彼の人に捧げる挽歌


第四章  想起















 四月二十五日、日曜日。

 学生である祐一にとって、日曜日とはもちろん休日である。 故に、起床時刻に留意する必要は、基本的にはない。 常日頃、従兄妹である名雪と一緒に、慌しい朝を送っていることを思えば、休日ぐらいはのんびり過ごしたいところでもある。
 それ故に、普段ならば、彼とてそれほど早くは起きてこないし、秋子も何も言わない。 例えば、昼頃に起きてくることだって少なくないのだが、それでも微笑みながら、食事の用意をしてくれる。 学校が休みの場合、祐一が起きてくるのは、早くとも午前九時くらいである。 これがいつもの休日なのだ。
 だが、今日は勝手が違った。 時刻にして午前八時。

「おはようございます、秋子さん」
「あら、祐一さん、おはようございます。傷の具合はどうですか?」

 リビングの扉から顔を出した祐一に、やはりいつも通り微笑みながら、朝の挨拶をする秋子。 それでも常とは異なり、昨日の傷を心配してしまうのは、当然のことだろう。

「はい、大した傷でもないですし、今は、痛みもほとんどなくなってますよ」
「そうですか」

 祐一の無理のない表情を見てとると、秋子はほっとした表情を見せる。
 それから、祐一が席につくと、秋子がキッチンに向かい、朝食の準備をしてくれる。

「今日はどうするつもりなんですか?」
「まずは警察に行きます、もちろん」

 トーストにコーヒー、サラダにハムエッグ、とオーソドックスな朝食を並べると、秋子が祐一に問いかける。 それに対し、いただきます、と言ってから、返事をする祐一。 お腹が空いているのか、食べながら、という形だったが、それをとやかく言われるようなことはない。

「一人で大丈夫ですか?」

 聞き様によってはあんまりな言葉だが、何しろ昨日の今日である。 いつ、どこで、誰が襲いかかってくるかわからないのだ。 秋子が心配するのもまた、当然のことだろう。

「いくらなんでも、昼間っから襲ってはこないでしょう。暗くなるまでには帰ってくるつもりですし、心配いらないですよ」

 祐一が、安心させるように微笑みながら、その問いに答える。
 確かに、昨日襲われたと言っても、それは闇に乗じてのもの。 昼間に、真正面から襲ってこられたわけではないのだ。 そして、それは失敗してもいる。 それを考えれば、いきなり同じような方法で襲ってくるようなことは、よほどの馬鹿でない限りしないだろう。 そう思っての、祐一の発言だった。

「そうですか……?」

 それでもなお、心配そうな表情を崩さない秋子。 もちろん、祐一の言葉には一理ある。 それでも心配せずにはいられないのは、祐一のことを、本当に大事に思っているからだろう。

「はい。それに、ちゃんと警戒しますから。注意していれば、誰かに襲われそうになっても逃げられますって。こう見えても足は速いですから」

 そう言うと、祐一はにっこりと笑う。 そんな言葉に、少し目を丸くした秋子だったが、やがて固かった表情を崩した。

「わかりました。くれぐれも注意してくださいね」
「もちろんですよ」

 朝の全力疾走を見ている秋子だからこそ、祐一の発言に苦笑いを浮かべずにはいられなかったし、それが表情を崩すことになったのだろう。 何より、祐一自身が、きちんと状況を把握し、警戒すると言っているのだ。 そう思って、これ以上の注意は必要ない、と判断したのかもしれない。

「ごちそうさまでした」
「はい。それで、すぐに出かけるんですか?」

 全て食べ終わった祐一に、秋子が問いかける。

「はい、そのつもりです。あ、それから、昼は外で食べてきますから」
「そうですか、わかりました」

 そこで、秋子が、少しばかり含みを持たせた笑みを浮かべる。 そんな秋子の様子を見て、祐一は少し不穏な気配を感じ、早々にリビングを辞することに決めた。
 さっと席を立つと、そのまま扉へと向かう。

