彼の人に捧げる挽歌
第六章 凶弾
四月二十七日、火曜日。
またしてもと言うべきか、朝の騒がしい一幕を経て、祐一は、名雪とともに、学校に到着した。
慌しく名雪を起こし、慌しく食事を済ませ、慌しく道を駆け抜け、慌しく教室に飛び込んでいったのだ。
そんな騒々しい二人に反して、クラスの人間の目は、かなり冷めたものだった。
冷淡と言うわけではない。
もちろん、嫌われているわけでもない。
ただ、誰の心にもこの言葉が浮かんでいるだけだ。
『あぁ、またか』
もはや、ある種の風物詩となっている感さえある、二人の登校風景。
いくら騒々しくても、いくら滑稽でも、何度も何度も繰り返されれば、いい加減飽きてしまうのも当然だ。
何も、昨日今日に始まったことではないのだから。
名雪はともかく、祐一にとっては、実にありがたくない状況である。
クラスの面々から呆れられているような気がして、何となく落ち込んでしまいそうになるのだ。
「よう、相沢」
その意味では、こうして軽く笑いながら話しかけてくれる北川の存在は、祐一にとって大きいのかもしれない。
祐一も、席につくと、くるりと後ろに振り返り、口を開く。
「北川、俺は、もう、疲れたぞ……」
「今日はまた、ぎりぎりだったな」
余裕をなくして、息を切らせている祐一。
かなり疲れているということを、全身で表している。
その彼の視界の先では、香里と談笑している名雪がいた。
彼女の場合、現役の陸上部の部長だけに、朝の激走にも、それほど疲労することはないらしい。
全力疾走の原因の彼女がそれほど疲れていないのに、巻き込まれただけの祐一が疲れ果てているのは、いささか不公平な感が否めない。
とは言っても、有効な対処法がない以上、どうしようもないのだが。
「いいことを教えてやろう」
「なんだ……」
疲れてへばっている祐一に、北川が笑顔で話しかける。
「今日の一時間目が何なのか、覚えているか?」
「あ? なに……」
そこまで口に出しかけたところで、はたと祐一の動きが止まる。
それを、面白そうに見ている北川。
「そう、体育だ」
「な、なんてことだ……」
ばったりと机に突っ伏す祐一。
それでなくても疲労困憊な状態なのに、その上さらに体育の授業とくれば、それは一大事だ。
呻くように文句を呟く祐一に、北川はけれど容赦なく声をかける。
「そういうわけだ。じゃ、更衣室に急ぐぞ」
「くそー……」
文句を言いながらも、どうしようもないため、渋々ながらも立ち上がる祐一。
そして、北川と連れ立って、更衣室へと向かう。
既に、教室の人間は、ほとんど出てしまっている。
「こうなりゃヤケだ。全力でやってやる」
「頼もしいこって」
のしのしと歩き始めた祐一の後ろを、苦笑交じりに歩く北川。
そして、二人の姿は、教室から消えていった。
祐一達が授業を受けている頃、同高校内の用務員室で、山浦は少し落ち着きをなくしていた。
そわそわとしていて、仕事をしていても、どこか上の空だったりする。
「……何で、あんなことを……」
思い返すのは、昨日の夜のこと。
誰かも名乗らず、自分を脅迫してきた人間とのやり取り。
癪に障るのは事実だが、彼には、相手の言葉に従う以外に選択肢はなかった。
それがまた、癪に障る。
それにしても……と、思う。
「何がしたいんだ? 一体……」
脅迫された時には、何を要求されるのか、と思っていたが、出された条件は、拍子抜けするくらいに簡単なことだった。
それこそ、彼の立場を考えれば、何の問題もないし、労力だっていらない。
大金を脅し取られたりするのか、と危ぶんだのが杞憂に終わったのはありがたいと言えるが、それでもやはり薄気味悪さが残る。
何しろ、相手の意図が全く読めないからだ。
相手が、自分にその行動をとらせることで、一体何のメリットがあるというのか。
一体何が目的で、わざわざ自分を脅してまで、そんなことをさせるのか。
それがわからないことには、とてもじゃないが、安心などできない。
