香ばしい……いや、そう表現するのは適当ではないだろう。

     形容しがたい独特な匂いが満ちるその空間には、喧騒が賑わっていた。

     空調を使っても鍋から湧き上がる熱気は収まることを知らず、店内を暖める。

     客席ではそうでもない暑さではあるが、彼のいるところは客席ではない。

     その前に客ではないのだから。



     彼は湯気がたちのぼるそれを器用に両手で三つ持ち、客席へと届ける。

     汁が自らの手に当たらないように慎重に、かつ素早く。

     相反する二つの事柄だが、彼にはそれは簡単なことである。

     前の町でもこのバイトをしたことがあるのだ。



    「すみませーん」

    「あ、はーい!」



     カウンターからの声に、彼は持っていた丼を届けるとすぐに駆け寄る。

     彼の顔は汗で濡れていたが、別に見苦しいわけではなく、寧ろ笑顔が組み込まれていることで爽快だった。



    「チャーシュー一つ。あと、飯も」

    「わかりました。店長! チャーシュー一つに飯です」

    「おし、わかったぜ!」



     彼の声にやたらと威勢の良い男の声が返ってくる。

     その男こそ、今回の彼の雇い主であった。



    「はいよ、チャーシュー上がり!」

    「わかりました!」











     店長の言葉に勝るとも劣らず威勢の良い声で返す。





     彼の名を相沢祐一。

     アルバイトをして何故か金が減るといった特殊能力を持つ人間である。








































御代はいくら?

