彼の人に捧げる挽歌


第十四章  決着















 五月四日、火曜日。

 四連休の三日目ということもあり、大分落ち着いた空気が、街にも溢れていた。 休日は歓迎でも、さすがにこう連続して続くと、中だるみのようなものが出てしまうのだろうか。
 連休最終日の明日になれば、きっと別の意味で賑わうのだろう、と、街を歩きながら、祐一は思っていた。 高速道路や新幹線などは、おそらく明日に帰宅ラッシュを迎えるはずだ。 旅行していた者や、帰省していた者が、それぞれに生活の場に戻るのだから。
 テレビや新聞の写真などでよく見る、高速道路の料金所に延々と並ぶ車の列や、立錐の余地のなくなった電車内の様子などが、明日は見られることだろう。 もちろん、それが祐一に直接関わってくることはない。 ただ、何となくそんなことを思っただけに過ぎない。

 今日は、朝から舞と佐祐理の家へと向かっている。 もっとも、二人に何か用事があるというわけではなく、警察からの連絡があった時に備えて、という理由であるが。
 昨日、祐一達は警察に全て話したし、警察はその線で調べてくれると約束してくれていた。 それだけではなく、もし捜査に大きな進展があれば、祐一達にも連絡してきてくれることになっている。 これは、調書の作成に、祐一の証言が必要だから、という理由もあるのだろうが。
 ともあれ、何かあれば連絡がくるのだが、その連絡先は、舞と佐祐理の家ということになっていた。 だからこそ、いつ連絡が来てもいいように、祐一は、連休三日目のこの日も、舞と佐祐理の家まで、歩いて向かっているのだ。
 もちろん、二人とともに過ごす休日に不満などあるわけもないし、むしろ歓迎すべきことですらある。 それでも、まだ事件が解決したわけではないからか、街を歩く祐一の足取りは、少し重いものだった。

 少し曇った空の下を、祐一は歩き続ける。 時折すれ違う人達の雑談などが、意識しないでも耳に入ってくる。 他愛のないやり取り。 平和な光景。 それがどこか遠く感じるのは、まだ日常に戻っていないからだろうか。
 賑わう街中には、当然仲の良い親子連れも多い。 父親と母親に両手を繋いでもらって、ご機嫌な様子の子供もいるし、兄弟揃って大きな声で笑いながら走る子供を、苦笑交じりに追いかける親達もいる。 そんな小さな子供ばかりでなく、例えば買い物に来ている高校生ぐらいの子供と、お金を出してあげるのだろう親という構図も見られた。

 村岡医師もまた、この道を、娘と一緒に歩いていたのだろうか。
 ふと、そんなことを祐一は思った。 思い、そして、少し悲しくなる。 彼が犯人であろうとなかろうと、またその親子仲がどうであったとしても、もうその二人が並んで歩く姿は、絶対に見られないのだ。
 祐一の脳裏に、二十九日に出会った、村岡医師の顔が浮かぶ。 妻を亡くし、年齢も重ね、そして最近、娘を失ったという。 一人娘。 祐一の担任の石橋は、そう言っていた。
 となると、娘の存在は、それが全てではないにしても、それでも村岡医師の大きな生きがいとなっていたのではないだろうか。 娘の人生が輝かしいものになってくれることを、誰よりも願っていたはずだ。 少なくとも、自分よりも先に死ぬなんて、微塵も考えていなかったに違いない。
 それが、理不尽に奪われた。 新聞によると、目撃していたのは、当の村岡医師。 彼はその時、何を思っていたのだろう。 娘の命が消え行くその時に、彼の心に去来したものは、なんだったのだろう。
 それを思えば、復讐という言葉が出てくることさえ、自然な気がしてくる。 彼のその時の気持ちは、もちろん祐一にはわからない。 わかるはずがないのだ。
 あゆを失ったという悲しみは経験しているが、それは誰が悪いというわけではなかった。 間違いなく、不慮の事故だ。 悲しみはしたし、自責もあったが、そこに憎しみなど存在しない。
 けれど、村岡医師は違う。 彼は、確実に他人により奪われてしまったのだ。 きっと誰よりも大切だっただろう人を。 自分の目の前で。 そこに悲しみが存在しないわけがない。 そしてまた、憎しみが存在しないわけがない。

「やってられないな……」

 つい呟かれたのだろう祐一の言葉が、街の空気の中に溶けていく。 けれどその言葉は、誰に聞かれるでもなかった。 祐一もまた、誰に話していたわけではないので、それ以上を言葉にすることもない。