「くそ……」
考えながら、山浦は、苛立たしげに悪態をつく。
そもそも、相手の言うことに従ったとして、それで全てが終わるとは限らないのだ。
相手は、自分を脅迫できる材料を持っている。
それこそ、いくらでも、何度でも、自分を脅迫できるのだ。
今回の命令が簡単だったからと言って、これから先、二度と脅迫されないという保障など、どこにもない。
「何とかして……」
できれば、相手の尻尾を掴みたい。
脅迫している人間が誰か。
それだけでもわかれば、何とか対処もできるかもしれない。
少なくとも、やられっぱなし、ということにはならないだろう。
しかし、それが難しいことは、よくわかっている。
現状、変声器で変えられた声との会話以外に、何のヒントも接点もないのだ。
これだけで相手が誰かを調べるなど、絶対に不可能だ。
とは言え、それは、これ以上相手が自分に接触してこない場合の話だ。
もし、相手が自分に、金品を要求してきた場合や、それでなくても、何かの命令を下された場合に、接触する機会だってあるかもしれない。
それに、仮に接触できなくても、相手の命令と、それに従って起こった結果を元に考えれば、相手の目的やその人物について、推察することは不可能ではないだろう。
今はただ従うしかなくとも、これから先もずっと大人しく従うつもりなど、山浦には微塵もなかった。
「見てろ……」
一つの決意を胸に秘めて、山浦は仕事を再開した。
「祐一っ、放課後だよ」
名雪の声が耳に届く。
振り返ると、やはり楽しそうな従兄妹の笑顔。
思わず知らず、祐一の顔にも笑みが浮かぶ。
「そうだな、放課後だな」
「うん」
「今日は部活か?」
「もちろんだよ」
「そうか、んじゃ頑張ってこい」
「はーい」
そんなやり取りの後、名雪は手を振って教室を出て行った。
見送る祐一も、軽く笑いながら、手を振って見送る。
彼と似たような表情で、名雪を見送ったのは、香里だ。
微笑ましそうに、けれど苦笑しつつ。
そんな微妙な表情で、名雪が出て行くのを眺めていた。
「ホント、水瀬さんは幸せそうだよな」
「全くだ。まぁ、それがあいつのいいところでもあるわけだが」
「確かに。あの子の笑顔を見てると、こっちまで幸せになってくるもの」
北川を交えた三人で、名雪について少し話す。
彼らの言っている通り、名雪は、いつも楽しそうに、幸せそうにしている。
そんな彼女の姿は、見る者の心を温かくしてくれるのだ。
言ってみれば、クラスのムードメーカーとか、そういう存在だろうか。
実際、彼女を悪く言う者など、学校のどこにもいないし、男子女子を問わずの人気者だったりする。
「香里も部活か?」
「えぇ」
それから少し話してから、香里も教室を出て行った。
彼女もまた、部活をやっているのだ。
それを潮に、祐一も大人しく家に帰ることにする。
「じゃーな、相沢」
「おう、また明日な、北川」
玄関先で、北川と別れる祐一。
何でも、北川は見たいテレビがあるらしい。
少しばかり焦った様子で、校門の外へと駆けていった。
長々と教室で話してて悪かったな、などと思いながら、祐一も玄関を離れる。
そのまま、校庭を横目に見ながら、ゆっくり歩いて校門へと向かう。
校庭の方では、既に色々なクラブが、それぞれに活動していた。
その中に、名雪の陸上部も入っているのだろうが、ここからではよく見えない。
あるいは、外を走っているかもしれないし、体育館を使っている可能性だってあるのだから、見えなくても不思議はないわけだが。
ともあれ、特に注視したり、立ち止まったりすることもなく、祐一は校門まで歩み寄っていく。
校門の傍では、用務員の人間が、何か作業をしているのだ見えた。
けれど、自分には関係がないと思い、祐一は通り過ぎようとする。
「ちょっと、いいかい?」
突然かけられた声に、ふと立ち止まる祐一。
声の方向を見ると、座り込んで作業をしていた用務員――山浦が、立ち上がって祐一に話しかけていた。