第五話

猛者出現! 速やかに撃退し集金せよ!』






















    「お待たせいたしました」



     カウンターの向こうがわに座っている男性の客に対し、祐一は笑いながら丼と茶碗を渡す。

     丼から上がる湯気とかぐわしい――と言っていいかはわからないが――香りが食欲を刺激する。

     その丼を見て、祐一は唾を飲み込む。

     食べたい――それが正直な感情である。

     何せ、ここ一週間ほど昼飯を抜いているのだ。

     しかも、勤務時間は放課後から夕飯あたりまで。

     どれほど腹が減っているかを想像するのは容易であろう。

     しかも、ここはラーメン屋。

     客の回転が速く、美味いが待つ時間が少ないことでしられる有名店である。

     回転が速いということはつまり、それだけ多くのラーメンを運ぶということ。

     はっきり言って、彼には拷問にも近いアルバイトであった。



    「でもな、バイト代いいしな……贅沢なんていってらんないし。金ないし」



     呟く祐一の背には影が落ちているように思える。

     腹が減っているので、流石にいつもの元気はでないのだ。

     ちなみに、ここのバイトは、またしても潤の推薦である。

     潤は祐一の苦しさを誰よりも理解していたし、その目的に共感できる。

     彼もまた恋する乙女ならぬ、漢であるからだ。

     だから、潤はとっておきのバイトを祐一に紹介することによってさり気なく援護をしている。

     これまでの行為だけでも十分に援護なのであるが、潤は真の友達思いだった。

     時給850円という数字と毎日の勤務可能は、潤の援護の賜物であった。



    「はぁ……今度から昼飯はちゃんと取るかな……毒だぜ……」



     腹が減って鈍くなった体を必死に動かしながら仕事をこなす。

     いくら秋子の飯が美味く、栄養があるといっても二食ではきついことは明らかである。

     更には、朝飯を食えない場合も多々ある事は事実である。

     名雪という少々――いや、かなり朝に弱い少女のおかげでいつもギリギリの登校をしているのだ。

     そして、そんな日は朝飯を食べていないことから力は入らない。

     だが、アルバイトである手前上力を入れないわけにはいかない。

     今の彼は、自分の叔母特製のジャムすら欲するというような状態であった。



    「……っと、次は皿洗いを……」

    「うぃーっす! 店長来たよ!」

    「うん?」



     元々小さい店であるので、従業員は彼と店長しかいない。

     実は潤が店長に頼み込んで無理矢理にアルバイトのワクを作ってもらっているのだ。

     そのため、祐一は配膳等雑務は全て受け持っている。

     そして、彼が流しに向かおうとした丁度その時、元気な聞き覚えのある声が耳に届く。

     振り向いて見ると、そこにはアンテナのような髪の毛をたてた人当たりのよさそうな青年が立っていた。

     見まがおうはずもなく、北川潤その人だった。 



    「おっ、北川君か! どうした、今日は?」

    「店長のラーメンと昼飯も食わずにバイトしている馬鹿の様子を見に来たんだ」

    「はっはっは! そうかい、昼飯も食わずにバイトしているのかい! 通りで元気が無いと思ったよ!」

    「余計なお世話です……店長」



     潤の言葉を受け、祐一の不調理由を知った店長はトレードマークの威勢のいい声と共に祐一の肩を叩く。

     今日は比較的客が少なく、その場にいるのが三人だけだからこその言葉である。

     それに対し、祐一は元気の無い声で返す。

     何度も言うが、腹が減っているのだ。



    「それで、北川。なんでお前はそんなところに立ってるんだ?」



     入り口に立ったまま入ろうとしない潤に疑問の声を上げる祐一。

     一歩も動こうとしないので、当然の疑問だった。



    「そうよ、いい加減入らないの? あたしは何時までここにいればいいのかしら?」

    「っと、すまねぇ美坂。じゃあ、入るか」



     祐一の目は潤の後ろを歩いてくる女性に釘付けになる。

     ウェーブのかかった艶やかな髪。

     美人と称して間違いの無いその容姿。

     ついでに、学年主席という完璧超人だが、特定の人物に対しては口より先に手が出るという女性。

     思いっきり知り合いだった。



    「何よ……人の顔見てぼーっとするなんて、相沢君お腹の減りすぎで狂いでもしたの?」

    「あ、いや! べつになんでもない」



     ただ、すっごく意外だっただけだ、ととても怖いことは言えないので、心の中で付け加える。

     人よりいくらか鈍感とはいえ、もちろん潤と香里の関係を知っている祐一だが、あまりにも意外な事に驚いていた。

     どれくらい驚いているかというと、名雪が朝自分で起きてきたときくらいである。

     まぁ、一週間に一回は起きるようになったので、案外驚き度数は高くないのかもしれない。



    「というか、普通はデートまがいの食事にラーメンはねぇだろう……」



     それが祐一の正直な感想である。

     普通はしない。

     というか、デートまがいの食事でラーメンは食べられない。

     間違いなく拒否される。

     その点を考慮すれば、やはりこの二人は何かおかしいのかもしれない。



    「んで、北川はともかく、香里がここにいるんだ?」



     気を取り直しての質問。

     その何気ない質問に香里はニヤリと笑う。

     断じて微笑んではいない。

     ニヤリと笑っている。



    「いえね、恋人のためにお金を稼ごうとしている相沢君の姿を見に来たのよ」



     ねぇ?と付け加え、ニヤリと笑った香里に祐一は狼狽する。

     そして、栄養のいっていない頭で必死に考える。

     どこから情報が漏れたんだ! と。

     栄養がいっていない頭でも、その答えはすぐに算出される。

     矛盾するが、考えてみてば、考える必要すらなかった。



    「北川てめぇ!」

    「いやな、まぁしょうがないと。第一、オレだぜ?」

    「……よく、わかった」



     発生源のだと断定した潤に言葉を投げつける祐一。

     もちろんのことその断定はあたっており、香里に知らせたのは潤であった。

     だが、潤の言葉にすぐに祐一は納得してしまった。

     オレだから――その言葉は潤を知っている人間ならば誰でも理解できるからである。

     潤は果てしなく香里に弱い。

     いや、弱いどころの話ではない。

     ある一線を越えない限りは、潤はひたすら香里に服従する。

     本人は香里の意見を尊重していると公言しているが、周りから見れば完全に服従である。

     というか、既に尻にしかれている。

     ある意味将来がとても楽しみな二人組みであった。



    「それで、注文は何かな? 早く言ってくれないと動きようがないんだけど」

    「あ、じゃあオレいつものお願いしますね! 店長!」

    「よしきた! じゃあ、そっちのお姉ちゃんはどうだい?」

    「あたしですか? えっと……もう少し時間ください」

