彼の人に捧げる挽歌


第十五章  再会















 五月五日、水曜日。

 夕闇の中での、祐一への狙撃から一夜明けた連休最終日。 おそらく電車や高速道路は、相当に混んでいるだろう、と思われる日。 実際、朝のニュースを見ていても、そんな話が出ていた。 誰もが帰宅ラッシュに巻き込まれるとわかっていて、それでもその中に突っ込んでいくというのは、果たしてどうなのだろうか。
 日本人は忍耐強い人種だという話もあるが、帰宅ラッシュのみならず、例えばテーマパークなどで、何時間待ちというアトラクションにも、平然と並んでいることも合わせて考えると、なるほど納得できる部分は多い。 少なくとも、行列のできる店に嬉々として並ぶ人は多いのだから、待つことにそれほど抵抗のない人種なのだろうとは思わせる。 その割には、公共の交通機関が数分遅れると、すかさず文句を言ったりすることがあるのは、少し謎である気がしないでもないが。

 昨日銃で撃たれた祐一だったが、幸い傷はかすり傷で、一夜明ければ、痛みもほとんどなくなっていた。 この分なら、すぐに完治することだろう。 元気そうな祐一を見て、秋子や名雪も笑顔を見せていた。
 朝食をとり終えて、少し休憩してから、祐一は出かける準備を始める。 それが終わると、秋子に、夕食はいらないということを伝えてから、二人に見送られて、水瀬家を出た。
 向かう先は、駅前の広場だ。 今日も、祐一が待ち合わせているのは、舞と佐祐理だった。 この日は佐祐理の誕生日だということもあり、夕食は外で食べる、ということになったのだろう。 祐一と舞は、相談して店を予約して、佐祐理の誕生日を祝うことにしていた。
 だが、歩く祐一の横顔には、浮かれているとは程遠い、どこか切なげな雰囲気があった。 どこか遠くを眺めているような、そんな目をして、ゆっくりとした歩調で、静かに歩き続ける。
 事件に巻き込まれて、一度ならず二度までも負傷したし、色々とショックの大きい出来事もあった。 だが、今の祐一の表情は、それだけによるものではないだろう。 もっと別の何かが、そこにあるに違いなかった。

「おはよう、舞、佐祐理さん」
「おはよう、祐一」
「おはようございます、祐一さん」

 祐一は、駅前で立っている二人に歩み寄ると、軽く挨拶を交わす。 二人の顔を見て、少しだけ表情が明るくなったが、それでもまだ、いつもの表情には遠い。
 舞や佐祐理もまた、どこかいつもとは違っていた。 少なくとも、今日誕生日を祝ったり、祝われたりする人のする表情ではない。 三人とも、そんな表情をしていた。
 舞と佐祐理の足元には、今日の準備なのか、いくつかの荷物があった。 一言二言言葉を交わしてから、そのうちの何個かを手にとると、祐一が先頭に立って、駅の改札へ向かって歩き出す。 残りの荷物を分担して持ってから、舞と佐祐理も、足早に祐一を追いかける。

 三人は、それから電車に乗り、目的地へと向かう。 車内は、比較的空いていた。 乗っている人は、皆色々とお喋りに興じていたりしたが、三人は沈黙を保ったままだった。 ただ黙って、目的の駅に着くのを待っている。 県立図書館に出かけた時の沈黙とはまた違う、どこか神妙な空気が、三人を包んでいた。
 目的の駅に着くと、三人は静かに駅に降り立った。 少しばかり寂れた駅である。 所々古ぼけた駅舎が、どこか物悲しさを醸し出していた。 元々、人の乗り降りの少ない駅なのだろう。 そんな駅だからか、電車から降りたのは、祐一達だけだった。 そしてまた、電車に乗り込む者も、一人もいなかった。

 改札を出ると、静かな駅前の広場が目に入ってくる。 広場を見渡してから、三人は、そこから伸びる一本の道に向かって歩き出した。 道は、駅前から、その奥に位置する小高い山へと向かっている。
 無言で歩き続ける三人。 ただ、三人が歩く音しか、耳には聞こえてこない。 駅前も、そして今歩いている所も、人通りは全くなかった。 何よりも、付近に家が建っていないのだ。 駅前にバスのロータリーがあったことから考えるに、少し離れた所にはあるのだろうが。 どうあれ、三人の近くには、誰もいなかった。
 少し上り坂になっている道の遥か向こうには、もっと大きな山がそびえているのが見える。 視界に飛び込んでくる濃緑色は、空の青と混じり合い、きれいな風景を描き出していた。 そこまで遠方でなくても、周りにも木がせり出しており、山の中にいることを実感させてくれる。 ほとんど山道に近い、そんな道を、三人は静かに歩き続ける。
 道路は舗装されているが、車が通りかかることはない。 時折聞こえてくる鳥の鳴き声以外には、何も聞こえてこない、そんな道。 しばらく歩くと、遠くから電車が走る音が聞こえた。 おそらく、先程乗ってきた電車の音だろう。 と言って、それを気にすることもなく、祐一達は、黙って道を歩き続ける。

 しばらく歩くと、視界の先に、石段が見えてきた。 百段以上はありそうな、そんな石でできた階段が、祐一達を出迎えてくれる。 上るのは大変そうなのだが、それを意にも介さずに、祐一達は、一段一段上っていく。 後半はかなりしんどそうにしていたが、それでも祐一達は、ペースを落とさないままで上り続けた。
 階段を上りきった所は、なだらかな山の斜面になっていた。 もちろん、ただの斜面ではない。 その整地された土地に、ずらっと並んでいるのは、かつて生きた人の、その名残……墓。 様々な人の名前が刻まれた墓石が、視界一杯に並んでいた。
 不思議なくらいの静寂の中、天高く位置する太陽からの光に照らされて、まるでその中の誰かが三人を歓迎しているような、そんな雰囲気を祐一は感じていた。 錯覚だとしても、そう思いたかった。
 そして、ポケットから取り出した紙を見て、目的の場所を探しながら歩く。 ほどなくして、一つの墓石の前で、祐一は立ち止まる。 静かに、目をその墓に向ける。 そこに刻まれている名は、月宮。