そして、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「はい? なんですか?」
声をかけられたものの、心当たりがないため、小首を傾げる祐一。
特に問題も起こしていないし、そもそも用務員の人間に止められる理由など、見当がつかない。
これが自分の担任だったりすれば、いろいろと理由は考えられなくもないが。
それでも、真剣な表情で祐一を見ていることから考えても、人違いや冗談というわけでもなさそうなので、とりあえず足を止めて、話を聞くことにする。
祐一が立ち止まったことに、なぜかほっとしたような表情に変わる山浦。
それから、不思議そうにしている祐一に向かって、話を始める。
「えっと……相沢、祐一君だよね?」
「はい、そうですけど……」
ゆっくりと時間をかけるようにして、名前の確認をする山浦。
それに対して、やはり疑問を隠し切れない表情の祐一。
その不思議そうな表情は、微妙な表情をしている山浦を見ているうちに、さらに深いものへと変わってゆく。
「少しだけ、聞きたいことがあってね」
「? 何ですか?」
やはりゆっくりと、どこか曖昧に、山浦は言葉を発する。
なかなか話が核心に入ってこない。
祐一も、少しばかり不審な気がしてきた。
もっとも、それを表情に出したりはしなかったが。
というよりも、出す暇さえなかったわけだが。
パン……という音が、祐一の耳に届く。
それと時を同じくして、目の前の山浦の体が傾ぐ。
ゆっくりと、前のめりに倒れていく山浦。
それはまるで、スローモーションの映画を見ているようだった。
同時に、山浦の背中から溢れ出す真っ赤な血。
いや、溢れるという表現は生温い。
もはやそれは、噴き出す、と表現した方が正しいだろう。
激しく噴き出す血のシャワー。
倒れ行く山浦の体。
それでも、祐一は何が起こったのかわからない。
呆然と、目の前で展開していく光景を見送るのみ。
祐一の頭には、まだ現実の光景として認識できていないのだろう。
そして。
どさり。
そんな、まるで荷物を落としたような音と同時に、山浦の体が地面に接する。
ピクリとも動かない山浦。
ただ、噴き出し続ける血だけが、祐一の目の前で動いている全て。
目を大きく見開いて、真っ赤に染まる風景を見やる祐一。
遠くを見ているようで、近くを見ているようで。
全てを見ているようで、それでいて何も見ていないようで。
時が止まったように、祐一は微動だにせず、一言も発せず、ただ目を見開くだけだった。
そんな沈黙も、しかし長くは続かない。
「きゃああっ!」
「うわぁっ! う、撃たれてるっ!」
ところどころから沸き起こる悲鳴や絶叫に、ようやく祐一の意識が戻る。
ふと自身の体を見る祐一。
そこには、山浦の血がべっとりと付着していた。
手をかざす。
そこに見えるのは、手を彩っている真っ赤な血。
真っ赤な、真っ赤な、嫌になるくらい、真っ赤な血。
目に飛び込んでくるその赤に、心が大きくざわめく。
周りの声も、もはや耳に届かない。
ただ、呆然と手を、その赤を見入るのみ。
「……」
誰かが、何かを叫びながら、自分の肩を掴み、揺らしているような気がする。
それでも、祐一は動けない。
真っ赤な血。
ただそれだけが、今の祐一の全て。
そこで、不意に何かが祐一の頭を過ぎる。
それは、風景? それとも、思い出? あるいは……人?
彼の意識が保てたのは、そこまでだった。
次の瞬間、がくり、とまるで糸の切れた操り人形のように、祐一の体から力が抜ける。
支えをなくした体は、容易に地面に倒れようとする。
「おい! 相沢! 大丈夫か?!」
耳元で叫ぶ誰かの声も、もはや彼の耳にも頭にも、届いてはいなかった。
ただ、頭の奥から聞こえてくる声だけが、祐一の心の中で響き渡るのみ。
「祐一君……」
頭を過ぎったその声は。
よく見えないその姿は。
一体、誰なんだ……?
