たちに疑問を抱いてはいる。

 その疑問を解決しようと、冬弥は努めて落ち着つくようにしながら口を開く。


「ですが、どういったご用件でしょうか?」

「まずはこちらへ」


 だが一葉は、冬弥の質問には直接答えることなく、夫妻をとある場所へと案内するのだった。

 そして、到着した場所は一弥の病室。


「ここは……」

(一弥の……なぜこの二人がここを……?)


 佐理奈は着いた場所がどこかわかって驚き、つい呟きそうになった。

 冬弥もまた、口にこそ出なかったが、何故一葉たち二人がここを知っているのか疑問に思っていた。


「お静かに……この部屋の中をしばらくのぞいていてもらえませんか?」

「……はい?」

「どうか…お願いします」


 冬弥でなくとも明らかに解せない話ではあった。

 しかし、この二人のおかげで、政治理念の内容の充実化や、後援会との連携も予想以上にうまくいっているのであり、二人のたっての頼みを無碍に断るわけにもいかなかった。

 だから、倉田夫妻は一応承諾し、部屋の中を覗き込む。

 そして二人が見たものは――




「おはよう。おねえちゃん」




「「!?」」

(グットタイミングゥ〜♪)




 ――それは、今まで話すのを見たことのなかった息子の言葉を話す姿だった。








 そして、三人の子どもの先程までの全ての会話と様子を、倉田夫妻は見ていたのである。





「「私は……」」

「今はここでとやかく言っているときではないのではありませんか?」


 病室の中で起こった出来事を目の辺りにし、夫妻は呆然と何か悔やみごとでも呟くかのように呆然と独り言をもらしそうになっていた。

 しかし、そんな二人を秋子は静かな声で嗜める。


「そう……ですね。ところであの…少年は……?」

 
 秋子の静かな声に、少しだけ冬弥は気を取り直す。

 そして、まだ呆然としている様子は抜けていなかったが、現実を理解しようと一葉に質問する。


「私の息子です」

「そう…ですか。良いお子さんをお持ちだ……」

「そろそろ…あの子達の話も落ち着いたようですし、お行きになってください。私たちからは、何も申しません。ご自分たちで理解してください」


 一葉もまた、夫妻を導くかのように、静かな声で二人を諭す。

 そして、夫妻を病室へと向かわせるのだった。
 



 キィ



「「佐祐理……一弥…」」

「「!?」」

(なるほど、ここで会わせるわけか……多分、さっきの話を全部聴いていたんだな。……つうことは母さんたちにもか……その点に関してはちょっとはずかしいな)



 祐一のこんな思考をよそに、倉田姉弟は突然の両親の登場に驚いていた。

 そして、思っていた。

 しかられるのではないだろうか? 

 やっぱり、甘やかさないでと言う言いつけを破ったことを怒られるんじゃないだろうか? 

 そして、せっかく仲良くなった祐一ともう会えなくされてしまうんじゃないか? 

 数々の疑念、困惑、悲しみ……そこには、先ほど楽しそうに話しながら表情に浮かべていた笑顔は、かけらも残っていなかった。

 それは、子供が隠し事を親に見つけられたときの表情……いや、そんな言葉で表現されるレベルではない、とても暗い表情だった。



「…………は…はは……これは…どういうことだ? 私は……何だ……? この子……たちの……父親…ではなかったのか? この見知らぬ…少年には見せてい たあの笑顔……そう笑顔だ…私は…一弥の笑顔など…今まで…見たこともなかった……その笑顔…私が…ただ…出てきただけで…跡形も残さず…消えた……。い や… そればかりか…こんな…悲しい…表情に…変わってしまった」

「あなた……」

「お父様……」

「………」


 そんな表情を見た冬弥は、心底ショックを受けていた。

 もちろん、自分がこの場に入れば子どもたちが驚くのは無理がないとはわかっていた。

 しかし、今まで見たこともない自分の子どもたちのあのうれしそうなあたたかい綺麗な表情に心打たれていたこの人には、この表情の変わりようはあまりにも辛いことだった。

 そして、自分は最近こんな表情ばかりしか知らないように思った彼は、この子達にとって自分はなんなのかわからなくなってしまっていた。

 それだけ、先程まで見ていた一弥の楽しそうな様子と佐祐理の涙は父として大きな打撃であったともいえる。

 錯乱状態とも言える彼を見て、妻である佐理奈は心の中では冬弥と同じ心境なため鏡を見ているかのような気持ちで呼びかけていた。

 佐祐理は当然のごとく、普段は見たこともない父の様子に驚き、且つ心配していた。

 一弥にいたっては少しおびえてしまっている。

 
 


