時をこえる思い
 第十三話  龍牙作 

「少年の決意」












 祐一の休息は終わり、季節は変わりゆく。

 白く冷たい雪に長きに渡って覆われるこの街も桜咲き乱れる春を経験し、そして夏へと移り変わる。

 並木道を歩けば蝉の声が聞こえ、その木々の下では水鉄砲で遊ぶ子どもたちをみかけることもできるこの季節。

 今、ある一人の少女が歩いている並木道でもそんな光景を伺うことが出来ていた。

 しかし、周りのそんなにぎやかとも言える光景の中で、この少女だけはポツンと違う空間を静かに歩いているような雰囲気を作っていた。

 彼女の瞳に湛えられている悲しみと寂しげに歩いているその姿は、とても周りの光景に溶け込めるものではないのである。


「………一弥…」


 この少女の名は倉田佐祐理。

 彼女は今、病院から自宅へ帰る途中なのだ。

 彼女がつい先刻までいた病院には、彼女の弟である一弥が入院している。

 悲しみの込められた彼女の瞳は、そういう意味を表していたということ。

 だが、弟が入院した事実だけが彼女の気持ちを暗くしていると言うわけでもない。

 彼女の気持ちを暗くしている要因のもう一つは、目の前の光景にある。

 喩えその光景を微笑ましく思えなくても、彼女の瞳には弟と同じくらいの歳の子どもたちが遊んでいる姿は確かに映ってはいるのだ。

 そして、その瞳に映った光景からわかったことが彼女にはある。

 わかったこと――それは、同じくらいの年齢であるはずなのに、今、病院で苦しんでいる弟とこの子どもたちの様子はあまりにも違うということ。

 そのことがわかった彼女の心では、とある疑問が浮かび上がりだしてきている。

 その疑問とは、正しいと信じて自分が弟にしてきたこと――それは、本当に正しかったのだろうか、というようなもの。

 ただし、佐祐理はまだここまではっきりと自分の中に生まれた疑問がどんなものであるかを自覚はしていない。

 だが、一弥が入院したときにこの疑問の芽は佐祐理の中で既に生まれ始めていた。

 そして今、並木道で遊ぶ子どもたちの様子を見たことでそれが大きくなり始めたのである。


「………」

 
 しかし、自分の中に生まれたその疑問を自覚し、更にはその疑問に答えるということはまだこの幼い少女にはできなかった。

 今、彼女の心の中に生まれた疑問は、それだけ今の彼女にとってはどう扱ったらいいかわからない――いや、気づくことさえも難しいかもしれないほどの大変なものだった。

 だから今はただ……自分の感情であるはずなのに、自分ではよくわからない暗い気持ちに佐祐理は押しつぶされそうになるしかなかった。

 そうしたもやもやした心のまま、他の感情――病気の弟への心配、これまでの全てが崩壊してしまいそうな不安等――をも抱えながら、彼女は辛そうに帰りの道を歩く。

 その足取りはとても重いものだった……。








(佐祐理さん……)


 さて、そんな様子の佐祐理の気持ちを察しながら、祐一は少し離れた場所から彼女のことを見つめていた。

 既にこの街に訪れていた彼は、現状の確認もかねて佐祐理の様子を見に来たのである。

 彼女の悲しげな瞳そのものは彼のいる位置からは見えないが、その寂しげな雰囲気で歩いている姿を見ているだけで祐一は心が痛む思いを感じていた。

 そうやって佐祐理のことを案じながら彼女のことを考えていると、ふと彼女と過ごした時間もまた祐一の頭の中には浮かんでくる。

 特にこれからすること思うと、ある記憶が祐一の中では鮮明に思い出されていくのである。

 その記憶とは、佐祐理が彼女自身の気持ちを話してくれたときのこと――

 











『佐祐理は一弥を失ったとき、手首を切ったんです』



『……えっ』



『一弥を失ったのは、佐祐理のせいなんですから』



『それは…違うだろ』



『聞いてください。そんな佐祐理でも出会えたんです。がんばれる目標…舞に……』



『舞に?』



『不器用で、誤解されやすい舞だけど…やさしい舞を…佐祐理は幸せにしてあげたいんです』



『佐祐理さん……』



『そうすることで佐祐理も幸せになれるかもしれません……』



『…………』



『だから、がんばっている最中なんです、佐祐理は……』



『……そうか』



『……だから、もう少し待ってくださいね、佐祐理が祐一さんに『おはよう、祐一くん』と呼べる日を』



『ああ』





この時より少し前に、祐一は死んでしまった弟の一弥の話を聞かされていた。

そして、佐祐理に過去の記憶に縛られずに自分と接してくれないかとこの時願った所、佐祐理はこんなことを話してくれた。

佐祐理の思いを知った祐一は、ここまで話させなければ佐祐理の気持ちに気付かなかった自分を情けなく思った。

そうは思いながら佐祐理の頑張りが果たされる日を彼は期待しながら待ち望んだ。

しかし……










(あの日の後……佐祐理さんは舞と魔物の戦いに巻き込まれ、怪我をしてしまった……)