そう心の中でだけ呟くと、祐一は、そのまま意識を手放した。
「ですから、今日のところは勘弁してあげてください。お願いします」
「しかし、一番身近にいたわけですし、できるだけ早くお話を窺いたいのですよ」
祐一の意識が、少しずつ覚醒に導かれている時に、誰かの話し声が、彼の耳に入ってくる。
その内容を認識することはできなくても、誰かが自分の傍で話していることだけはわかる。
ただ、うるさいな……と、思うのみだったが。
「目の前で人が死んだのに、平然と質問に答えられるわけがないでしょう?」
「しかしですな、体には異常がないとのことですし……」
「問題なのは、心です」
「むぅ……」
聞き慣れた、温かさを持った女性の声と、聞き慣れない少しかすれた男の声。
何となく、自分のことを話されていると、それだけは、未だ覚醒していない祐一にもわかった。
「落ち着いてからにしてあげてください。突然気を失ったくらいなんです。相当ショックを受けているに違いありません」
と、遅まきながら、目の前で誰かが死んだ、というフレーズに、祐一の心が反応する。
死んだ……誰が?
死んだ……誰の目の前で?
気絶……誰が?
気絶……どうして?
そして、突然脳裏に甦る記憶。
目の前で、声もなく倒れる誰かの影。
その誰かが、自分を見ている……
「うわっ!」
がばっと祐一が起き上がる。
見開かれた目。
呼吸も荒く、汗もびっしょりとかいている。
無意識のうちに、胸を手で押さえ、何とか呼吸を整えようとする。
彼の目の前にあるのは、白い壁、白い布団、白いベッド……ここが保健室だ、ということに、そこでようやく気付いた。
「祐一さん? 大丈夫ですか?」
と、そんな声が聞こえ、振り向くと、そこには心配そうな顔をした秋子が、まっすぐに祐一の瞳を覗き込んでいた。
返事をしなければならない、とは思うのだが、うまく声にならない。
だから、とりあえず頷くだけにする。
「心配しましたよ、祐一さん」
言葉はないものの、意識はしっかりとしていることがわかったためか、秋子はちょっとだけ安心したような表情を見せる。
祐一は、まだ現状の認識が足りないのか、呆然としていた。
「あー、相沢祐一君だね?」
そこに、突然かけられた声。
反射的に祐一がそちらに目を向けると、少し汚れたコートを身につけた三十代くらいの男が、手帳を手にして、祐一に話しかけていた。
「あ、刑事さん……」
「まぁまぁ、簡単な質問だけにしますから」
秋子の少し慌てた声にも、さして動じることなく、男が祐一の目の前に立ち、まっすぐ尋ねてくる。
よくわからない様子だが、それでも頷く祐一。
「何があったのか、覚えているかね?」
「え……」
少しぼんやりした目を、静かに男に向ける祐一。
まだ、覚醒しきっていないのかもしれない。
そんな祐一の様子を見てとると、一つため息をついてから、男が祐一に説明を始める。
「君の目の前で、この高校の用務員の山浦重之さんが、撃たれたんだよ」
「え?」
「弾丸は、背中から彼の心臓に達していたそうだから、おそらくほとんど即死だっただろうな」
その言葉に、ようやく祐一の目に光が戻ってくる。
「撃たれたって……」
「あぁ。だから、君の服があんなに血塗れになっているんじゃないか」
男が指差した先に目を向けると、そこにあったのは、まさに血に濡れた自分の制服。
真っ赤な、血。
視界を染めるその色に、再び、祐一の目が見開かれる。
「祐一さん、考えなくていいんですよ」
と、そこで、秋子がふわりと祐一を抱きしめた。
それは、彼を何かから守るように。
あるいは、何かから隠すように。
母の抱擁、とでも言うべき秋子の行動に、少し驚いた祐一だったが、すぐに目を閉じて、静かに身を委ねる。
やはり、まだ混乱から抜けきっていないのだろう。
「刑事さん、彼はこの通りですから、今日のところは……」
「ふむ、仕方ありませんな……おい、白坂、帰るぞ」
「わかりました、川越さん」
「それでは、また明日にでも、よろしくお願いしますよ」
「はい」
