彼の人に捧げる挽歌


第五章  暗躍















 四月二十六日、月曜日。

 水瀬家の朝は、例によって例の如く、騒々しいものだった。

「おい、名雪! 起きろ起きろ起きろーっ!」

 バンバン、と扉を壊さんばかりに叩く祐一だったが、それは一切の効力を発揮していない。 ただ、朝の静けさを打ち破るのみで、水瀬名雪の睡眠を打ち破ることはできない。
 無駄と知りつつも、それでも祐一は毎朝これを続ける。 ある意味では、もはや儀式に等しいと言ってもいいかもしれない。 他人からすれば、よくもまぁ飽きもせず懲りもせず続けられるものだ、と感心してしまうところだろうか。
 実際、祐一は根気強い。 これは、クラスの才媛であるところの美坂香里嬢が、自信を持って証言してくれるはずだ。 というよりも、本当にそう思われているのだが。
 とにかく、祐一は毎朝のように名雪の寝起きの悪さと戦っているのである。 それはまさしく激戦と表して差し支えはないだろう。 この朝の一幕は、少なからず、祐一の体力を削っているのだから。 春眠暁を覚えずとはよく言ったものだが、彼女のそれは、季節を問わない。

 さておき、祐一はいつものように扉を叩き、これがまたいつものように効果がないことを悟り、ふぅ、という年季の入ったため息を一つ吐くと、徐に部屋に突入した。 従兄妹とは言え、年頃の女子の寝ている部屋になだれ込むのは、祐一にしても気がひけるのだが、差し迫った状況は、それに頓着する余裕を与えてはくれない。
 そんな祐一の入室を待っていたかのように、名雪の部屋を彩る多くの目覚まし時計が、一斉に仕事を開始する。 耳をつんざく大音響……と言うと言い過ぎかもしれないが、そう言いたくなるくらいに、それは喧しかった。
 朝の静寂を、問答無用で打ち破る目覚まし時計群。 その数は、驚くべきことに、二十を優に超えている。 普通の人ならば、一つで十分だろうところが、彼女はそれだけの数を動員しているのだ。 ここまでくれば、もはや呆れるどころか、ある種の畏敬の念を抱きたくなってしまう。
 何より恐るべきは、思わず耳を押さえたくなるような、そんな大音響にも関わらず、当の名雪が眠り続けていることだ。 それはそれは気持ちよさそうに、布団の中で安眠にふけっている。
 その名雪を起こすことは、とりあえず後回しにして、祐一はまず、未だに自身の仕事に忠実な時計達を黙らせることにする。 手馴れた動作で、一つ一つ沈黙させていく。 それはまさに、仕事人の風情。 着実に、最速で、時計達を止めていく。

「名雪ーっ! 起きろーっ!」

 全ての目覚まし時計が沈黙し、静寂が戻ったのも束の間。 すぐに祐一の声が部屋に響き渡る。 先の大音量でも目覚めなかった彼女が、そんな言葉だけで目覚めるわけもなく、祐一も実力行使に移らざるを得ない。
 ガシッと名雪の肩を掴み、無理やり体を起こすと、激しく前後に揺さぶる。 がくんがくんと面白いように揺れる名雪の頭。 その間も、祐一は必死で呼びかけ続ける。
 そんな祐一の想いが通じたのか、ようやく名雪の表情に動きが見えた。

「わたし……イチゴ食べれるよ……」
「がーっ! 誰もそんなことは聞いてないーっ!」

 彼女の頭が覚醒に導かれるには、まだ若干の時間が必要らしい。
 結局、彼女がちゃんと目覚めたのは、それから十分近く経ってからのことだった。



「祐一さん、おはようございます」
「おはようございます、秋子さん……」

 少し疲れた様子の祐一に、苦笑を滲ませながら朝の挨拶をする秋子。 あるいは、自分の娘の寝起きの悪さが、祐一に迷惑をかけていることを、申し訳なく感じているのかもしれない。

「名雪、起きましたか?」
「はい。すぐに下りてくると思いますよ」
「いつもごめんなさいね」
「いや、そんな謝られることじゃないですよ」

 秋子の謝罪の言葉に、今度は祐一が苦笑しながら、それを否定する。
 確かに、かなりしんどいのは事実だが、別に改まって謝られることでもない。 名雪だって、悪気があるわけではないのだから。 頑張っているけれど、それでもどうしようもない。 そんな感じだから、祐一とて、特に気を悪くしたりすることはない。
 そもそも、祐一の方が色々と世話になっているのだ。 その恩を少しでも返していると思えば、むしろ足りないくらいにさえ思えてくる。 もっとも、そんなことを口にすれば、秋子の心を曇らせることになるのがわかってるから、口にしたりはしないが。