「…私は……何をしていたのだ………私は……」

「倉田さん」


 そんな冬弥に祐一は静かに呼びかける。


「……祐一君……といったか…君は…はは……笑ってくれ……こんな惨めな親を……政治活動がうまくいくことだけに邁進して…有頂天になっていた……愚かな……私を……」


 この見知らぬ少年に見せていた、親である自分が一度も見たことがない笑顔。

 それが自分の登場、いや、もしかしたら自分の存在そのもののために消えてしまった。

 そんな風に感じて、何も思わない親はどうかしているだろう。

 この倉田冬弥という父親もそこまでどうしようもない親ではなったようだ。

 力なく少年に彼は声をかける。


「笑いません。ですが、言わせてもらいます」

「…なんだね?」


 打ちひしがれていたこの人には、もはや祐一が少年に思えてはいなかった。

 尤も今の祐一の雰囲気は、姿とは明らかに異なる迫力があった。

 今の冬弥でなくとも雰囲気に敏感な人ならば気圧されてしまうだろう。

 そうでなくとも、姿の幼さは外見の迫力のなさとは逆に、時としてそれに恐れすら感じさせる純粋さをその瞳に生み、祐一は見るものの心を貫くかのような目をしていた。


「仕事が忙しいのもわかります。なぜ、一弥君を普通の幼稚園に入れたかも…わかりたくないですが…わかります。でも……そんな体裁や厳しさが混同しているような仕打ちが…いったい何になったっていうんですか!!」


 祐一の言葉には怒り、そしてはっきりとした意思が込められていた。

 それは、その場にいる全てを黙らせるほどの不可視の気を感じさせるほどであった。

 
 前に述べたとおり、冬弥の判断は良い厳しさとも取れる。

 障害があるからといって必ずしも特別扱いすることだけが、良いことではない。

 しかし、この場合、名家倉田家の名が裏にあった。

 倉田家の名を下げないためには教育もきちんとしたほうが望ましい。

 そんな考えが冬弥の行動を多少なりとも縛っていた。

 そして、その束縛が、一弥の健康を見定める目を狂わせていたのだ。



「一弥君の容態をしっかり把握していれば! 普通の幼稚園に入った後、その先に待っている辛さに……一弥が耐え切れるはずもないことぐらい、大人のあなたたちならわかるはずでしょう!!」

「……その通りだ」

「あなたたちは、佐祐理さんを信じていたかもしれない! 親が姉や兄に、下の子の面倒を見させることは確かに普通のことです。だが! 親であるあなたたち が、数年間一度たりともその様子をかえりみないなんて、いったい何を考えているんですか!! 子供は完璧じゃないんです! どんなに忙しくても…一度も何 も言わないなんて何考えてんだ!!!」