「舞ちゃんと佐祐理ちゃんに、よろしく言っておいてくださいね」

 部屋を出る祐一の背中にかけられた声は、どこか楽しそうなものだった。 その声に追い立てられて、というわけではないが、祐一は秋子に一言かけると、そそくさと自室に戻った。



「それじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい。くれぐれも気をつけてくださいね」

 秋子に見送られ、祐一が家を出る。 かけられた声に、わかってます、と笑顔で言うと、祐一はゆっくりと歩き出した。 最初の目的地は、当然のことだが、交番である。

 今日もいい天気だった。 おそらく、各地の観光名所やテーマパークなどが混み合うことは、まず間違いないだろう。 昨日と違い、今日は日曜日なのだから。 祐一達が行った動物園にしても、家族連れで賑わうことに、疑いの余地はない。
 朝の眩しい陽射しの中を、祐一はゆっくりと歩いていた。 見慣れた風景ではあるが、それが完全に春の装いになりつつあるところを見ると、どこか新鮮に思えてくるから不思議だ。 歩き慣れた道ではあっても、来た当初と、そして最近までは、雪が積もっていることが普通だったため、祐一の記憶の中の風景は、何処も彼処も白く染め上げられていた。
 それ故か、こうして雪が完全になくなっただけで、景色はがらりと一変してしまう。 冬の間はその流れを止めていた川も、今は静かに、水を下流へと運んでいる。 そんな小さな水音も、これまでは、ほとんど聞くことはなかった。
 家の庭先に根を下ろしている木々が芽吹いている様も、やはり新鮮な気分で見ることができる。 小鳥のさえずりや、少なくはあっても色とりどりの花が咲いている様は、道を歩く人々を楽しませてくれる。
 これが梅雨に入り、夏になり、秋へと移り変わっていけば、その度に新鮮な感動が与えられるのだろうか。 日本と言う風土の持つ、四季折々の自然の顔には、誰しも少なからず心を奪われてしまう。

 そんな景色に目をやりながらも、祐一の心を占めていたのは、他のことだった。 それはもちろん、昨日のことと、さらにもう一つ、それと脅迫状との関連についてだ。
 脅迫状が届いた次の日に襲われたことを考えると、その両者が全く無関係とは考えにくい。 というよりも、何らかの関係があると考えるのが、自然な発想だろう。
 しかし、肝心の心当たりがないのだから、どうしようもないのが現状だ。 脅迫状で脅され、ナイフで切りつけられるほどに、自分が恨まれている。 それが、どうもぴんと来ない。 実際に襲われたのだが、それでもどこか釈然としないのだ。
 もし祐一が、何らかの悪事を働いていたのならば、話も違っていただろう。 しかし、殺されそうになるほど恨まれるようなことをした記憶は、やはりなかった。 それ故に、どうにも気分が悪い。

 そんな憮然とした気持ちのまま歩いていたが、結局答えが見つからないままに、交番に着いた。 だが、扉を開けて中に入っても、誰もいなかった。 もしかしたら、パトロールにでも行っているのかもしれない、と祐一が思ったとき、奥の方から誰かが歩いてくる音が聞こえてきた。

「あ、ごめんごめん。ちょっと席を外してたんだが、何か用かな?」

 少し申し訳なさそうにして、祐一のそばまで歩いてきたのは、三十歳くらいの男性だった。 彼は、この交番に勤務している、森下巡査。 元々この街の生まれで、警察官になってから、ここの交番に配属された巡査だ。 地元出身ということもあり、周辺住民の信頼も厚く、また彼も様々な相談に親身になって対応しているため、人気も上々だったりする。

「あ、はい、実はご相談したいことが……」
「まぁ、とりあえずそこに座って。ゆっくりと話を聞こうか」

 声をかけられて、一気に話そうとする祐一を遮って、森下は、祐一に椅子を勧める。 話が長くなるのならば、立ったままというのは大変だろう、という配慮らしい。 一つ礼を言って、祐一が机の前に置かれた椅子に腰掛ける。 その前の机の席に森下が座り、調書の準備を整えた。 それから、祐一に向かって話しかける。