「朝ごはんの準備はできてますから、食べてくださいね」
「はい、いただきます」

 話は終わり、とばかりに、祐一が席に座って、少し急ぎ気味に朝食をとっていく。 何だかんだ言っても、時間はかなり切羽詰っている。 朝食を抜かねばならぬほど追い詰められてはいないが、のんびり食べられるほど落ち着いてもいられない。

「おはよーございますー……」
「おはよう、名雪」

 ようやく下りてきた名雪。 その声は、いつも以上に間延びして聞こえる。 見れば、目はほとんど閉じられており、半分眠っているような状態だろう、と推察できる。
 さてどうするか、と祐一が考えたが、それよりも早く、秋子が対処に動き出す。

「ほら、名雪。トーストだけでも食べていきなさい」
「イチゴジャム……」

 匂いにつられてか、席につくや否や差し出されたトーストに、目を閉じたままかぶりつく名雪。 ゆっくりと咀嚼している様子から、きちんと食べていることがわかる。

「早く食えよ」
「わかってるよ……」

 返事は返ってきたが、きちんと起きているかどうか怪しいものだ。 そう考え、祐一は出かける準備に取り掛かる。 おそらく今日も、歩いての登校は不可能だろう、と判断したらしい。
 そして、その予測が正しかったことは、すぐに証明されることになる。

「いってきます!」
「いってきまーす」

 ようやく稼動し始めた名雪を引っ張るようにして、祐一が玄関を出る。 それを見送る秋子。 秋子の視界から、かなりの速度で祐一達の姿が小さくなって、消えていった。



「つ……疲れた……」
「毎朝大変だな、相沢」

 机でへばっている祐一の労を、苦笑しながらねぎらっている北川。

「体が鍛えられるよ、ホントに」

 そう言って、小さく笑う祐一。

「そうか、そりゃ良かったじゃないか」

 そんな祐一の余裕のある仕草を見て、北川が、おどけるように肩をすくめる。 そこから色々と話が展開されるかと思いきや、それはやってきた担任の存在によって立ち消えとなる。 一つ笑い合うと、祐一もちゃんと前を向く。
 そんな祐一だったが、内心では、かなり安堵していたりする。 左腕の傷が痛んで走れないかも、とか考えていたのだが、それが杞憂に終わったからだ。
 まだ、触ったりすれば痛みがあるけれど、走ったりする分には、特に問題はないらしい。 これなら、体育の授業にも耐えられるはずだ。 包帯は巻いてあるが、体操服は長袖なので、誰かにばれる心配もない。
 まぁ、今日は幸いと言おうか、体育の授業はないので、それこそ杞憂なわけだが。

 そして、授業が始まる。 受験生でもあるし、目標とする大学、というか目標となる人達がいる以上、気を抜けるはずもない。 祐一の大学合格へ向けての意気込みは、人一倍大きい。
 舞や佐祐理に出会うまでは、あまり身を入れて授業を聞いたり、勉強したり、ということはなかったのだが、人間は、目標ができると変わるもの。 明確な目的があるためか、授業に対する姿勢も、それまでとは、がらりと変わっていた。
 そういうわけで、今日も祐一は、真面目に授業に取り組んでいる。 そしてそれは、何も祐一だけに限ったことではない。 この教室にいる生徒達の多くは、受験生なわけだ。 三年生ともなれば、やはり多くの生徒が、受験を意識せずにはいられなくなる。 そのため、授業に取り組む姿勢も、自然と引き締まったものになるのだ。
 こうした生徒達の変化を、教師達は、どこか嬉しそうな眼差しで見ている。 自分の教え子達が、一生懸命頑張っている姿を見るのは、やはり嬉しいものなのだろう。



「終わったー……」

 ばったりと倒れ伏す祐一。 ようやく今日の全授業が終了したのだ。 開放感に浸るのも無理はない。 集中していると時間の経過を忘れるとはよく言うが、疲労は忘れられるものでもない。 終了した瞬間に、一気に体に押し寄せてくるのだ。 まぁ、それはすなわち、それだけ祐一が授業に集中していた、ということを意味しているわけだが。

「ようやく放課後だな」
「だな」

 むくりと起き上がると、すぐに体を後ろに向け、北川との談笑に転じる。 友人との他愛のないやり取り。 あるいは、これで勉強のストレスを発散しているのかもしれない。 そう思えるくらいに、北川と話している祐一は、生き生きしている。
 そうして話しているうちに、香里がやってきて、また名雪もやってくる。 ある種のパターンともなっている、放課後の一幕だ。

