それは、ある女生徒の物語。

 勉学に励み、けれどこれといって得意な科目はなく。

 運動が好きで、けれど人並み以上の記録は持たず。

 友人に囲まれ、けれど本当に好きな人からは見向きもされない。

 そんな、満たされない人生を送っていた、ある女生徒の物語――。



























ある少女の物語

























 もはや言葉に意味などなかった。

 問答無用の殲滅戦。

 慈悲なく情なく容赦なく。

 彼女目掛けて投擲される、剣、剣、剣。剣の雨。

 一着しかない制服のあちこちを無残に引き裂かれ、自慢のツインテールは片方をバッサリ切り裂かれていた。

 でも、走ることだけは決して止めない。

 否、止めることなど出来はしない。

 息は切れ切れ、汗だくになり、獣じみた姿勢と鬼のごとき形相で人外の速度を誇る彼女は、 彼女よりも尚常人離れした魔弾の射手に、その命を狙われて続けているのだから。

 立ち止まるどころか、ほんの少しでも速度を落とせば、その瞬間に蜂の巣となる。

 それは予想でもなく、予感でもなく、ただ純然たる事実であった。

 まとわり付く視線、突き付けられる殺気。

 射手の射程は広く遠く、狩人の腕は確かで厳か。

 そのあまりに大きな能力差に、けれど、少しばかり安堵する。

 何せ、体を動かしてる間は余計なことを考えずに済む――のだけれど。




 「――しつこいなぁ、もう」




 鈍く光る月の下。

 徐々に冷え込み始めた晩秋の風を肩で切る。

 緊張感の欠けた笑顔に、どこか困ったような色を孕ませて。

 だが、それも一瞬の出来事。

 実際のところ、笑みを浮かべる余裕などあるはずがない。

 必殺必中を以って放たれたと思われる不意打ち気味の初撃を偶然と勘によって回避した後、 以降は一秒の休みもなく命の危険に晒されている。

 狂ったようにばら撒かれた牽制に混じって初撃を更に上回る必殺の弾が放たれたり。

 途中、あえて空白の間を挟むことでこちらのペースを崩そうとしたり。

 挙句、八方から一斉に射撃されたときは流石に死ぬかと思った。

 ――まあ厳密的には既に死んでいる体だが。

 ともあれ、上下左右、前後も含めて、 どこから狙われているのかさえわからず、おおまかな見当すら付かない。

 人間離れした身体能力はあっても戦闘経験など微塵もない彼女にはまさしく未知の恐怖であった。

 けれど、比較するならそれさえ些事。

 一寸先に肉塊となった自分がちらちらと見え隠れするような状況だが、 それでも尚、独りで迎える夜の方が、彼女にとっては何倍も怖かった。




 曰く、血が欲しい――と。




 声は体の奥深く。

 暗くて寒くて狭い箇所から、執拗に滲み出る禁忌の衝動。

 その囁きに。

 揺さぶられたのは、果たして心か。あるいは体か。

 ある夜を境に、彼女の在り方は大きく変わった。

 大切なモノをいくつも奪われ、押し付けられたのは欲しくもない力と知りたくもない知識。

 日の下に出られぬ壊れた体と、心を蝕む一言の呪詛。

 乾いた喉はとっくに枯れ果て、禁忌の衝動が彼女を包む。




 「――っ!?」




 その刹那。

 彼女の動揺を見逃すことなく、悩む間隙すら与えずに。

 まるでその考えこそが罪悪であると言わんばかりに。

 続けて放たれた剣、剣、剣。剣の雨。

 慌てて回避、即座に距離を取る。

 足裏がコンクリートの路面をぶち抜き、小柄な体躯を丸ごと弾丸と化して。

 どういう仕掛けか知らないが、彼女を狙って射出された剣は射手の意思で爆発、炎上させることが出来るらしいのだ。

 その威力は逃亡中、一度地下の駐車場に逃げ込んで待ち伏せしたときに、身をもって体験している。

 落盤による生き埋めか、火災による炙り出し。

 相手方としてはどっちに転んでも問題ないと見たのだろう。

 そのせいでビルが一つ倒壊しかけたと言うのに。

 とんでもない発想だ。

 およそ無茶苦茶も良いところ。

 形振りかまわず追い回され、それ故に、形振り構わず逃げ回る。

 休む暇などありはしない。