 様々な条件が重なり、佐祐理の身に起こってしまった不幸。

 そのことで心を乱し、またとてつもない後悔を抱いた舞。

 佐祐理が怪我をした次の日に半狂乱に陥りながら窓ガラスを剣で割りながら涙を流した舞の姿からして、その心の乱れはどれほどのものだったかがわかるだろう。

 さて、このときは祐一が必死に呼びかけてくれ、そして飛び込んで止めてくれたことによりなんとか舞は多少心を落ち着かせることができたのだが、その後、今回のことから舞は全てに決着をつける決心をする。

 そして最後の戦いが始まり……全てが終わった時にわかった真実と起こってしまった出来事……。

 あの時、祐一はその結末を誰かに話せるような心の状態ではなかった。

 しかし、起こった事実だけを佐祐理が知る方法はいくらでもある。

 そう……佐祐理は舞がどうなってしまったのかだけは知ってしまったのだ。
 

(馬鹿だよな……俺は。もっと早く俺は佐祐理さんと話すべきだった。たとえ結果はかわらないとしても……)


 しばらく時間が経ってから、何とか心を奮い立たせて佐祐理に会いに行った時、祐一が見たものは生きる気力を失ったかのような彼女の姿だった。

 傷の治りも遅いため、寝台に横になった彼女。

 その表情には、あたたかな笑顔はもはやどこにもなかった。

 ただ静か過ぎるほどに天井を――いや、天井すら見ていないのかもしれないが――見つめている光のない瞳を湛えたその姿を見た祐一は、どこまでも尽きることのない後悔を覚えたことを今でもその心に抱えている……。


(何度呼びかけても……俺の声は届かなかった……な)


 後に入院した名雪や香里とは違い、意識だけは佐祐理にはあるはずだった。

 しかし、何の反応も示してはくれなかった……。

 彼女は一弥を失った時のように、再び自分を他人事のように思う心の極致にあり、かつてよりも輪をかけて何事にも関心を持てなくなってしまっていたのだ。

 自由に刃を持てる体と環境になれば、再び、流れるままに自分の手首に刃を当ててしまうかもしれない。

 今は単にそれを行える状態でもなく、またそれを行うということにさえも関心が及んでいないだけに過ぎなかった。

 それほどまで彼女は希薄で、ただそこにあるという空気のような心で、寝台に横になっているだけなのだった。



(……俺は……本当は……待つだけでよかったはずだった)


 あまりにも悲しいあのときの結果を思い出して、祐一はふと思う。

 本当ならば舞と過ごしていく時間を通して佐祐理が自分を赦せる様になり、自身をわたしと呼び、一弥にしか話さなかった敬語ではない言葉で彼女が自分に話しかけてくれるのを、自分は待つだけでよかったはずなのだ、と。

 
(それが……他ならぬ俺のせいで全てが無に帰してしまった……っ!)


 祐一は、自分がしてしまったことに怒りさえ覚えながら唇を噛んでいた。

 佐祐理が怪我を追う原因となった魔物と舞の戦いは、過去に舞が祐一と別れたくないためについた嘘――魔物が来るから一緒に戦って――から始まってしまったもの。

 そのことを思うと、自分が舞の言葉から彼女の気持ちを察し、もっと別の形であのときお別れをしていたらこんなことにはならなかったと祐一は思う。

 さらには、佐祐理が怪我を負う直前のあの時のことを考えると、祐一は後悔と悔しさでどこまでも自分が腹立たしくなる。

 あの時、佐祐理は夜の学校に行く前に水瀬家に電話をかけてくれていた。

 しかし、祐一はちょうどその時、佐祐理が学校に向かってしまったのではないかと不安になって家を飛び出してしまっていたのである。

 だから、自分が焦らず、もう少しだけ家に留まっていたなら、佐祐理が夜の学校に訪れることは避けられたかもしれないと祐一は考えているのだ。

 祐一は、このように自分が悪いのだと自分への憎しみとも言えるような感情を抱いている。

 だが、全ては可能性の問題であり、祐一だけでなく舞や佐祐理自身を含めて誰が悪いと簡単に言えるようなものでもない。

 むしろ、このような不幸に際し、誰が悪いなどと問題にして人の心を傷つけること自体、あまり良いことではないとも第三者から見れば考えることも出来るだろう。

 しかし、祐一が自分の過去の過ちや判断の甘さがどうしても許せないこともまた、当事者である人の心としては仕方のないことなのかもしれない。


 今の彼はただ……その胸に抱える思いを背負いながら、これからすることへと向き合う。







(俺がこれからしようとしていることは、ある意味命を軽んじる行為……)