「祐一、わたし今日は部活ないから、一緒に帰ろう」
「うし、そうするか」

 話が一段落してから、名雪が、嬉しそうにそう話しかけると、祐一も二つ返事で了承する。 にこにこと笑う名雪を見ながら、祐一が鞄を持って立ち上がる。

「香里と北川はどうする? 一緒に帰るか?」
「あたしはちょっと用事があるの。ごめんね」
「オレも今日は用事があってな。悪いな」

 軽く笑いながら顔の前に手を持ってくる二人。 少しだけ申し訳なさそうに見える。 だからか、祐一も名雪も、笑って返す。

「そっか。それじゃまた今度な」
「うん。じゃ、香里、北川君、バイバイ」

 手を振る二人に見送られて、祐一と名雪が教室を出る。

「ねぇ、祐一。百花屋さんに寄っていかない?」
「百花屋か……」

 校門を出た辺りで、名雪が祐一に聞いてきたことに、祐一は少し考える仕草を見せる。 お金の心配……もちろん、それもないわけではない。 けれど、百花屋に祐一が行った場合には、大抵コーヒーしか頼まないし、それだけなら大した額ではない。 まぁ、名雪の場合には、イチゴサンデーを頼んでしまうため、結構な額になってしまうのだが。 自分の財布に大打撃を与えるとわかっていてなおイチゴサンデーを食べたがるのは、要するにそれだけ好きだ、ということだろう。
 とにかく、今の祐一にとって問題なのは、金銭に関することではない。 重要なのは、身の危険である。 自分が狙われていることを自覚しろ、とは、警察でも舞と佐祐理の家でも、強く聞かされた。 それを考えると、やはりしばらくの間は、あまり寄り道などはしない方がいいかもしれない。

「あー……今日はやめとかないか?」
「え? あぁ、お金がないの? それだったら、今日はわたしが出してあげても……」
「いや、そうじゃなくてさ。今日はちょっと気分がのらないんだよ」
「そっか……」

 祐一の反対意見に、少し残念そうにする名雪。 それを見てしまうと、やはり申し訳なく思えてくる。

「悪いな、名雪」
「うぅん、いいよ。それじゃ、今日はまっすぐ家に帰ろ」
「あぁ、また今度な。そん時は奢ってやるからさ」
「無理しなくていいよ。祐一、携帯の料金も払わなきゃならないのに、そんな出費はダメだよ」

 クスクスと笑いながら、名雪が祐一の提案を、やんわりと拒否する。 一緒には行きたいけれど、奢ってもらうのは気が引けるのかもしれない。 気持ちだけで十分だ、と言われているように思っているのか、祐一も、少しくすぐったそうにしている。
 そうやって談笑しながら、祐一と名雪は、家へと歩いていった。 家でも学校でも、ずっと顔を合わせているのに、それでも話題に困るようなことはない。 それだけ、二人が親しい証でもある。
 結局、その日は何事もなく家に帰りついたし、そのことに、祐一は内心安堵の息をついていた。 もし帰宅途中に襲われて、名雪が傷つけられたりしたら、目も当てられない。 もちろん、何かあったら絶対に守ってやるという意気はあったが、特に武術を学んだわけでもない祐一に、名雪を守りきれる自信など、あるわけもない。 それ故に、帰り道で何事もなかったことに、心の底から安堵していた。

「お帰りなさい、祐一さん、名雪」
「ただいま、秋子さん」
「ただいま、お母さん」

 出迎えてくれた秋子に、帰宅の挨拶をすると、二人とも部屋に戻って、着替えることにする。 祐一が、制服をハンガーにかけて、服を着ようとすると、どうしても左腕の包帯が目についてしまう。
 今日は、何事もなかった。 けれど、それは何の解決にもなっていないのだ。 犯人もわからなければ、何で狙われるのかもわからない。 ただ、今日は無事だったというだけ。 明日も大丈夫だ、という保障など、どこにもないのだ。

「……どうするかな」

 ふと呟かれた声は、部屋の空気に溶け込んでいく。 窓の向こうは、まだまだ明るく、遠くの方まで見渡せる。 延々と並ぶ家の屋根に、犯人はこれらの家のどこかにいるのだろうか、などと考えてしまう。
 できることなら、犯人に直接聞いてみたかった。 どうして、自分を狙うのか。 一体、自分が何をしたのか。
 しかし、いくら窓を眺めていたところで、犯人は出てきてはくれないし、もちろん答えだって見出せるわけではない。 しばらくそうやって考え込んではいたが、やがて服を着替えると、机に向かい、今日の課題を片付けることにする。
 勉強をしていれば、気も紛れるかもしれない、と思っていたのだが、そう簡単にはいかないらしい。 結局、どうしても気が散ってしまい、身を入れて勉強などできるわけもなく、課題だけを片付けると、鉛筆を置いてしまう。