「それで、どうしたんだい?」
「はい、実は昨夜、帰宅途中に、ナイフを持った男に襲われたんです」
「何だって?」

 祐一の言葉を聞いて、森下の表情が、若干引き締まったものになる。 元々、この辺りは比較的治安のいい地域だけに、傷害事件のような物騒な事件の数は、それほど多くないのだ。 だからこそ、祐一の言葉に、表情を変えたのだろう。

「それはいつ頃かね?」
「時間は……日が暮れた頃でした。正確な時間は覚えてません」
「ふむふむ……で、襲ってきた男の顔は見たかい?」
「いえ、何か顔をすっぽり覆う帽子みたいなものを被ってたので」
「なるほど、目出し帽か。それで、ナイフで切りつけられたんだね?」
「はい」

 そう言うと、祐一は左手を示す。

「傷は? 深かった? 浅かった?」
「いえ、それほどは……」
「なるほど……」

 そうして、森下が、目の前の書類に、言葉を書き込んでいく。 その後も、色々な質問が続き、それに祐一が答え、それが文字となってゆく。 そして、様々な質問が続いた後で、肝心な質問に移った。

「それで、心当たりはあるのかい?」
「心当たりと言うか……」

 その質問に、少し言い淀んだ祐一だったが、やがて決心したかのように、ポケットから封書を取り出した。 一応家から持ってきておいた、一昨日受け取った脅迫状だ。 それを机の上に置く。

「拝見させてもらうよ」
「はい」

 森下は、一言断ると、封書の中から便箋を丁寧に取り出し、それに目を通す。 文章自体は非常に短いため、読み終わるのに時間がかかるわけもない。 けれど、まるで止まってしまったかのように、その中に書かれた文字に目をやり続ける森下。 何度も読み返しているのかもしれないし、何か考えているのかもしれない。

「最初は、いたずらかも、と思ったんですが……」
「ふむ、確かにこれだけならいたずらという可能性もあるが、実際に襲われたとなると、無視はできないな」

 脅迫状だけだったならば、それこそ不幸の手紙のようなもの、という解釈も不可能ではなかった。
 しかし、祐一は実際に襲われているのだ。 いたずらにしては度が過ぎているし、そう考えると、この脅迫状を無視することはできない。 十中八九、脅迫状の主とナイフで襲ってきた者は、同一人物だろう。

「答えにくいかもしれないが、こういう脅迫状を送ってくるような人間に心当たりはないかね? 自分が恨まれているような……」
「昨日からずっと考えてるんですけど、全く心当たりはないんです。いくら考えても、復讐されるようなことなんて……」

 まっすぐに祐一を見てくる森下を、祐一もまたまっすぐに見返した。 困惑の表情の祐一に対し、考え込むように手を顎に当てる森下。 こちらもまた、困惑の色が見え隠れしている。

「うーん……だとすると、気付かないうちに、誰かを傷つけていたのかもしれないな」
「……」

 いくら考えても心当たりがないからといって、この可能性は否定できない。 人間は、知らないうちに、何気ない言動で誰かを深く傷つけることだってあるのだから。 それがわかっているため、祐一も頷くしかない。

 それから、当面は自衛を考えて、人通りの少ないところに行かないことや、夜間の外出は控える、常に自分の所在を誰かに教えておく、などの注意を受けた。 傷害事件とは言え、現状では何も調べようがない。 とりあえず、パトロールの際に、特に不審人物などに注意することを約束はしてくれたし、何かあったらすぐに連絡するように、とも祐一は言われた。
 脅迫状もまた、念のために預けられることとなった。 あるいは、指紋などについて調べるのかもしれない。 少なくとも、一つの証拠でもあるのだから、預けられるのも当然かもしれないが。