 真っ白な吐息に溜息を混ぜて、何処とも知れない出口を目指し、彼女は再び走り始めた。




 彼女の名前は弓塚さつき。

 秋の終わりに一度死に、その翌日に生まれ堕ちた、まだ歳若い吸血鬼である。























 「……ふむ」




 ほんの僅かな呟きに、感嘆と驚嘆、少しばかりの嫉妬も交えて。

 青年は静かに弓を下ろした。

 無論狩りはまだ終わっていない。

 距離的、位置的、地形的に、射撃から追跡に切り替える必要が生じたという、ただそれだけのこと。

 赤い外套に白い短髪。

 細く鋭い眼光はまるで鷹。

 長身を彩る鍛え抜かれた筋肉は肉食獣の如く。

 守護者として召喚され、弓を持たせればその的の動不動に関わらず十割近い的中率を誇る彼こそ、 弓塚さつきを狙う無慈悲の狩人であった。




 「しかし驚いたとしか言いようがないな。いや、世界は広い」




 吸血鬼殲滅を理由に存在を許されている彼だが、現界時の旨として事前にある程度の知識は与えられていた。

 とは言え、まさか生まれたて――あるいは死にたてと言うべきか――の吸血鬼一匹がここまで 高性能だとは。

 直系の親が吸血鬼社会において多少有名らしいが、 結局はただそれだけの、文字通り『赤子の手を捻る』程度の仕事だと思っていた。

 正直なところ、それが本音である。

 しかし認識は改められた。

 現に今の今まで、彼の狙撃を悉く凌いでいるのだ。

 見る限り、筋力、体力、魔力、運動神経から反射神経、戦闘経験に至るまで。

 実力的に言えば、およそ考えうる全ての要素において自身を下回る相手ではある。

 けれど、その才だけは無視できない。

 何せ未だに吸血行為を躊躇しているらしく、ある意味善良的な、けれど愚かな半端者だというのだ。

 それはつまり、裏を返せば死後間もなく自我を持つに至り、 加えて吸血衝動を堪えられるだけのポテンシャルを有する稀有な実力者ということでもある。

 磨き上げた技術と鍛え上げた体躯でもって戦う彼は、 直感や感覚で動くハイセンスな相手に対してしばしば遅れを取ることがあるのだから。




 ましてや昨今、いささか磨耗気味の彼には厳しい相手かもしれない。




 無論彼とて守護者の端くれ。

 実態は体の良い始末屋掃除屋であっても、時間の流れとは無縁の世界の住人だ。

 だと言うのに、疲れが取れない。

 現界する都度溜まる疲労は、いつの頃からか座にある本体さえも侵食していたようで。

 だからこれは、およそ精神的な痛手。

 早い話、彼は誰かを救いたかったのであって、誰かを殺したかったわけではない。

 結論は出ている。

 いつか目指した夢も理想も、欠けて削れて崩れ落ちた。

 生前も死後も戦い続け、幾たびの戦場を越えて不敗。

 ただの一度も敗走はなく、ただの一人にも理解されない。

 戦って、戦って、戦い続け。

 それでも、一を切り捨て必死の思いで救った十は、次に助ける百の礎。

 偉大なる義父は尚遠く、正義の味方は影も見えない。

 剣術の師から継いだ誓いはいつの間にやら肥溜めの中。

 魔術の師から学んだ誇りは道端の犬に食い尽くされた。

 夢は儚く、理想は脆く。

 所詮この身は贋作者。

 誰かの背中を追いかけたとて、半熟どころか未熟以下の吸血鬼一匹にすら追いつけぬ始末。

 強く思う。

 やはりそろそろ決めねばならない。

 この捕り物と、そして自身の行く末も。




 彼の名前はエミヤシロウ。

 冬の終わりに命を救われ、その恩人に憧れていた、正義の味方の成れの果て。























 走る、走る、走る。

 もはや一刻の猶予もない。

 逃げる、逃げる、逃げる。

 もはや一瞬の躊躇もしない。

 体を蝕む黒い恐怖も、心を犯す赤い衝動も。

 胸を穿つその全てを振り切って、立ち止まることなく走り続ける。




 「――ん!」




 著しいほどの前傾姿勢で疾走しつつ、危険を察知すれば上体を基点に素早く回避。

 右へ左へ転換しながら、ただひたすらに前へ前へ。