    「じゃあ、取り合えず北川君のものと、相沢君」

    「あ、はい。なんですか?」

    「君は何がいい?」

    「はい? どういう意味でしょうか?」

    「だから、何が食べたい? 奢ってあげるよ」



     奢る、オゴル、おごる。

     彼の頭の中でその言葉が反芻される。

     そして、きっかり3秒後。

     彼は店長の言っていることを完全に理解した。



    「え、えええええ! だって、私はバイト……」

    「お腹空いてるんじゃないの?」

    「へ、減ってますけど」

    「ならいいじゃないか! ほら、どんどん頼む! 子どもが遠慮しちゃいかん!」



     パンパンパンと手を叩きながら、店長は無理矢理祐一を潤の横に座らせる。

     もの凄く強引だった。



    「え、ほ、本当にいいんですか?」

    「子どもが遠慮を覚えてたらいかん!」

    「あ、は、はい! じゃ、じゃあラーメンを……」

    「うん? まだ遠慮しているのかね?」

    「と、とんでもありません! 初めて食べるラーメンはやはりラーメンなわけで!」

    「わかった、そういうことにしておこう。そちらのお姉ちゃんは決まったかい?」

    「うーん」



     うろたえる祐一の横でメニューとにらめっこをする香里。

     その表情がなんとも可愛い。

     滅多に見られない悩んでいる顔。

     眉根にしわがよっているという普通なら可愛くもなんともない顔なのだが、香里のそれはとても可愛かった。

     だが、今の祐一はそれに気づく余裕すらない。

     何故なら、店長からラーメンをおごってもらえるのだ。

     子どもが遠慮するな! と言われていたが、どうしても遠慮してしまい普通のラーメンを頼んだが、とても楽しみだった。

     カウンター越しに美味しそうに客がラーメンを食べる姿をいつも見ていたから、当然である。



    「あ、決めました。じゃあ、これお願いします」

    「これ? これじゃわからないぞ、美坂?」

    「あ、そうね。この地獄火の海ラーメンってのお願いします。美味しそうだから」

    「……………」

    「……………」

    「……………」

    「え? 皆どうしたの?」



     メニューを指差したまま香里は固まる。

     その右横には空いた口がふさがらない潤が言葉を発せないでいる。

     更にその横には呆然とする祐一が言葉を発せずに固まっている。

     三人の目の前には麺を持ったまま固まっている店長がいる。

     香里は何故三人が固まっているのかが理解できなかった。

     そして、たっぷり10秒後。











    「なにぃぃいいいいいいぃ!











     という異口同音の言葉で沈黙は破られた。











    「お、おい! 美坂、まじかよ!」

    「ほ、本気だけど?」

    「か、考え直せ! これは人の食うもんじゃない!」

    「そ、そうなの?」

    「作った俺が言うのもなんだが、本当に食えるものじゃないぞ。お姉ちゃん」

    「え、え、え?」



     周りからかけられる静止の言葉に香里は慌てる。

     地獄火の海ラーメンというのは、三人が止めるのも無理も無いくらいに恐ろしいラーメンであるのだ。

     祐一は実物を見たことはないが、過去に三人を病院送りにしたという実績がある。

     というか、メニューにもその折が書かれている。



    「で、でも辛いだけなんでしょ?」

    「ま、まぁ……そういう言い方もできるが……」

    「普段辛いもの食べられないから、食べてみたいのよ。だめ?」

    「い、いや、ダメじゃないけどよ……食えるのか?」

    「食べられるんじゃないの? いつも栞の味覚に付き合ってるから辛いもの食べたいのよ」



     だめかしら? と付け加える香里に潤はノックアウトされた。

     か、可愛い……という言葉は空耳ではあるまい。



    「じゃあ、お願いしますね」

    「お、おう! やってやるぜ!」



     店長はそう叫ぶと、一気に料理に取り掛かる。

     久方ぶりの注文で腕が鳴ったのも事実だ。

     この注文をする猛者など半年に一人出るかでないかぐらいなのだ。































     ほどなくして、ラーメンが並べられた。

     アルバイトの祐一が食べる側なので、店長じきじきにである。

     潤の目の前にはチャーシューが並べられていた、彼の特別メニューでネギが多少多めである。

     祐一の前には普通のラーメンが置かれる。

     卵が多いのは店長の気配りだ。

     そして、祐一はラーメンをすする。

     美味かった。

     本当に美味かった。

     美味かったが……彼は味わえる余裕を最初の10秒で放棄していた。

     簡単だ二つ隣が怖かったのだ。



    「がは! ごふぉっ! げふ!」



     一つとなりから聞こえるものは空耳ではあるまい。

     赤い蒸気が立ち上っているのは目の錯覚ではあるまい。

     そして、それを美味しそうに食べている女性もまた錯覚ではなかった。



    「もう少し辛くてもいいわね……唐辛子でもいれようかしら?」



     その言葉は幻聴ではなく、香里がやっている行動もまた錯覚ではなかった。



    「があっ! か、辛い! に、匂いが辛い! 目が痛い!」



     その友の叫びを横で聞きながら、祐一は一つの事を思った。























     いつ俺のところに来るんだろうなと。

























     1分後……二人の青年が同じようにむせ、叫ぶ姿が確認されたとか。





































    『すまん! 今回はオレが悪かった!』

    「いや、もういいぜ……誰が想像できるかよ」

    『お、オレが美坂を連れて行ったせいで!』

    「店長……修行しなおすって旅立ったもんな……」

    『こ、今度はオレも協力する! すまねぇ!』

    「い、いや! 俺のほうが世話になってるから!」

    『罪滅ぼしだ! 楽しみに待っててくれよ!』

    「お、オイ! 北川!」



























決算

  目標額                        35,000

  所持金                         6,900

  収入     850×3×4+5,000(特別手当)=17,200

  支出                              0

  結果                         23,100

  目標差額                       11,900




































後書き

T:えと、五話アップです♪

T:……面白くないという罠?

T:寧ろ、これでカウンター回ってるなんて事は無いと思う私。

T:寧ろ、逆援護(汗

T:そ、それではー!

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