「………」


 
 最後には敬語すら忘れて激昂する祐一。

 それだけ佐祐理への妄信とも取れる態度をこれまでの調べから知っていた祐一には、納得いきかねるものがあったのだ。

 自分でも感情的過ぎるのかもしれないとは思う。

 だが、口を開いたらその気持ちを止められなかった。

  
 その祐一のまっすぐな怒りを、倉田夫妻はそのままその身に受けていた。

 事情と言うものはある。

 しかし、少年の言っているまっすぐな考えも真実であることも確か。

 そして、自分たちは今、自分の子どもたちのあのあたたかな笑顔や涙を知った。

 あれを知ってしまったら……どんな理論武装もあの子達の実の親である自分たちには何の意味もない。

 実の親が、あんな見ていて心からあたたかくなるものを知らなかった。

 ただそれだけで、自分たちには何も言う権利はないのではないかと夫妻は心をえぐられる気持ちで一杯だった。




 二人には、もう祐一が伝えたいものは届いていた。

 だから、もうそこまででいいだろうと祐一の怒りを止めたのは……誰あろう――



「祐兄さん……もう、父さまたちをしからないで」



 ――ずっと苦しんでいた、この子だった。



「一弥……すまない…少し言い過ぎた…やっぱり…こういうのは怖いよな」

「うん。僕はやっぱり…祐兄さんが言ってたように…みんな笑ってたほうが…うれしいよ…」

「…うぅ……ぐす……」

「……一弥……」


 幼い息子のまっすぐな思い。

 それを初めて受け取った母親は、感極まって嗚咽を漏らし始めていた。

 息子の思いを込めた声も、その綺麗な表情も……みんなこの親にとっては初めて見たものだった。

 見えなかったけれど、本当は側にあるべきであった、自分にとって本当に大切なもの。

 それに出会えた感動と、今まで知らなかった自分の愚かしさ……いくつもの思いが、この母親の目から涙となって流れ始めていた。

 父親もまた、母親と同じ思いで唇をかみ締める。

 父として、泣く前にまず何かを言葉にしなければとは思うのだが、出てきた言葉は息子の名前だけで精一杯だった。


「倉田さん。……一弥君はいい子ですよ。言葉は、話せなかったとしても…人の気持ちを思うことができる子なんですから……」

「……くぅ……っ!」

 
 祐一は、感情的になっていた自分の気持ちを既に静めていた。

 そして、ポツリとつぶやく。

 「立派さ」にはいろいろあるかもしれない。

 けれど、今一弥が持っている類のものだけで、今はまだ十分なんじゃないかと祐一は心底そう思っていた。

 冬弥は祐一のその心の一石で、我慢していた涙の堰が少し崩れてしまった。

 自分が知らなかった、息子が持っているもの。

 この一時だけは冬弥も、感情の赴くままにその意味をかみ締めていた。

 
「倉田さん。いろいろと出過ぎたことを言ってすみませんでした。俺の本当に言わなければならないことは一つです。一弥、そして佐祐理さんとともに、出来るだけ一緒に歩んでいってください……」


 自分は倉田家の行っている仕事の苦労も、子育ての難しさも、本当の意味で理解しているとはいえない。

 だから、祐一は本当は自分はそんな大きなことが言える立場ではないとは頭ではわかっていた。

 しかし、たとえどんな背景があろうと、佐祐理と一弥がこのままでは不幸になってしまうことを見逃していい理由にはならない。

 どんな理屈と現実が目の前にあっても、佐祐理と一弥が笑顔で心を通わせることが大切であることには変わらない。

 祐一はそのことだけは、この夫妻に本当に理解してほしかった。

 大切なあたたかさを知ることはそれだけで、意識が変わる。

 祐一は、これまで過ごしてきた時間からそう考えている。

 それを知った上でも残ってしまう問題は、この家族本人たちと自分がこれから改めて片付けられるだけ片付けていく。

 それが、自分が考える一番の方法。

 祐一は心静かに頭の中をそう整理しながら、感情に任せた言葉ではなく、自分が本当に言うべき言葉を口にするのだった。




「……う……う…」

「……佐理奈…今は泣くことよりも…することがある」

「……はい」


 祐一の言葉を聞いた冬弥と佐理奈は、自分たちの子どもと向き合う。

 どう自分たちが変わらなければいけないかは、今すぐにわかるものではない。

 でも……今、やれることが一つはある、と、二人の親は確信するのだった。



「「佐祐理……一弥………」」

「お父様……お母様……」

「……うんっ」


 親が子を抱きしめる。

 娘はそうされることに温かさを覚え、息子は両親の今までの謝罪と今の気持ちをなんとなく理解する。

 言葉にしたいことは多い。

 だが、それを言葉にすることがなかなできない。

 けれど……今のこの家族に、言葉は必要なかった。





「良かったな……佐祐理さん…一弥」



 祐一は一弥の体を癒す秘術も知っている。

 だが、祐一は微笑みながら、その術は要らないなと感じていた。

 尤も彼は、こんな形で自分の探した力が無駄になるのなら…それはそれで満足だと感じていた。





 そして――





「ぐす………今回はあの子を…からかえないわね……」

「祐一さん、がんばりましたね」

「うん。それに親は親同士なんて、言ったけど…最後は結局あの子のおかげだったし」

「そうですね…」


 今の病室の光景。

 それにあたたかなものを感じながら、二人は自分たちにとって何よりも大切な少年にも思いをはせていた。
 




 また別の場所――



「ぐしゅぐしゅ……よかった」

「うん。ねえ……舞?」

「うん?」

「あの子達と友達になろうね…」

「ぐしゅぐしゅ…はちみつクマさん」



 舞と幸はその力で何が起こっているかずっと見ていた。

 その光景から感じた思いを素直に表しながら、目に涙をためている。

 幸は自分の知る未来を思い返し、今度はいろんなことが違いつつも、また大切な親友同士になれるだろうと胸を高鳴らせていた。

 そして、思う。

 新しい未来を佐祐理も舞も、きっと作っていける、と。

 

「きっと……」





 

 

 






 





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