 諦めない獲物を追うのは、あまりにしつこい一人の狩人。

 まさか自分を殺すためだけに生きているとでも言うのだろうか。

 そんな疑問が頭をかすめるも、実際そうだったら本当に怖いので考えるのを止めた。

 それよりも、違和感。

 狙撃が緩い。

 人目を気にする余裕すらなく逃げ続けてきたはずが、 今ではココがどこで、生家からどれほど離れた場所であるのかを考えるゆとりさえ生まれている。

 さつき自身の反応速度が上がったのか。

 相手の体力か集中力、それとも根気に限界が来たのか。

 あるいはもっと、全然別の要因かもしれないし、 何であれ断定はできないが、さつきは自然と頬が緩むのを感じていた。

 楽観的な予測と少しばかりの優越感を抱きつつ、だけど決して油断はせずに。

 増長せず、慢心せず。

 付け上がらずに、調子に乗らずに。

 注意深く、思慮深く。

 それはまるで綱渡り。

 どこまでも正確に、あくまでも慎重に

 そうして、走って走って走り続けて。

 ようやく剣の雨が止み、立ち込めていた殺気も薄まり、肌に突き刺さる悪意の視線も掻き消えて、 これはもしや逃げ切れたのではないかと安堵の息を吐いた瞬間――。




 「――――I am the bone of my sword.( 体 は 剣 で 出 来 て い る )




 直後。

 今までにない、悪寒が走った。























 その炎は、世界を侵す。

 存在を書き換え、成り立ちを作り変え、とある町の一角は今、一つの製鉄場と化していた。

 古今東西の名刀名剣。

 荒れ果てた大地に数限りなく突き立てられた刃はさながら墓標のようにも見える。

 豪雨の如く降り続けた魔弾の正体こそが即ち、この製鉄場が織り成す錬鉄の成果なのだろう。




 「……もしかして……これが、固有結界?」

 「ほう、知っているのかね?」

 「…………ううん。なんとなく、そうかなって……」




 呟き、半ば放心した様子で周囲を見渡す吸血鬼。

 が、驚愕はおよそ、彼女一人のものではない。

 親となる吸血鬼の影響だろうか。

 魔術の存在すら知らないであろう元一般人現吸血鬼が、まさか初見で固有結界という言葉を持ち出し、 挙句この世界に大きな脅威を抱きつつ、それでも尚諦観とは程遠い表情でこちらを見据えていた。

 エミヤシロウは苦笑を一つ。

 まだ年若い吸血鬼に、恐怖と畏怖と尊敬を込めて。




 「さて、悪いがこちらも仕事でね。薄々わかっているとは思うが――」

 「――私のこと、殺すんですか?」




 是非もなし。

 そのために罠を張ったのだ。

 包囲網に穴を作り、そこへそこへと誘導した後、この世界を編み上げた。

 体力を消耗させたところを突くという点まで含めて、終始戦略の基礎の基礎。

 戦闘経験はおろか、ろくにケンカしたこともない彼女には想像も出来ない次元の読み合い。

 結果として固有結界は発動し、何の準備もなく迷い込んだ獲物には万に一つも勝ち目がない。

 故に、エミヤシロウは確信する。




 「ああ――」




 もはや手詰まり。

 墓標の群れが一つ増える。

 この丘こそが、眼前の少女の終着駅だ。




 「今、ここで、君を殺す」




 宣言は厳かに。

 腕を掲げる。

 主に呼応した剣の群れが、少女目掛けて、雨よりも強く押し寄せる――。























 そうして再度、言葉から意味が消え落ちた。

 再び始まる殲滅戦。

 慈悲なく情なく容赦なく。

 彼女目掛けて押し寄せる、剣、剣、剣。剣の嵐。

 今度ばかりは避けようがなかった。

 ここは剣の国である。

 上下左右、前後も含めて、剣のいない場所なんてない。

 非情な狩人は眉一つ動かさずに剣を動かす。

 どこをどう守ったらいいものか。

 反射的に心臓をかばい、女の子の意地として首から上は死守している。

 けれど、焼け石に水という有難くもない諺を現在進行形で体験体感している身としてはむしろ、 酷いことになっているだろうなぁと容易に予測できる完全無防備の下半身が心配で仕方なかった。