 そして、商店街を抜けて、さらに歩いているうちに、やがて舞と佐祐理の家に辿りつく。 ゆっくりと階段を上がり、家の前に立つと、呼び鈴を鳴らして、扉が開けられるのを静かに待つ。

「あ、祐一さん。おはようございます」
「おはよう、佐祐理さん」

 ほとんど待たされることもなく、玄関から顔を出した佐祐理の笑顔に迎えられ、祐一の表情にも、笑顔が戻る。 そして二人で並んで、家の中に入っていった。

「あれ? 舞は?」

 きょろきょろと見回しながら、祐一が佐祐理に尋ねる。 出迎えがなかったから、部屋の奥にでもいるのかと思ったのに、どこにもその姿が見当たらない。 不思議そうな祐一の声に、佐祐理が振り向いて答える。

「舞は今ジョギングに行ってますよ」
「あぁ、体動かすの好きだもんなぁ、舞は」

 佐祐理の言葉に納得の表情に変わる祐一。

「はい。でも、多分もうすぐ帰ってきますよ。いつもこのくらいの時間ですから」

 と、佐祐理が時計を見ながらそう喋り終わると、それを待っていたかのように扉が開く。 入ってきたのは、少し汗をかいている舞。 入ってくると、祐一に向かって、軽く手を上げる。 苦笑しながらも、同じく手を上げてそれに答える祐一。
 と、舞が隣の部屋に入っていった。 それを見送ってから、祐一の隣に佐祐理がやってくる。

「……今日、連絡があるでしょうか?」
「進展があれば連絡してくるって言ったわけだし、あるんじゃないかなとは思うけど……」

 言葉を濁す祐一。 連絡してくることは約束してくれたが、いつ連絡してくるかについては、全く聞いていない。 となると、今日中に連絡があるかもしれないし、明日以降になるかもしれない。

「……早く終わってほしいです」
「あぁ……」

 佐祐理の言葉に、同意を示す祐一。 犯人が誰であれ、その犯行の動機が何であれ、事件が早く終息してほしいと願うのは、至極当然のことだろう。

「佐祐理、祐一、大丈夫。多分すぐに決着がつくと思う」

 そこで、部屋から着替えて出てきた舞が、少し沈んでいる二人にそんな声をかける。 二人が思わず見上げると、舞が小さく微笑んでいるのが見えた。

「そう信じた方が、くよくよと考え込むよりも、ずっといい」
「……そっか」
「そうだな」

 祐一達が悩んで、それで事件が解決するわけではないのだ。 もう祐一達にできることは何もない。 それなら、悩んでも疲れるだけである。 舞の言う通り、信じて待つことにした方がいいだろう。

 そして、三人で話をしながら、電話がくるのを待つことにした。 佐祐理が淹れてくれた紅茶を飲みながら、のんびりと時間を過ごす。 一人で待つしかないのなら、かなりのストレスになりそうなものだが、三人だから、そんなことはなかった。







 結局、午前中には、警察からの電話はなかった。 とは言え、それで落胆するほど焦っているわけではないし、三人はゆっくりと昼食をとることにする。 祐一は、時々電話機の方に目をやっていたりしたが、舞と佐祐理は落ち着いたものだった。
 昼食を食べ終わっても、それから時間が経っても、なかなか警察からの電話はかかってこなかった。 時折電話がかかってきて、勇んで出てみれば、それが全然関係のないことだったりして、余計に疲労感を覚えたりする。 もしかしたら今日はかかってこないのかもしれない、と思い始めるのも、仕方がないだろう。

「今日はかかってこないのかなぁ?」
「まだ今日が終わったわけじゃない」
「心配する気持ちはわかりますけど、焦ってもどうにもなりませんよ」

 そわそわとしている祐一に対し、舞と佐祐理は、やはり落ち着いたまま諭してくる。 そう言われれば、祐一も頷いて落ち着こうとするのだが、すぐにまたそわそわとし始めるのだ。
 結局、日が暮れ始めても電話がなかったため、祐一は水瀬家に帰ることにした。 あるいは夜に電話があるかもしれないが、その場合は水瀬家に電話で教えてくれるだろうし、どちらにせよ、警察へ行くのは明日以降になるのは確実なのだ。

 そして、玄関で舞と佐祐理に別れを告げると、家に向かって歩き始める。 既に日が暮れてきているからか、辺りには人気が少なくなっている。 歩いていても、ほとんど人とすれ違うこともない。 多くの人が、もう既に家に帰り着いているのだろう。 休日特有の浮ついた空気も、日の入と同時に霧散したのだろうか。
 そんなことを思いながら歩いていると、頭上が不意に明るくなる。 見上げれば、街灯がついたところだった。 通りを一定間隔で照らし出す、小さな光。 本格的な夜の幕開けだ。
 そんな街灯の明かりの下を、祐一は水瀬家まで歩き続ける。 暗くなっているとはいえ、特に急ぐ必要もないので、その足取りはゆっくりとしたものだった。 彼の心には、自分が狙われていたという事実は、既に過去のものとされていたらしい。