「それじゃあ、気をつけて」
「はい、ありがとうございました」

 礼を言って、祐一は交番を後にした。
 時計を見ると、昼まではまだもう少しある。 それでも、舞と佐祐理の家まで歩くうちに、おそらく丁度昼食にいい頃合になるだろう。 そう考えて、二人の家まで歩き始めた。
 そして、その道すがら、ポケットから携帯を取り出した。 舞と佐祐理が家を出てから、いつでも連絡が取れるように、ということで、三人一緒に買ったものだ。 使用料は、もちろん自分の小遣いから出している。
 そういう事情もあるため、祐一は、経済的にはあまり余裕がない。 本気でバイトを探そうと考えたこともあるが、祐一は受験生。 舞と佐祐理が通う大学を本気で目指すならば、バイトどころではないのが現状だ。
 故に、一年はとりあえず我慢することにしよう、と結論付けている。

 電話で連絡をとると、一緒に昼食をとる約束は、簡単にとりつけることができた。 お待ちしてます、という言葉に、祐一は、楽しみにしてる、とだけ言うと、通話を終えた。
 舞と佐祐理の家までの道の途中で、やはり考えてしまうのは、先の出来事。 警察でのやりとりもそうだが、それによって、自分の置かれた立場がはっきりと示されてしまったことが問題だ。
 自分が、誰かに何かの理由で恨まれているらしいこと。 そのために、脅迫状を受け取り、そして実際に襲われたこと。 さらに言えば、これからも襲われる可能性は十分にあるだろうこと。
 それを思えば、どうしても考え込まざるを得ないのだ。 これからどうするか、ということ。 そして、一体誰が、何の理由で、自分に襲いかかってくるのだろうか、ということ。
 祐一は、このことを舞と佐祐理に話すことは決めている。 二人に、隠し事はしたくないからだ。
 けれど、このことを知らせれば、間違いなく二人を心配させることになる。 付き合いはまだ三ヶ月ほどとは言え、時間なんて関係はない。 それくらい想っている自信もあったし、想われている自信もある。
 それ故に、心苦しいのだ。 できれば知らせたくはないが、知らせないのも嫌だ、というジレンマ。 既に、二人に知らせることは決めていても、やはり心は揺れ動く。
 例えば、自分だけが狙われるのならば、祐一とて何とかできないこともないだろう。 けれど、話すことで、二人まで狙われることになったら。 それを思うと、どうしても心が曇る。

 道すがら、幾度となく葛藤に苦しんでいたが、二人の家に辿り着いた時には、結局当初考えていたように、全て話すことを決めた。 何だかんだ言っても、黙っていることはできないだろう、と考えたからでもあるが。
 階段を上り、最上階の二人の部屋を目指す。 コツコツ、と、自分の足音だけが耳に飛び込んでくる。 それほど年数も経っていないこともあって、建物自体が、まだまだきれいな状態だった。 壁も色褪せていないし、壊れてる箇所も見当たらない。
 そんなことに考えを巡らせながら、階段を上りきり、二人の部屋の前までくると、一つ呼吸してから、インターホンを押す。 少しして扉が開くと、いつも通り、舞と佐祐理が、笑顔で出迎えてくれた。
 挨拶してから、部屋に入る。 奥の方から、何かいい匂いが漂ってくる。 既に、昼食の準備はできているらしい。
 それから、話もそこそこに、三人は座って、まずは食事を済ませることにした。 いつも通り、三人でテーブルを囲んでの食事だ。 もっとも、お弁当ではなかったため、おかずの取り合いのようなものは起こらなかったが。



「え? 襲われたって……大丈夫なんですか?」
「祐一、大丈夫?」

 案の定と言うか、食後に祐一が話した内容に、二人は目を剥いた。 佐祐理は口元に手を当てて、大きく目を見開いている。 舞に至っては、普段が無表情だけに、その変化は著しく、心配そうに眉を寄せながら、祐一の体の心配をしている。
 だが、実際のところ、祐一のけがの程度は、それほどひどくはなかった。 だから、祐一は、傷つけられた左腕を二人に見せるようにしながら、自分の無事を伝える。