「早く解決しないとな……」

 それこそ、このまま問題が解決されなかったら、受験勉強にも支障が出てくるかもしれない。 自分の過去を、犯人が教えてくれたらいいのに……そう考えてしまう。 恨まれているとすれば、その理由を教えてほしいと思う。 姿の見えない犯人に、苛立っていいのか、申し訳なく思うべきなのか、よくわからない。

 過去を思い返したり、色々と今後のことを考えていたりするうちに、日も落ちて、夕食の時間となる。 当然と言うか、何も対処法など考え付いたりはしなかったし、自分が何かしたという記憶が呼び覚まされることもなかった。
 夕食をとり終えて、風呂に入り、就寝するまで、水瀬家では何も起きなかったし、祐一が何かを思い出したり思いついたりすることもなかった。 そうして、水瀬家の夜は更けていった。







 その日の深夜のこと。

 祐一達が通う高校の用務員、山浦重之は、自宅でテレビを見ていた。 妻を病気で失って、やもめ暮らしになってからは、生活もかなり不規則なものになってしまっている。 それでも、妻を失った当初に比べれば、最近は大分ましになってきた方であるのだが。 用務員の仕事にしても、荒れた生活を送る山浦を見かねて、親類の者が紹介してくれた職である。 まぁ、仕事をするようになったおかげで、大分ましになってきたわけだから、感謝すべきところだろう。 それでも、山浦が張りのある生活を送っているとは言い難い。
 彼はまだ三十九歳だから、やり直しがきかないわけではないが、何となく日々を暮らしていた。 その日の夜も、夕食後に酒を飲み、寝るまでの時間で、何となくテレビを見ている。 特に見たい番組があるわけではない。 ただ、テレビを見る以外に、選択肢がないだけのこと。 それに、何となく、無音に耐えられない、という思考もあったのだが。
 ここ最近いろいろあって、山浦の酒量は増えてきている。 あるいは、そのうち体を壊すかもしれない、と思ってはいたが、それでもやめられなかった。
 日付が変わってから大分経ち、そろそろ寝るか、と思って立ち上がった時、丁度タイミング良く、電話が鳴った。 ピピピピ、という電子音が耳に響く。 酒が残る頭には、それさえも鬱陶しく感じられる。 無視してやろうか、と思ったが、何か重要な電話だったら困るので、舌打ちしてから、電話を手にとった。

「はい、山浦ですが」

 声にも、不快感が滲み出ている。 だが、相手は特に気にもしないらしい。 すぐに話し始めた。

「山浦さんだね? ちょっとあんたに頼みたいことがあるんだよ」
「は? 誰なんだ? あんたは」

 山浦の耳に聞こえてきたのは、テレビでプライバシー保護のためなどの理由で変えられた音声によく似た声。 要するに、変声器を使っているのだろうとすぐにわかる音声だった。 人間味のない音声だからか、やけに耳障りに聞こえる。 自然に、言葉遣いも乱暴なものになってしまう。
 けれど、それさえも意に介さないのか、電話の相手は言葉を続ける。

「私が誰かなんてどうでもいいんだよ。それよりもあんただ。あんたにやってもらいたいことがあるのさ」
「冗談も休み休み言え。何で俺があんたの言うことなんか聞かなきゃいけないんだよ」

 乱暴にそう言い捨てると、山浦は受話器を置こうとする。 だが、それに被せるかのように、電話口の人物が何事かを呟く。 その言葉を耳にするや、目を剥いて動きを止める山浦。 体が、小さく震えている。

「いいのか? このことをばらされても」
「な……なんで、それを知ってるんだ……?」

 電話口の人物の声が、少し軽口になった気がした。 それに怯えたのか、かすれた声で、山浦が呟く。

「そんな疑問はどうでもいいだろう? 肝心なのは、あんたが私の言うことを聞く気があるかどうかだ」
「し、証拠はあるのか?」

 震える声で、最後の抵抗を試みる山浦。 けれど、そんな言葉に対し、電話口の人物は、くっくっと笑った。 それを山浦が不審に思っていると、電話口の人物が、再び話し始める。

「証拠なんてないさ」
「だったら……」
「いや、いらない、と言うべきだろうな」
「え?」
「あんたがやったという事実がある。それだけで十分だろう? このことを警察に話せば、あんたは確実に疑われる。それとも、証拠が見つからない絶対の自信でもあるのかね?」