 水瀬家が視界に入って、ほっと一息をついた時だった。
 鋭い銃声が耳に響くと同時に、祐一は、左腕に激痛を感じて、小さく悲鳴を上げながら、その場にうずくまる。 撃たれた、と思う余裕すらなく、反射的に傷口に手をやる。
 ぬるりとした嫌な感触。 ナイフで切りつけられた時と、ほとんど同じ感触だった。 ただ違うのは、今回はナイフではなく、銃による攻撃だということ。 そして、当然だが、今回の方が傷が深いだろうこと。
 傷に思考を巡らせたのも束の間。 すぐに、自分が置かれた状況の把握へと、思考は移される。 撃たれたということ。 それはすなわち、今、祐一の近くに、犯人がいるということである。 そして、今回は祐一のそばには誰もいない。 となれば、犯人は、祐一を狙って撃ったことになる。
 犯人の狙いは祐一ではない、と結論付けていただけに、油断していた。 もう犯人に狙われることもないだろう、と、祐一は考えてしまっていた。 しかし、祐一が狙われる可能性がなくなったわけではなかったのだ。
 そもそも犯人が村岡医師ではない可能性も、ゼロになったわけではない。 村岡医師だったとしても、祐一を狙わないという保障も存在しない。 動機は、いくらでも考えられる。 あゆのことで、祐一をやはり憎く思っていたのかもしれない。 あるいは、警察の目を、祐一やあゆへと向けるために、わざと祐一を憎んでいるような行動をとっているのかもしれない。

 だが、事実がどうであれ、今、重要になってくるのは、祐一が狙撃されたということである。
 明るい街灯の下、浮き彫りになっている祐一のシルエットは、格好の的だ。 それに思い至り、急いで逃げなくては殺される、と本能が急かすが、左腕に走る痛みのせいで、上手く立ち上がれない。 まだ二発目はきていないが、いつくるかはわからない。 いつ、祐一の体に銃弾が撃ち込まれても、おかしくはないのだ。
 静かに忍び寄る死の足音に、思わず叫び声を上げそうになった時、次の銃声が響いた。
 祐一は思わず目を閉じたが、予想された衝撃は、いつまで経ってもこなかった。 痛むのは、左腕だけだ。 それどころか、どこかに着弾した様子も窺えない。 自分の体だけでなく、自分の周囲の地面や壁のどこにも、銃弾は当たっていない。
 けれど、その静寂をいぶかしむ間もなく、鋭い声がその場に響いた。

「村岡ッ! 諦めて銃を捨てろ! もう逃げられんぞ!」

 痛みに顔をしかめながらも、祐一は、その聞き覚えのある声から、ようやく事態を察した。 どうやら、村岡が銃で祐一を狙撃してきたところを、なぜかこの場にいた川越らが取り囲んでいる状態らしい。 とすると、先程の一発は、威嚇のための空砲だったのだろう。

「大丈夫か? 相沢君」

 と、誰かの影が歩み寄ってくるのが見えた。 痛みを堪えて、身を起こし、その人影に目を凝らすと、それは警察署で会った白坂刑事だった。 自分が狙われていたこと、そして何とか助かったこと。 それらが一気に脳裏を流れる。
 ほっとすると、また痛みがぶり返してきた。

「祐一さん! 大丈夫ですか?」
「祐一っ! 大丈夫?」

 と、そこで水瀬家から、秋子と名雪が駆け寄ってくる。 どうやら、銃声や川越の大声を聞いて、家から出てきたのだろう。 そこでうずくまっている祐一を見つけ、顔色を変えたというところか。

「うん、大丈夫。少し深く抉ってるけど、まぁこのくらいならすぐに治るさ」

 傷口を見ていた白坂が、祐一にともなく秋子にともなく名雪にともなく、そう言う。 要するに、傷はあくまでもかすり傷ということらしい。 それを聞いて、目に見えて安堵の表情を浮かべる祐一と秋子と名雪。
 とりあえず治療をしなければならない、ということで、祐一を立ち上がらせて、水瀬家に向かわせる。 左腕を刺激しないように、ゆっくりと歩く祐一が、ふと刑事達が集まっている方向に目をやると、丁度川越が、誰かに手錠をかけているところだった。 その誰かの顔は、川越の体に隠されていて、祐一には見えない。 そのことを喜ぶべきか、それとも残念に思うべきか、少しだけ考えたが、すぐに目を前に戻し、秋子と名雪と並んで、家に入る。