二人の男――川越と白坂は、秋子に明日の約束を取り付けると、静かに部屋を出て行った。
残されたのは、祐一と秋子。
そして、今まで祐一は気づかなかったが、さらにもう一人、白衣を身に着けた男がいた。
「やれやれ。刑事っていうのは、どうにも好きになれんね」
肩をすくめながらの発言。
彼を包む白衣が、小さく揺れる。
「それで、気分はどうだ?」
それから、彼は祐一の方に向き直った。
そこで、ようやく目の前の人物が誰なのかに思い至った祐一。
「あ……はい、もう大丈夫です」
しっかりと目を見ながら、はっきりと答える。
目の前の人は、この学校の保険医である、大迫英輔。
気を失った祐一を診てくれたのは、この大迫である。
祐一の返事を聞いて一つ頷くと、それからさらに幾つかの質問をし、それが終わると、大迫は、ふむと小さく頷いた。
「なるほど、とりあえず大丈夫みたいだな。それじゃ、今日は帰りなさい。明日は色々と忙しいだろうから、学校は休んだ方がいいな。担任には、私からも話しておこう」
「あ……ありがとうございます」
「礼はいい。無理はするなよ」
「はい」
「ありがとうございました」
祐一に続いて、秋子も頭を下げて、それから二人で保健室を出て、家へと歩き始めた。
「それで、どうして秋子さんが来てたんですか?」
二人だけの帰り道で、祐一はそんなことを口にした。
学校で気を失って、目を覚ましたら、そこに秋子がいたのだから、驚くのも無理はない。
そんな祐一に対し、秋子は、少しだけ哀しそうな目をして、静かに口を開いた。
「学校から電話があったんですよ。祐一さんの目の前で、ああいう事件が起こって……」
その言葉に、祐一は納得した。
確かに、今現在、彼の保護者は秋子なのだ。
祐一が何らかの事件に巻き込まれた場合、それを知らされるのは、当然、秋子ということになる。
さらに言えば、今祐一が着ているのは、制服ではなく私服。
秋子が家から持ってきてくれたものだ。
そうでなければ、血で汚れた制服を着続けなければならなかったのだから、これは感謝して然るべきだろう。
もっとも、祐一からしてみれば、服がどうしたとか、保護者がどうしたとか、そういうこと以上に、秋子がそこにいてくれた、というだけで落ち着くことができたのだ。
もし秋子がいてくれなければ、今こうして落ち着いていられたかどうかわからない。
保健室で、制服にべっとりとついた血を見て、再び倒れそうになった時、秋子が優しく抱きしめてくれたことが、祐一には、恥ずかしくも嬉しかった。
「祐一さん、本当に、大丈夫ですか?」
「……大丈夫ですよ。心配かけて、すいません」
それでも、嬉しさ以上に、秋子に心配をかけた、という申し訳なさが先に立ってしまう。
自然、沈んだ声になる祐一。
「祐一さんが無事なら、それでいいんですよ」
そんな祐一の気持ちを見透かしたように、秋子が言う。
その言葉から感じられるのは、深い愛情。
自分が愛されているということを教えてくれるその言葉が、祐一の心を支えてくれる。
そして、二人はそのまま水瀬家まで帰りついた。
家に帰ってからは、名雪に泣きつかれて無事を喜ばれたり、舞や佐祐理が事件を知って電話をかけてきてくれたりした。
心配そうな声音と、確かに感じられる四人の想い。
そんな一つ一つに、祐一の心も、少しずつ癒されていった。
同日、深夜。
人通りも全くなくなってしまった頃に、水瀬家に向かって歩く人影があった。
その足取りに、迷いも躊躇いも感じられない。
そしてまた、焦っている様子も窺えない。
「……」
そしてたどり着いた水瀬家の前。
郵便受けに目をやり、ポケットから取り出した封書を、その中に突っ込んだ。
小さな音をたてて、郵便受けに飲み込まれる封書。
それを確かめると、その人物は、そのまま身を翻し、来た時と同じ足取りで、ゆっくりと歩き始めた。
水瀬家から遠ざかり、やがてその姿は、闇に飲み込まれていく。
そして、再び完全な静寂が辺りを包みこんだ。
夜明けまでは、まだ遠い。
〜続く〜