 四肢を襲う激痛、不満足も通り越した五体。

 獲物をいたぶる趣味など一片たりとも持ち合わせていないらしい赤の狩人は、 困ったことに急所ばかりを狙ってくるのだ。

 多分、こういうのは、下手に足掻くから死にきれないで傷を負い、余計苦しむことになるのだろう。

 それでもだからといって「はいそうですか」ってわけにはいかない。

 体は元から死に体だけど、それでも意識がある内は頑張るって決めた。

 何が何だかわからないまま、流されるように殺されるなんて真っ平御免だ。

 死刑囚でもあるまいし、ましてやこの世全ての罪をかぶってるわけでもないし。

 なんて、この非常時にまでドライな性根が、ほんの少しだけ可笑しかった。

 けれど仕方ないじゃないか。

 元々勝てる相手だとは思っていなかったけど、まさかここまで一方的だなんて。

 それこそもはや、笑うしかないって感じだろう。

 抗いようもなく、逃げる術もなく、無数の剣に貫かれるまま、 逆針鼠を体現してみせたところで、閉会の呪文を耳にした。




 「――――I am the bone of my sword.( 我 が 骨 子 は 捻 れ 狂 う )




 万全を期して放たれた必殺必中の魔弾。

 凶器のひしめく剣の丘において尚一際凶悪な螺旋剣が、 もはや動くこともままならないさつきの体を吹き飛ばす。

 貫かれた腹部を視認する暇もなく、ついで、起爆のスイッチがオンになる。




 「壊れた幻想(ブロークンファンタズム)