「あぁ、とりあえず体に問題はないよ。傷自体も結構軽いもんだったし」

 その言葉に安堵したのも束の間。 すぐに話は、肝心な問題へと移る。

「それにしても、脅迫状ですか……」
「心当たりはないの?」
「警察の人にも言ったんだけど、心当たりなんて全くないんだ」

 脅迫状を送られ、それから襲われた、となると、計画的な犯行であると考えるべきだ。 となれば、昨日襲われて無事だったからと言って、すぐに安心することなど、到底できようはずもない。 すると、まず考えなければならないのは、今後の襲撃の回避と、襲われる原因の究明だ。
 しかし、祐一には心当たりはない。 故に、ここで話し合いは止まってしまう。

「そうですよね。祐一さんが殺されそうになるくらい恨まれてるなんて、考えにくいです」

 短い付き合いではあるが、佐祐理も、祐一のことはよくわかっている。 何より、多くの人に敬遠されてきた舞の本質を見抜き、舞の心を開いた人間なのだ。 舞をよく知る佐祐理だからこそ、舞が心から信頼する祐一を、心から信頼できる。 それだけに、祐一が誰かに恨まれている、ということが、不可解で仕方がない。 だからか、大きく首を傾げながら、心底不思議そうな顔をしている。

「私もそう思う。だけど、脅迫状が名指しで送られてきてるんだから、誰かが祐一を恨んでいるのは、事実だと考えるべき」

 舞もまた、佐祐理の意見に賛同した。 だが同時に、警告も発する。
 脅迫され、そして実際に襲撃される。 それも、ただ殴られるというのではなく、ナイフで切りかかってこられたのだ。 ここまでの行為に駆り立てられているのならば、やはり犯人は祐一を強く恨んでいると考えるのが自然だろう。
 舞は、もちろん祐一を心から信頼している。 それでも、事実を故意に曲げたりはしない。 誰かが祐一を恨んでいる、という可能性は、しっかりと考えなければならないことだ。

「そうだよな……」

 少し沈んだ声。 祐一も、それは考えていた。 誤解や勘違い、という可能性も0ではないだろうが、実際に名指しで脅され、また姿を確認した上で襲われたのだ。 そうなると、祐一を襲うだけの、つまり犯人を復讐に駆り立てるだけの何かが、動機として存在する、と考える方が自然である。

「犯人は、誰なんでしょう?」

 どちらにともなく、佐祐理が聞く。 何の理由があって、祐一を恨むのか。 そもそも、そんなことをするのは、一体誰なのか。
 脅迫状には、犯人を示すものなど、何も書いていなかった。 もちろん、脅迫状そのものは警察に渡しているため、今は手元にないが、紙に書き写してあるものを、二人にも見せている。