 未来では失われるはずである命を、自らの判断において救う。

 この行為は、命を簡単に奪うのこととはまた別の形で命を軽く見る行為なのかもしれないと祐一は少し思う。

 それに……本来ならば一度失えば戻ることはない命、それが戻ることが出来るとなってしまえば、一度くらい失ってもいいのだという思考に道を間違えれば繋がってしまうかもしれない。

 そうなれば、必ず生き返る保障もなく、また、一度でもそんな不幸が起きればどんな悲しみや不和が生まれるかわからないということも忘れさせてしまいかねない。

 さらには「救う」と言う良い面ばかりににとらわれて、自分の行動一つで「失う」ということも起こりえるのだと言う面も忘れてしまうかもしれない。

 良いことのように見えて、その中には危険をはらんでいるというこの危険性を祐一は時の間で数々の出来事を見たおかげで知識として得ている。

 そして、知識として知っていることが現実の問題と関係するようになった今、少しだけ震えが彼の体を襲っていた。


(……だが、喩えそうだとしても……俺は自分のしたことの代償を払いたい…………ぷっ、あははは!)


 自分が進む道は、間違ったものと常にとなりあわせかもしれないという不安を感じつつも、祐一はこの道を行こうと決意を確かめる。

 しかし、心の中で自分が続けた言葉を自分で振り返ってみたら、祐一はふと可笑しさがこみ上げてきた。


(ふふ……そんな思いつめたものなわけない、よな)


 祐一は、自分は罪の償いなんていうそんな重いもののためにこれから頑張るのか、と自分を振り返ってみたらそれは違うだろうと思ったのだ。

 と言うより、そもそも自分はそんな殊勝な人間じゃないだろうと思って可笑しくなってきた、というわけなのである。


(……俺は佐祐理さんの笑顔が見たい。一弥と一緒に楽しそうに過ごしていく姿を見たい、だろ?)


 そして、単純馬鹿だと言われようが、これが、自分のまごうことなき真実だろうと祐一は自分に確認をとってみていた。

 あのあたたかい佐祐理の笑顔が自分は好きだった。

 しかも、今回うまくいけば、悲しみを裏に隠したのではない本当の笑顔も見れるかもしれない。

 そう思うとわくわくとさえしてくる。

 確かに、いろいろ難しいことも不安に思うこともある。

 しかし、自分の願いは、自分にとって何よりも大切なものだし、それに彼女たちが笑顔で生きていけることが悪いことだと言うのなら、進んで悪いやつになってやろうではないかとさえ祐一は思えてくる。

 自分が明らかに間違った道を進めばどうなるか、時の番人に念を押されてはいるが、ここだけは何が何でも譲る気はないぞと祐一は強く思う。

 それに……間違いであってほしくはないとも思う。

 せめて今は、自分が望むものは間違っていないと信じて進みたい。

 それが、どんな難しいことを抱えていても、これからすることをしたいというのが今の自分の中の正直な気持ちなのだと祐一は自分の気持ちを確かめる。

 こうして、自分の中にある本当の気持ちを確かめた後、祐一は意識を現実へと引き戻し、もう見えなくなり始めていた佐祐理の姿をもう一度見つめながら、祐一はこれからすることへの決意を確かめていた。

 そんな彼の顔には、ほんの少し前とは明らかに違う晴れやかなものが見える。




 祐一の中には暗いもの、重いもの、純粋なもの、明るいもの……様々な思いと大切な願いがある。

 最初のように自分を苦しめるだけで終わるかどうか。

 その答えは、彼の持つ純粋な気持ちと、これから彼が自らの願いの先に得ていくもの次第なのかもしれない。



 また一つだけ……彼はあの悲しい未来の病室において気づかなかったことがある。

 それもまた彼自身の新たな未来へと関わっていくことになるだろう。 






 

 さて、今はまず、確かに祐一の未来へと関わっていくであろうものたちへと目を向けよう。

 佐祐理を見つめていたのは祐一だけではないのだから。

 祐一の心を癒すことができるかもしれない少女たち。

 祐一の願いの果てに新たな未来を歩み始めたその少女たちもまた、悲しい表情で歩いている未来の親友を見つめていたのである。


(舞……あの人なんだよ…)

(とても…悲しそう…)

(うん。でもね。本当は笑顔の似合うやさしい人なんだよ)

(助けたい…。あたし、がんばるから)

(うん。舞ががんばればきっとうまくいくよ)


 舞は人の感情に敏感なその優しさから。

 幸は舞と同じ優しさと、そして未来を知るものとしての深い思いから自分たちのすべきことを確認していた。

 彼女たちたちの行動もまた祐一のこれからの道の道しるべとなってくれる……そう、思える光景だった。 








 










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