 轟音。

 爆音。

 立ち上る焔に立ち込める煙。

 痛覚なんて、五感と一緒に吹っ飛んでいた。

 朦朧とする意識の中、頭の片隅にいる妙に冷静な自分が言う。

 あの人、鬼だ。

 いくら何でも、吸血鬼とはいえ、女の子を剣で山ほど串刺しにして、 挙句に爆弾打ち込むなんて、およそ正気の沙汰じゃない。

 うん、配色も赤だし、ちょうど良い。

 赤鬼だ。

 平仮名に直すと「あかいおに」。

 ちょっと可愛い。




 ……何を考えているのやら。




 バカ丸出しの思考にピリオドを打つ。

 そうして、自覚の上から自嘲に自暴自棄までかぶせたところで、 剣のカタチをした化け物に食い殺される自分を幻視し、 そこでようやく走馬灯の出番がやってきた。




 思い起こす。

 一体誰が悪かったのか。

 一体何がいけなかったのか。

 一体いつから壊れ始めていたのか。

 一体どこから歪みが生じていたのか。

 日常と非日常の境目は何処に。

 正と死の狭間は何処。

 そもそも今現在、弓塚さつきは生きているのか、死んでいるのか。

 どの問いも酷く難しく、さつきには見当も付かない。

 夕焼けの下、憧れの人と帰路を共にし。

 月明かりの中、憧れの人によく似た何かが、首筋に牙を突きたてた。

 以降、彼女の世界はガラリと変わる。

 何もかもが零れ落ち、誰も彼もが消えていく中、 それでもさつきの心にはまだ、一人の少年が居座っていたのだ。




 ――遠野志貴。




 その笑顔を覚えている。

 その約束を覚えている。

 ピンチのときは助けてね、って。

 有りっ丈の勇気を振り絞って投げ掛けた言葉は、 無自覚な笑顔にあっさりと受け止められて――だからそれが、ほんの少しだけ悔しかった。

 ずっと彼を見ていたから。

 遠野志貴という人が、にぶちんでばかちんで朴念仁なのは知ってるつもりだ。

 基本的に無関心で、無趣味無特技無資格無免許。

 見る限りでは普通の人。

 普通の人なのに、普通よりもちょっと虚弱体質で、貧血持ちなだけの、やっぱり普通の人なのに。




 ――そんな彼がどうしようもなく好きだった。




 何事においても無関心なのに、いざというときは目を向けてくれる。

 何かが出来るわけでもないのに、いざというときは何でも出来る。

 そんな彼が好きだったから、せめて、彼に恥じない人間になろうと。

 いつか彼の隣を、胸を張って歩けるようにと。

 そんな、酷く抽象的で、漠然とした目標があった。

 今はまだ、助けてもらってばっかり、想ってばかりいるだけの、一方的な関係だけど。

 それでもいつか、互いに互いを支えるような、そんな二人になりたいから。

 だから。




 ピンチのときは助けてね。

 その代わり、遠野くんがピンチのときは、きっとわたしが――。




 その言葉は飲み込んだ。

 だって、弓塚さつきには何もない。

 正確に言えば「ない」のではなく、乾き干上がり朽ち果てたのだ。

 目的はなくとも机に向かえば、いつだってそれなりの結果は出た。

 目標はなくとも体を動かせば、確かにある程度の成果は上がった。

 向ける相手はいなくとも、常に笑顔を浮かべていれば、自然と人が集まった。

 だから、弓塚さつきの持ち物は、「ない」のではなく干乾びて、価値を失っている。

 そこが彼との決定的な差。

 元より持たない彼と違い、彼女は一度持った上で、それに価値を見出せなかった。

 一見酷似しているようで、その実まったく相反する、そんな二人の相違点。























 では、ここで問題提起。























 遠野志貴はモノを持たない。

 それでも、有事の際は何とか出来る人だという。

 弓塚さつきは無価値なモノばかり持っている。

 それだけで、今この瞬間の有事を、無事に切り抜けることは出来ないだろうか。




 ――その刹那、死んで初めて知を求めた。




 何か何か何か。

 この状況を打開できる何かを。

 生きていく上で必要な情報ではなく、今を生き延びるために重要な知識を。

 考えろ、何が必要か。

 幸か不幸か、彼女の直系の親は魔術に精通した無限転生者、ミハイル・ロア・バルダムヨォンである。

 研究の末に死徒と化した身であるが故に、魔術関連の知識は山とある。

 その中から必要な情報を検閲、取捨選択と共に選り抜き飲み込む。

 何故そんな器用な、奇妙な、奇抜な真似が出来るのかは考えない。

 ただただ集める。

 生き残るために必要な何か。

 死なないために有用な何か。

 この瞬間だけは弓塚さつきの干上がった人生経験など意味を持たない。

 二十七祖の、アカシャの蛇の、そしてかの高名な真祖の死徒の。

 ミハイル・ロア・バルダムヨォンの経験を流用する。

 悠長に構えている時間はない。

 意識がある内に、時間が許す限り、二度目の死を迎え入れる前に。




 状況把握。




 現状分析。




 敵は一人と見て間違いない。

 目的は吸血鬼――固体名、弓塚さつきの殺害。

 それを仕事と言い切ったことから見て、私怨怨恨の類ではない。

 教会か協会に所属している可能性を考慮。

 が、いかに剣を操り、弓を引こうとも、その本質は固有結界にまで辿り着いた異能の魔術師である。

 通常、固有結界を自在に操るほどの魔術師は封印指定なるものを受け、行動にかなりの制限がかかると聞く。

 本来血眼になって隠匿すべき魔術を一般人の目がある街中で好き勝手に乱発したという事実と併せて、 敵は教会にも協会にも属していないフリーの魔術師と考えるべきか。




 ――否。あるいはその逆。




 そもそも封印指定を受ける可能性のあるフリーの魔術師が、わざわざ騒ぎを起こしてまで 未だ人的被害を出していない吸血鬼を追う理由が考えられない。

 固有結界を操る魔術師で、尚且つ第三者からの注目に無頓着。

 それでいて吸血鬼を追う必要性のある者といえば、あとは抑止の守護者あたりであろうか。

 となると、固有結界が尚更厄介。

 禁忌を担う者の傾向として一点特化型という共通点があるらしいが、 この場合何に特化した魔術師かなど考えるまでもない。

 見渡す限りの剣の墓標が、唯一無二の答えであろう。

 よって現状を打破する手段は二つ。

 術者の殺害を以って固有結界を解くか、あるいはより強い神秘によって固有結界を掻き消すか。




 (……………………そんなの、どっちも無理だよぉ)