「……」

 無言の祐一。 その表情は、後ろに立つ舞や佐祐理には、窺うことはできない。

「……花が、ある」

 しばらく沈黙を保っていた舞だったが、ふと視線を下ろした時、彼女の目に見えた物があった。 それは、確かに花束。 まだ供えられてからそれほど日数が経過していないのだろう。 枯れてもいなかったし、葉も散ってはいなかった。

「……あの人、でしょうか?」

 あの人。 佐祐理が口にしたその言葉は、具体名ではなかったが、祐一と舞は、すぐにそれが誰なのかがわかった。 というより、可能性として、それが一番高いと思われた。 それでもと言うべきか、だからと言うべきか、三人の誰も、その名を口にしようとはしない。

「……きっと、あゆを利用することに、抵抗はあったんだと思う」

 舞がぼそっと呟いた。 祐一は何も言わない。

「どんな気持ちだったんでしょう? 目の前で、娘さんを失った時。あゆさんが息を引き取った時。祐一さんを襲った時。山浦さんを銃で撃った時。そして、この花束を捧げた時」

 佐祐理は、少し沈んだ声で、そんな疑問を、そっと口にする。 答えを求めていたわけではないだろう。 悲しみに満ちた声音は、誰かに発せられたものではなかった。

「……悲しいな」

 それだけを言うと、祐一は持ってきた荷物を下ろし、準備を始める。 花束や線香、お供えを取り出す。 舞と佐祐理もそれにならい、てきぱきと準備をする。

「あゆ……」

 花を供え、線香を点し、彼女が大好物だったたい焼きを墓前に置くと、祐一は墓石の前にしゃがみ込む。 そして、名前だけを呼ぶと、それ以上は何も話さないまま、静かに手を合わせて、目を閉じる。
 舞も佐祐理も、何も喋らない。 他に来ている人もいないため、何の物音も聞こえてこない。 耳に痛いほどの静寂。 微動だにしない祐一は、ずっと目を閉じたままだった。 ただ、静かにそこにいた。

「祐一、私も……」

 それからどれくらい経ったのかわからない。 ずっと黙っていた舞が、ふと口を開き、それだけの言葉を発する。 静寂の空気を、その言葉は、大きく震わせた。

「……あぁ」

 祐一は、ゆっくりと目を開けると、舞の方を見ないまま、それだけを言葉にし、墓前を譲る。 舞もまた、祐一の方を見ることなく、墓前でしゃがみ、ゆっくりと手を合わせ、そして静かに目を閉じた。
 そしてそれからしばらくしてから、舞は立ち上がり、佐祐理に墓前を譲った。 佐祐理は、一つ頷くと、墓前にゆっくりと向かう。 しゃがみながら、佐祐理の表情が、少し動く。

「あゆさん……」

 ぽつりと呟かれた声は、微かに震えていた。 佐祐理もまた、静かに眼を閉じて、手を合わせ続けていた。



「そう言えば、あゆさんのベッドに置かれていたっていう人形……それ、一体誰がおいたんでしょう?」

 三人がそれぞれにあゆの墓前で祈って、それが終わると、佐祐理が、ふとそんな疑問を口にする。 その目は、祐一に向けられていた。 舞もまた、それが気になっていたのか、言葉には出さなかったものの、視線を祐一に向けてくる。 あるいは、祐一なら想像がつくのではないか、と思っているのかもしれない。

「ん……あぁ、多分それは、あゆだよ」

 聞かれた祐一は、一瞬きょとんとしたが、すぐにそれは微笑みに変わる。

「え?」
「探し物……あれだったんだな」

 戸惑う佐祐理を他所に、そう呟く祐一の表情は、どこか遠いところを見ているようだった。 きっと、それが思い出に繋がっているのだろう、と思わせるに足る、そんな微笑み。 ゆっくりと、その視線をあゆの墓前へ向ける。

「探し物……?」
「あぁ。今年こっちに引っ越してきてから、あいつと会ってな。その時に言ってたんだよ、探し物があるって」
「え? でも……」

 佐祐理が、祐一の言葉を聞いて、不思議そうな声を発する。 話によれば、あゆは、七年間を通じて、一度も意識を取り戻すことはなかったはずだ。 それなのに、どうして今年に入ってからのあゆの話が出てくるのだろうか。

「……祐一、聞かせてほしい」

 舞もまた、不思議そうな顔をして、祐一に問いかける。 祐一は、二人の顔を見回してから、一つ頷いた。

「あぁ。話すよ、全部。二人には、聞いてほしいから。二人には、覚えていてあげてほしいから」

 微笑みながら、二人にそう言うと、祐一はゆっくりと話を始める。 七年前のあゆとの出会いから、今年のあゆとの別れまでの、その全てを。 祐一とあゆが刻んだ、少し不思議な物語を。
 心に刻むように、決して忘れないように、三人はあゆのことを話す。 三人の他には誰もいない、そんな静かな空間に、思い出語りが響いてゆく。 祐一の声が、舞の声が、佐祐理の声が、一つの物語を紡ぎ上げてゆく。
 もう、あゆには届かないけれど。 あゆには、聞かせてあげられないけれど。 それでも、祐一は高らかに歌い上げる。 思い出の、メロディを。 空を越え、彼方まで届くように、心の中で願いながら。








〜了〜





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