 その言葉に、さらにびくりと体を震わせる。 山浦の顔が引きつっていることがわかっているかのように、さらに相手が笑い始める。 それが耳障りだ、と思う余裕さえ、今の山浦にはなかった。

「心配しなさんな。あんたを警察に売るつもりはないさ。そんなことはどうでもいいんだよ」
「な、何をさせる気だ?」

 むしろ安心させようとしているかのような声に、山浦は仕方なくそう言う。 悔しくとも、主導権は確実に相手に握られている。 ここは、逆らうよりも従った方が賢明だ、と判断した。

「なに、簡単なことだよ」
「だから、何をすればいいんだ?」

 焦らすような口調に、山浦は苛立ちそうになるが、それをグッと堪える。 これ以上、相手を怒らせるような言動は、慎んだ方がいいことは間違いない。 再度どうするのかを尋ねると、ようやく肝心の内容について話し始めた。

「あんたの学校に、相沢祐一って生徒がいる。明日の放課後、そいつが帰ろうとしてる時に、しばらく校門のあたりで足止めしてくれればいい」

 それを聞いて、不思議そうな表情をする山浦。

「それだけでいいのか?」

 だから、思わずこう問いかけてしまった。

「あぁ、たったそれだけさ。簡単な仕事だろう?」

 拍子抜けしたような山浦の声を聞いて、さらに電話口で笑い声を出す相手。 その笑いを遮るように、山浦が口を開く。

「だが、どうやって足止めしたらいいんだ? それに、俺は相沢なんて生徒のことなんか知らんぞ」
「生徒の顔なんかは、学校でいくらでも調べられるだろう? 足止めに関しては、あいつに話しかければいいだけだ。最低十分は話を続けるようにしてくれれば、それでいい」
「わかった、校門のところで、相沢を十分間足止めするために、俺が話し続ければいいんだな?」
「そうだ」
「だが、それで一体何をするつもりなんだ?」
「それは、あんたが知らなくてもいいことだ」
「俺に面倒がかかることはないだろうな?」

 少し不安げな山浦の声が、電話を通じて相手に伝わる。 それを聞いて、電話口の人物が、また笑った。 文句を言おうとした山浦だったが、それよりも早く、相手が言葉を発する。

「忘れるなよ、あんたは私に逆らえないんだよ。まぁ、あんたが何かするわけじゃないんだ。その点は安心してもいいんじゃないかね?」

 その言葉に、ぎりっと歯を噛む山浦。 自分が脅されている事実に、内心相当苛立っているようだ。

「なに、心配はいらんさ。私が用があるのは、相沢という生徒の方なんだからな」

 まるで、山浦を安心させるために話しているかのような声音。 実際、そうなのかもしれないが。 とりあえず、ここで逆らうことはできないのだから、山浦も、相手の要求を受け入れることに決める。

「わ、わかった。ちゃんと言われた通りにする。だから、あのことは……」
「あぁ、ちゃんと黙っててやるさ」

 そんな言葉の後で、電話が切られる。 つーっ、つーっ、という音が、山浦の耳に小さく響く。 だが、電話が切れてもなお、しばらくの間、山浦は、受話器を握り締めたまま、そこで立ち尽くしていた。







「くくく……」

 一方、山浦に電話をかけた人物は、電話機の前で、また笑っていた。 それは、念願がようやく叶うことを喜ぶかのように。 そこにあるのは、どこか暗い喜び。 それを体現したような、笑み。

「さて、これで準備は万端だな」

 翌日のことを考えているのか、その口許からは、笑みが消えない。

「ようやく……ようやく、この恨みを晴らせる」

 そう言い捨てると、ゆっくりと電話機の前を離れ、自分の部屋に向かう。 ゆっくりと歩きながら、けれどやはり笑みが消えることはない。

「ふふ……明日は、せいぜい踊ってもらおうか」

 ぺたぺた、と、スリッパが音をたてる。 静かな家の廊下に、それは不思議に大きく響いた。 そんな音を気にするでもなく、その人物は歩き続ける。
 その心中には、復讐の対象だけではなく、それに利用する対象も浮かんでいるのだろう。 少しばかり興奮気味な様子から、そんなことが窺い知れる。
 この言葉は、その利用しようとしている人間にかけている言葉なのだろうか。

「この私の復讐のために、な……」

 自室と思しき部屋の扉を開け、後ろ手に閉めながら、そんなことを言った際の顔には、それまでよりも、さらに大きく深い笑みが浮かんでいた。








〜続く〜





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