 ふと我に返り、ようやく現状を把握しきってそのあまりの過酷さに思わず涙ぐむ。

 ってゆーかそもそも守護者とか抑止力とか意味わかんないし。

 無害な吸血鬼いじめてる暇があるならミハイル何たらの方を先に倒すべきじゃないのだろうか。

 そもそもミハイルって誰? ドイツの人?

 何でドイツ(仮)の吸血鬼が日本にいるのか、とか。

 どうしてそのドイツ製(仮)の吸血鬼を志貴くんと見間違えたのか、とか。

 さつきのごくごく平均的なサイズの胸は理不尽に対する切なさで一杯になった。

 思考が専門の錬金術師でもあるまいに、考えたってわからないものはわからない。

 戦闘の経験など一度としてない若輩吸血鬼では、戦ったところで勝ち目がない。

 やはり端から無理だったのだ。

 魔術師の知識と、吸血鬼の身体。

 弓塚さつきの手札はそれだけ。

 切れるカードはすべて切ったし、それでなくとも彼女のカードは――。























 そして気付いた。

 四方を剣に囲まれた世界で、八方塞がりに陥った瞬間。

 彼女は初めて、ソレに気付いた。























 なるほど、そもそも前提を間違えていた。

 彼女の持ち札は、少なくとも二枚あったのだ。

 トランプで言えばブラックジャック。

 ディーラーはそれこそ「お前イカサマでもしてんじゃないか」ってくらい強力なカードばかり集めていて、 一見さつきに勝ち目はない。

 けれど、それもそのはず。




 そもそも戦意がなかったのだから。




 自分の持ち札だけ確認して、相手のカードを勝手に予想して、これじゃ勝てないと放棄を続けた。

 となれば勿論、場代も掛け金も持っていかれて当たり前。

 さつきにはそもそも、意思がなかったのだから。




 弓塚さつきは普通の少女だ。

 学者や研究者にはなれそうもない。

 故に、必要以上に学習する意味はなく。

 授業中、教師に指名されたときに困らないだけの知識があれば良い。

 弓塚さつきは普通の少女だ。

 スポーツで食べていけるとは思ってない。

 ならば、無用の努力をする理由はなく。

 軽く汗を流す程度に動き、スポーツの醍醐味だけ楽しんでいれば良い。

 弓塚さつきは普通の少女だ。

 カリスマ性なんて微塵もない。

 よって、求める意味もなく、求められる理由もない。

 誰からも嫌われないように、ただ微笑んでいるだけが精一杯。




 比較すれば劣っている。

 競合すれば必ず敗れる。

 そう思ったからこそ、彼女は戦うのを止めた。

 けれどそれでは意味がない。

 何であれ、勝ち得たものにこそ意味があり、戦いもせずに妥協して拾ったものなど無価値も同じ。




 一山いくらの安い砂塵。

 ソレだけが、弓塚さつきの積み上げたもの。

 そして同時にソレこそが――













































 ――弓塚さつきの、心象風景。











































 異変は唐突に。

 綻びは突然に。

 異常を察知するのは早かった。

 それもそのはず、ここは彼の世界なのだから。

 けれど彼はあくまで異常に気付いただけである。

 その異常の正体には気付かなかった。

 剣に埋もれて溺死した吸血鬼が一匹、残骸も残さず塵芥となった、螺旋剣の爆心地。

 そこだけが、まるで何か切り取られたかのように――白い。

 彼の掌中になく、彼の支配下を逃れ、そこだけが彼の魔力の影響を受けずに空白と化している。




 よもやその正体に気付かなかったなど、およそあってはならない大失態。




 一際剣の墓標が密集したその空白部分だけ、彼の固有結界を抜け落ちて、 まるで未熟な投影のように砂と零れて消えていく。

 気付いていないのか、それとも気付かないフリをしているのか。

 生前もそれで何度か致命的な失敗をしているのに、この期に及んで尚愚策。

 彼は何もしなかった。