「……」

 家に入ると、祐一はすぐに上着を脱がされ、秋子が応急処置に取り掛かる。 念のために病院まで運ぶにせよ、止血くらいはしておかなければならない。
 幸いなことに、かすり傷というのも誇張でもなんでもなく、出血はそれほどひどくはなかった。 病院までは、警察がパトカーで運んでくれることになったため、とりあえず止血だけ済ませると、祐一は、秋子と名雪に見送られて、病院へ向かった。 警察がわざわざ送ってくれるのは、おそらく、祐一に事情聴取などをしたいからだろう。
 祐一にしても、聞きたいことはあったが、痛みもあることから、病院に着くまでは、ただ黙っていた。 病院で、診察と治療が終わり、化膿止めの薬などを貰って、そこでようやく祐一が川越に対して口を開いた。

「あの、助けてくれてありがとうございます。でも、どうしてあんな所にいたんですか?」

 祐一は、水瀬家の前で、村岡に撃たれた。 これはすなわち、村岡がどこかに身を潜めて、祐一が帰ってくるのを待っていたということになるが、ではどうして警察がそこにいたのだろうか。

「あぁ、それは君の友人の川澄君から頼まれたのさ。君が再度狙われる可能性があるから、遠巻きにでも見張っていてほしい、とな。我々も同じ危惧を抱いていたから、ずっと君を尾行してたんだよ」
「俺が狙われる……ですか?」

 警察に行った時に、舞だけやけに遅れて出てきたと思っていたら、そんな言付けをしていたのか。 祐一はそのことにも少し驚いたが、それ以上に驚いたことがあった。
 祐一は、犯人の復讐の対象ではない。 そういう風に結論付けたのは舞なのに、どうして祐一が狙われるという発想が出てきたのだろうか?

「簡単なことさ。君が復讐対象の場合は言うに及ばず、そうでなくても、警察の目を君に向けるために、君を狙う可能性があったということだよ」

 脅迫状や、二度にわたる祐一への襲撃によって、警察の目をそちらに向けることは、一応成功したと言える。 だが、その後に祐一が狙われることがなくなってしまえば、疑いを持たれるかもしれない。 少なくとも、犯人ならばそう考えてもおかしくはないと、川越は話した。
 つまり、ここにきて、警察が祐一への復讐という動機に疑問を感じ始めていることを察知したのか、村岡が機先を制して、祐一を狙ってきたということだろう。 幸い、舞に頼まれて、祐一の尾行をしていた川越らによって、三度目の襲撃は失敗に終わったが、もし彼らがいなければと思うと、祐一は背筋が凍る思いがした。 舞も、念のためという意味合いで尾行を頼んだらしいが、それがなければ、今頃どうなっていたことか。

「そうですか……あ、そう言えば、一体どこから撃ってきたんですか?」
「あぁ、近くの空き家の二階からだ。まさか住宅地で狙撃してくるとは思わなかったから、こっちも肝を冷やしたよ」

 そんな話の後、調書の作成のために、ということで、川越の質問に祐一達が答えているうちに、病院の入り口から舞と佐祐理が駆け込んでくるのが見えた。 二人の表情はかなり厳しいもので、入り口できょろきょろと見回してから、祐一の姿を認めると、一目散に駆け寄ってきた。

「祐一、大丈夫?」
「祐一さん、大丈夫ですか?」

 二人の心配そうな声が耳に届く。 左腕に巻かれた包帯は痛々しいが、顔色も普通で、意外に元気そうな祐一の姿に、二人は少しだけほっとしたらしい。

「あぁ、大丈夫。かすり傷だってさ。それより舞、ありがとうな。お前が警察に頼んでくれてなかったら、危なかったよ」
「でも、祐一、撃たれて……」

 少しだけ申し訳なさそうな舞の声。 おそらく、祐一が襲われる可能性について予見できていたのに、それを防げなかったことに、責任を感じているのだろう。
 祐一は右手で頭をかくと、舞に向かって、再度笑顔で礼を言う。

「舞が言ってくれてなかったら、俺は今頃どうなってたかわからないんだぞ。だから、お前に感謝してるんだ。ありがとう、舞」

 重ねてそう言うと、ようやく舞も寄せていた眉を元に戻す。 佐祐理もまた、隣で安心したような笑みを浮かべている。
 そこで、少し居心地悪そうにしている川越に気付いた祐一が、照れたように小さく笑うと、話を再開してもらう。 川越もまた、少し笑ってから、祐一に事件について色々と話してくれた。