「犯人も問題だけど、もっと大事なのは、こんなことをする理由だと思う」

 脅迫状の文面に目を落としながら、舞が静かに口を開く。

「自分の犯した罪を悔いながら……だよな」

 舞が言いたいだろうことを、先んじて祐一が言う。 その言葉に、小さく頷く舞。 そして、さらに言葉を続けた。

「これは、祐一が何かをして、それを恨んでいるっていうことだと思う。祐一に心当たりはなくても、犯人にはあるということ」
「そうだな……」

 舞の言葉に、祐一も力なく頷く。 やはり、誰かを傷つけたという思考は、祐一の心の負担となっているのだろう。

「でも……」

 と、そこで、佐祐理が静かに口を開いた。 反射的に、佐祐理の方を向く祐一と舞。 それを待っていたかのように、佐祐理が話し始める。

「何か恨む理由があって、その復讐をするのなら、どうしてその理由について、脅迫状に何も書いてないんでしょうか?」

 文面に目を落としながら、佐祐理は、不思議そうな表情になっている。
 確かに、正当な復讐だ、という意思があるのならば、その理由についても、何か書いているはずではないだろうか?  少なくとも、過去を想起させるだけの、何かのキーワードだけでも、書いてあるべきだろう。
 もし、祐一が誰かを傷つけていて、そのことを悔いるように言うのならば、その罪を思い出させなければ、意味がないのではないだろうか?  ただ、罪を悔いろ、と言われても、その罪が何なのかわからなくては、悔いたくてもそれは不可能というものだ。 そもそも、祐一に復讐したいのならば、罪の意識を感じさせたいのならば、その罪についても明言していた方が、よほど心にダメージを与えられるというものである。
 にも関わらず、脅迫状では、そのことについて、一切言及されていない。 そのことが、佐祐理の心に引っかかる。

「うーん……」
「……考えられる理由は、三つあると思う」

 悩む祐一を他所に、舞が口を開く。 そして、指を一本立てる。

「一つ目は、祐一が書かなくてもわかるだろう、と思っているから」

 舞が喋る言葉に、祐一と佐祐理は、黙って聞く体勢に入っている。 そのことに勢いを得たのか、舞が、さらに指をもう一本立てながら、話を続ける。

「二つ目は、不明瞭にすることで、祐一の不安を煽ろうとしているから」

 真剣に聞き入る祐一と佐祐理。 それから、舞が、もう一本の指を立てた。

「三つ目は、何か書きたくても書けない理由があったから」
「ん? 書けない理由って何だ?」

 舞が挙げた三つ目の可能性について、祐一が質問をする。 前の二つに比べて、これだけが大分抽象的だったからだ。

「それはわからない」
「そっか……」
「でも、色々と想像することはできる」
「何? 舞」

 佐祐理が尋ねると、舞が佐祐理に目を向ける。

「例えば、そもそも動機がない、という可能性」
「え?」
「つまり、対象は祐一でなくても良かった、ということ」
「それって、無差別ってことか?」
「そう。誰でもいいから攻撃したかったっていう快楽犯罪者の類の可能性だって、0じゃない」

 可能性だけを考えるなら、それだって捨て去ることはできないだろう。 しかし……

「それだったら、お手上げじゃないか」

 祐一が困ったような表情で舞に聞く。

「確かに、そう。だけど、可能性は0じゃない」
「そりゃそうだけどさ……」
「でも、この可能性は低いと思う」

 自分の挙げた可能性を、しかし否定する舞。 不思議そうにしている祐一と佐祐理の顔を見ながら、舞が、その理由について話し始める。

「いくらなんでも、手が込みすぎてる。それに、誰でもいいから攻撃したいだけだとしたら、わざわざ相手に手紙を出してから、なんていう面倒臭いことはしないと思う」

 脅迫状を、わざわざ郵送してきた今回の犯人。 その手口は、一々迂遠で、手間がかかっている。 もし快楽犯罪者の類なら、果たしてこんな手段をとるだろうか?
 何より、ここ最近の新聞やニュースを見る限り、この近隣では、対象を無差別に選んでいるような傷害事件は起こっていない。 かと言って、最近になって、いきなり犯人が行動を開始した、と考えるのは、いかにも都合が良すぎる。

「祐一、気をつけた方がいい。多分、犯人は、昨日のことだけで終わらせたりはしないと思うから」

 舞の注意に、神妙に頷く祐一。 佐祐理は、少し心配そうな表情をしている。 三人は、お互いがお互いを強く想っているのだ。 心配にならないわけがない。

 結局、警察で聞いたようなことを、再度、舞と佐祐理に聞いてから、祐一は、暗くならないうちに家に帰ることにした。 幸い、帰り道で誰かに襲われるようなことはなく、無事に水瀬家まで帰り着いた。
 だが、それは、今日は襲われなかった、というだけのこと。 犯人がわかるまでは、決して安心はできないのだ。 もどかしい気持ちと、釈然としない気持ちを抱えたまま、祐一は、休日の残りの時間を消化していった。








〜続く〜





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