 ただひたすらに異変を見つめ、ただただ答えが出るのを待った。

 元々直感や感覚ではなく、経験と技術で戦うタイプだからか。

 エミヤシロウは自身に迫る危機に対して酷く鈍感で、 マズイと思ったときにはもう既に動いているということが少なく、 どちらかと言えば湧き上がる直感を押さえつけて相手の出方を伺い、 そこから随時対応していくという悪癖があった。

 良く言えば慎重、悪く言えば単なる臆病。

 鍛錬に鍛錬を、研磨に研磨を。

 積み上げて、磨き上げた自分自身のその直感を信じずに、ならば一体何を信じるのか。

 彼は決して弱くなかった。

 ただ周囲の異能者が異常も異常、雲の上を行く存在であったというだけ。

 けれど彼の心の奥底にはトラウマにも近い前提があった。




 曰く、自分は決して強くなどない――と。




 世界などという得体の知れないモノと契約し、守護者にまで至った希代の魔術師は それ故に経験を重視し、理詰めで動き、弱い自分のアテにもならない勘に頼ることなどしなかった。

 守護者にまで上り詰めたにも関わらず、生前の凡俗な思考回路に脅かされ。

 その結果、彼はある意味決定的な好機を逃し、その代償に、歴史的な快挙を目の当たりにする。













































 「――――I am the bone of my grit.( 体 は 砂 塵 で 出 来 て い る )













































 そのあまりにも聞きなれた、けれど確かに違いの大きい、他人事ならざるその詠唱に。

 誇張でもなく、過言でもなく。

 文字通り、口から擬似の心臓が飛び出るかと思った。




 「Blood is dirt, and the mind is a clod.( 血 潮 は 汚 泥 で 、 心 は 土 塊 )




 詠唱は続く。

 禁忌とされ、魔法に近いとされる、特殊な魔術師にのみ許された、一点特化のその証。




 「Some night is exceeded and it is invariable.( 幾 た び の 夜 を 越 え て 不 変 )




 今度こそ、エミヤシロウは完全に沈黙する。

 様子を伺うための静ではなく、戦場に不要な感情という俗物のせいで。

 彼は心底、呆然としていた。




 「There is not enriching, and is not saving for free for free.( た だ の 一 度 も 潤 い は な く 、 た だ の 一 つ も 救 い は な い )




 偽物を所持し、贋作者と呼ばれ、その引き出しの多さでもって立ちふさがる敵を打倒してきた。

 何かを見本に、誰かを手本に。

 真似ることはあっても、真似られることはなく。

 そうして生きてきた彼に、ただ一つ許された最大の魔術が今。

 誰とも知れぬ無名の吸血鬼に、真実侵されていた。




 「The dead wait for rain by one person in a dry dune now. ( 彼 の 死 徒 は 今 も 独 り 、 乾 い た 砂 丘 で 雨 を 待 つ )




 それはありえない詠唱であった。

 声は枯れ果て、魔力は干上がり、それに本人は気付いてさえいないらしいが、彼女はとうの昔に死んでいる。

 だというのに――。




 「Therefore, it is not worthy through life. ( よ っ て 、 生 涯 に 価 値 は 無 く )




 ――その詠唱は、今までの誰の魔術よりも大きかった。













































 「It was like, “dryness garden”. ( そ の 体 は 、 数 多 の 砂 塵 で 出 来 て い た )













































