彼の人に捧げる挽歌


第十二章  謀略















 五月二日、日曜日。

 昨日の雨が、まるで嘘のように晴れ渡った青空が、視界一杯に広がっている。 そんな、どこか休日を祝福するかのような好天の中、祐一と舞と佐祐理は、朝早くから駅に向かって歩いていた。 今日は休日ということもあり、名雪を起こす必要もなかったため、のんびりとした朝になるはずだったのだが、舞と佐祐理との約束もあったので、こうして朝から三人並んで、通りを歩いているわけだ。
 いつもは何かと話題の絶えない――と言っても、舞はほとんど喋らないけれど――三人だが、今日は黙って静かに道を歩き続けている。 もっとも、三人の間に険悪な空気があるわけではない。 どちらかと言うと、緊張とか不安とか、そういう類の空気と言えるだろう。 三人を包んでいる空気は。

 だが、それも無理なからぬところである。 世間は、やれゴールデンウィークだ、やれ連休だ、と騒いでいるが、今の三人は、それどころではないのだから。
 祐一を狙った復讐、と思われた事件。 だが、舞はこれに疑問を投じた。 祐一への復讐というのは、あくまで動機の隠蔽を図るための、犯人の策略ではないか、と。 つまり、犯人が本当に恨んでいたのは、祐一ではないのではないか、と。
 現状、それが真相だと決まったわけではない。 本当に祐一が狙われていたという可能性も、ゼロになったわけではないのだ。 何しろ、証拠は何もないのだから。 故に、まだどちらが正しいのかは、わからないのである。
 しかし、そのどちらが事件の真相であっても、祐一にとって救いとなることはない。
 もし祐一が狙われていたとするなら、その意図はなかったとはいえ、復讐者を祐一が生み出したことになる。 また、祐一が狙われていなかったとするなら、あゆの死が、犯人の復讐に、いいように利用されたことになる。 そのどちらであっても、祐一の心を暗くさせるには十分だ。
 だが、ここで止まっているわけにもいかない。 この事件の犯人が誰であれ、そしてその目的が何であれ、ただ黙って指をくわえて見ているわけにはいかないのだ。 犯人が、祐一を狙っていたことは、間違いないのだから。 そうである以上、事件の真相を解明しなければ、安心することもできないし、あゆの墓参りにも行けないだろう。
 だからこそ、今、祐一達は動いているのだ。 気は重いだろうが、それでも前に進んでいる。 真実を目指して、まっすぐに。 一歩ずつだとしても、確実に。

 日曜日、それも連休の初日ということもあり、通りには、朝から人が大勢歩いていた。 お目当ての店に向かっている最中の人もいれば、ウインドウショッピングを楽しんでいる人もいる。 誰かと待ち合わせをしているらしき人もいれば、家族や恋人と連れ立って歩いている人もいる。 ざわめきの中で、誰もが、この休日を謳歌していた。
 さんさんと降り注ぐ陽光も、まるで今日という日を祝福しているかのようだ。 街路樹は緑を精一杯に広げ、春の陽光をその身に浴びている。 葉が光を反射しているため、見上げれば眩しいくらいだった。
 風もないため、非常に暖かい気候である。 まさに、春真っ盛りといったところだろうか。
 誰もが明るい表情で歩いている中を、硬い表情で歩く祐一達の姿は、普通なら注目を集めていることだろう。 だが、幸いと言うか、誰もがまた休日に心が浮ついていたこともあり、一々他人を気にかけたりもしないので、変に目立つようなことはなかった。 楽しい時間だと、周りを気にすることもなくなるということか。

 祐一達は、大通りを抜けて、駅前まで到着した。 駅の近辺も、やはり大勢の人がいる。 駅前のデパートで買い物をするために来た人もいるだろうし、電車に乗るために来た人もいるだろう。 祐一達は、後者だった。
 駅の切符売り場で、行き先を確認し、そこまでの切符を買う。 目的地については、舞と佐祐理が、祐一を水瀬家まで迎えに来た時に、既に確認してあったので、迷うことはなかった。
 切符を手に、改札をくぐり抜け、ホームに上がる。 そこにも大勢の人がいたが、それでも、これならまだ、平日の朝のラッシュの時間帯の方が混んでいるだろう。 広いホームということもあり、移動することには、全く難はなかった。 時刻表の前まで歩み寄ると、祐一が、電車の到着時間を確認する。

「んー……あと五分だな」
「わかった」
「すぐですね」

 それだけ話すと、三人はすぐに列の後ろに並んだ。 立ったまま電車を待っている間も、特に雑談をすることもない。 それだけ、三人の心は、事件の方に向いているのだろう。 ただ、電車を待ち続けるだけである。
 きっかり五分後にやってきた電車に、三人揃って乗り込む。 車内はかなり混んでいたが、やはりラッシュ時の混み具合とは、決定的に異なっている。 三人でも窮屈でない程度には、立っていられる空間もあった。
 電車のドアが閉まり、がくんと一度揺れてから、電車はゆっくりと走り出す。 すぐに加速し、窓の外の景色が、あっという間に後方に流れていってしまう。 車内に意識を移せば、近くでも遠くでも、色々な人が、様々なことを話しているのがわかる。 ざわざわ、と、それらの言葉が混じり合ってできた雑音が、耳に響く。
 そんな中にあっても、祐一達は、ただ黙って立っているだけだった。 まぁ、殺人が絡んでいる事件について、こんな大勢の人がいる空間で話す方が、不自然と言えなくもないのだが。
 そんな理由もあってか、三人で寄り添うようにしてドアの近くに立ち、窓の外を流れる景色に、揃って目をやっていた。 他に見るものもないから、目だけそちらに向けているといった感じだろう。 視線はそちらに向いていても、心はそちらに向いていない。 きっと、それぞれに、事件のことについて、色々と考えていたりするのだろう。