 動機などについては、取調べが終わってからでないと断言はできないにしても、おそらく祐一達の考えた通りと思われる。 一人娘をひき逃げされ、憎悪にとりつかれた村岡は、復讐を決意したのだろう。 復讐を成功させやすくするように、表面上は娘のことから立ち直って、仕事に熱心に取り組む医者の姿勢を周囲に見せておき、裏で計画を練っていたらしい。
 あゆが死んだのは、事故の一週間後にあたる。 おそらく、その時に計画を思いついたのだろう。 祐一の存在を利用すれば、うまく動機を隠蔽でき、自分の犯行とばれないのではないか、と。
 犯人が山浦だと知ったのは、どうやら舞の予想通り、現場でひき逃げした車のナンバープレートを記憶していたからだという。 祐一達が山奥で発見した車は、やはり山浦のもので、彼の家から検出された指紋と、車内の指紋が一致したらしい。 さらに、事故現場で発見された破片と、車の部品が一致し、車体の裏からは、微かにルミノール反応も出たそうだ。 このことから、山浦は、村岡洋子をひき逃げした犯人と断定され、被疑者死亡のまま書類送検されることになる。
 そして村岡だが、警察の調べによると、山浦の所有する車のナンバーの持ち主について、陸運局に照会に現れていたらしい。 それを部下に調べさせておいて、川越は祐一の周囲を見張っていたのだと言った。 村岡が犯人の可能性はかなり高まっていたが、それでもまだ、決定的な物的証拠がなかったのも事実である。 そこで、村岡が動く可能性に賭けることにしたわけだ。 疑いをそらす為に、祐一を三度襲うだろう、と。 もっとも、まさか祐一が住んでいる家の近くで、狙撃しようと待ち構えていたとは、予想していなかったらしいが。

「とにかく、危ない目にあわせてすまなかった」
「いえ、そんなことはありません。」

 頭を下げる川越を、祐一は手で制する。 犯人が逮捕され、自分も無事だったのだから、責めることではないと思っているようだ。 川越は、祐一の言葉を聞いて、静かに顔を上げる。 そして、そう言ってくれると助かる、と話してから、ゆっくりと立ち上がる。 祐一達もまた、それにつられるように立ち上がった。

「それじゃあ、ここで失礼するよ。これから取り調べにかからないといけないからね」
「はい、それじゃ、ありがとうございました」
「あぁ、気をつけて帰るようにな」

 そして、祐一達は、病院の入り口で、川越と別れた。 既に夜の帳は降り、あたりは真っ暗になっている。 それでも、祐一を狙う人間は、もういない。 その意味では安全になったわけだし、喜ぶべきところかもしれないが、素直に喜べるほど、祐一の心は簡単ではなかった。

「……やっぱり、村岡医師が犯人だったんだな」
「祐一……」

 ゆっくりと歩き出す祐一の後を、舞と佐祐理が追う。

「娘の仇討ち……か」
「結局、みんな被害者だったんですね。傷ついて、傷つけられて……こんなの、悲しすぎます」

 悲しみが、そのまま形になったかのような佐祐理の声が、夜の空気の中に、小さく響く。 今回の事件は、結局、被害者は加害者でもあったり、加害者が被害者でもあった。 誰もが傷つき、傷つけられた、そんな悲しい事件。 祐一にしろ、佐祐理にしろ、それが無性にやるせなかった。

「でも」

 一瞬の静寂の後、舞が口を開いた。 静かに目を向ける祐一と佐祐理。 それを確認してから、舞は話し始める。

「祐一は、あゆのことを思い出せた。思い出してあげられた。それだけは、いいことだと思う」

 祐一が、微かに目を見開く。 佐祐理は、舞と祐一をじっと見ている。

「……そうだな。うん、あいつのことを思い出してあげられたのは、いいことだったんだよな」

 一瞬の沈黙の後、祐一は、ゆっくりと噛み締めるように、そんな言葉を口にする。 その目は、空を眺めていた。 澄んだ空には、星が瞬いている。 満天の星空とはいかないまでも、それでも目で幾つかの星座を追えるくらいには、星が散らばっている。 祐一は、そんな星空が、不思議なくらいにきれいなものに思えた。

「……帰ろう」
「うん」
「はい」

 少しだけ持ち直したような祐一の声に引っ張られてか、舞と佐祐理の声にも、明るさが少しだけ戻っていた。 そして、三人で並んで歩いていく。 星空の下を、街灯に照らされながら、ゆっくりと、三人の姿が闇に消えていった。








〜続く〜





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