 見渡す限りの砂漠。


 空気も渇き切ったその世界では、すべての事象が風化していた。


 大地は枯れ果て、遠く地平の彼方には森も海もない。


 無尽に続く砂の丘。


 生きる者、死んだ物もいない朽ちた庭園。


 それが、その吸血鬼の心象風景だった。























 湧き上がる感情は正体不明。

 一流の魔術使いであり、 三流とはいえ魔術師でもある彼が自己の制御などという基礎の基礎さえ出来ていない。

 が、今の彼にはそもそもその不手際を恥じる余裕さえなかった。




 「……なるほど、守護者に召集がかかるのも頷ける、か」




 言って、赤い魔術師は周囲をぐるりと見渡した。

 二つの固有結界が交じり合ったために世界は今、綺麗に二分されている。

 無限に続く剣の丘と、無尽に広がる砂の海。

 陣取り合戦のようなものだ。

 相手の領土を自分の心象風景で埋め尽くす。

 この戦いは、ただそれだけ。

 生後初めての真剣勝負、死後初めての固有結界。

 深呼吸と共に。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 朽ち果てた庭園が『弓塚さつき』であった砂の礫を回収して、『弓塚さつき』を再構成する。

 砂塵の一部が密集して、人の四肢を形作りながら足元、脛、膝、 腿、腹、胸、腕、肩、首、最後に頭と、人体を再生しながら這い上がっていく。

 色彩を孕み、温もりを宿し、その瞳に感情が戻ったところで、魔術師が再度口を開いた。




 「ようやく実感が伴ってきたよ。君の存在はやはり酷く危――」

 「え、あ、ヤダッ! 私ハダカだよぅ! これって制服は直せないのかなぁ……」




 一拍。




 「――あ、はい、すいません、何ですか? 今、何か言いました?」

 「…………君な」

 「は、はい?」

 「……………………いや、何でもない。
  元より殺しあう者同士。
  無駄な感情移入はそれこそ、心の贅肉というやつだろう」




 不意に出てきた、聞きなれない単語。

 容姿体格口調から行動に至るまでまさしく男性としか思えない相手の。

 そんな、まるで女の子みたいな発想に。

 ほんの少しだけ、笑みがこぼれた。




 「……はい、そうですね。私もまだ、死にたくはないですし」

 「ふむ。こちらはさして命がけというわけでもないのでね、悪いが気楽にやらせてもらおう」




 そう言いつつも、振り上げた手に呼応して動く彼の背後の剣の群れは、 一振りの例外なく殺気充分といった趣である。

 対して、さつきもある程度意に副って動いてくれるらしい砂塵の群れを、盾のように密集させた。

 勿論、体の周囲を覆う鎧は洋服の役割の方が強かったけれど。




 「それでは行くぞ、吸血鬼」

 「そちらこそ、剣の貯蔵は充分ですか?」




 交わす言葉はただそれだけ。

 広がる荒野にたった二人だけ。

 1対1の戦争の、火蓋が切って落とされた――。























 これは、ある吸血鬼の物語。

 月の光に攻め立てられ、けれどそれでも血は吸わず。

 夜の闇に犯されて、けれど心は失わず。

 そうして、生前も死後も満たされないまま。

 乾ききった生涯の果てに、砂の丘で産声をあげた、ある吸血鬼の物語――。









































































あとがき。


白状します。
ただ単に『体は砂塵で――』がやりたいってだけで書き上げました。
その癖、枯渇庭園の詠唱の英文は某翻訳ページで処理してます。
それどころか原文流用、本文改定、設定捏造、口調改変に尻切れトンボ、と。

SS作家としてどうなのよ的な無作法満載。

なに、この愛の無さ。
流石にこんなもの他所様に送れませんし、リンクスへの登録も自重しました。
自サイトで転がすぶんにはどうか大目に見て頂きたく。


まあ、クオリティに関しても、あまりいじめないでやってください(汗
こじつけと独自解釈にまみれてますけど、 3流SS作家が衝動だけで書き上げた作品なんてこんなもんです。
次はもっと頑張るよーーーぅ(トオボエ


追記。
枯渇庭園の詠唱で、文法的にありえない箇所とかあったら指摘して頂きたく。
むしろ何か差し替えられる英文を作ってくださる方募集とか。
まぢでご一考お願いします_| ̄|○(土下座









追記(二回目


K9999の心の妹、一子ちゃんがイメージ(?)壁紙を作ってくれました!
見れ。とにかく見れ。
そしてこのSSが面白かったかのような錯覚を覚えるがいい!(偉そうだ











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