 結局、電車が目的地に到着するまで、一言も喋らずに、三人は電車を降りた。 降りたその足で、すぐに改札口へ向かい、外に出る。 住んでいる場所からは相当に離れているが、祐一達は、迷いない足取りで、目的地に向かって歩き始める。 やはり多くの人が歩いている道を、三人で連れ立って歩く。
 ほどなくして、視界の先に大きな建物が見えてくる。 少しばかり古めかしい造りをしているが、大きくて頑丈なことが、簡単に見て取れる建物だ。 実用重視の建物と言えばいいだろうか。
 祐一達は、その建物の入り口付近まで来ると、一旦立ち止まり、その建物を見上げた。 四階建ての建物。 一見すると、役所関係の建物のように見える。 少なくとも、百貨店とかそういう類の建物とは、明らかに雰囲気が異なっていた。

「着いたな」
「うん」
「いつ見ても大きいですね」

 佐祐理が感嘆の声を上げる。 入り口付近で立ち止まっている三人を、通りがかった人が不思議そうな目で見ていたりするが、誰も特に何も言わずに立ち去っていく。 そして、あまり長々と立ち止まっているのもまずいと思ったのか、祐一達も、揃って中へ入っていった。

 この建物は、県立図書館。 県内で最大規模の蔵書数を誇る図書館で、ある意味ではここの名所と言えるだろう。 最寄り駅には、図書館への道が詳しく書かれてあり、そのことからも、多くの人がここを利用するためにやってくることを示している。 実際、その駅で降りる人は、この近辺に住んでいる人でなければ、この図書館に用がある場合がほとんどだ。

 ガーッという音と共に自動ドアが開き、三人がそこをくぐり抜けてから、また同じ音を出しながらドアが閉まる。 三人はまっすぐ受付に向かい、ある場所と、そこの利用を希望している旨を告げる。 簡単な書類を書くだけで、そこの利用許可は下りた。 三人は一つ礼を述べてから、そこへ歩いていく。
 図書館は、静寂に包まれている。 誰もがそれぞれに本を読んだり探したりしているから、話すこともないし、他人の邪魔をするような者もいない。 これだけ静かな空間も珍しいのではないだろうか。
 人が大勢いれば、それだけでかなり騒がしくなるものだが、図書館の場合は、機械がたてる微かな音や、歩く時の小さな音くらいしか聞こえてこない。 考え事をするのにも最適な空間だ。 誰かと話し合いをすることはできないが。



「それで、舞。ここで何を調べたらいいんだ?」

 ここが図書館だからか、祐一は、できる限り声を抑えて喋る。 またそんな小さな声でも、しっかりと二人の耳に届くのだ。 話す際には、他の利用者の事も考えて、必要最低限の内容で、しかもできるだけ静かにしなければなるまい。 今は、そのスペースに他の人はいないので、問題はないと言えるが、いつ他の人が来るかわからないのだ。 あまり大声で話すわけにもいかないだろう。 もっとも、それは常識なわけだが。 ともあれ、祐一達は、静かに話し始めた。

 ここは、いわゆる過去の新聞の閲覧スペース。 多くの全国紙や、一部の地方紙などを、過去数年分にわたって保存してある場所だ。 当然借りることはできないが、希望すれば、閲覧は可能となっている。
 祐一は、舞と佐祐理に、県立図書館に行くことは知らされていたが、そこで何を調べるかについては、聞いていなかった。 もちろん、何を調べるか想像がつかないわけではない。 先日得られた情報から、祐一達は、犯人の動機、つまり被害者である山浦が恨まれる理由について、彼が車を使わなくなったことに関係があるのではないか、と睨んだ。 となると、そこから、彼がその車で事故を起こしたという可能性まで考えが及ぶのは、ごく自然なことである。
 しかし、具体的にどんな事故なのか、いつどこで起こったのか、などについては、全くわかっていない。 だから、それを調べるためにここに来たのだが、ただ漠然と調べていても仕方がないだろう。 山浦の知人から聞いた話によれば、山浦が車に乗らなくなったのは、今年に入ってからとのこと。 となると、可能性を全て調べようとすれば、今年の正月から、祐一が脅迫状を受け取った日までの、全ての日の新聞を調べなければならないことになる。 三人で調べるには、少し荷が重い量である。 少しでも、絞り込む条件というか、そういうものがほしいところだ。
 祐一の質問を聞いて、舞は静かに口を開く。

「……必要なのは、未解決の自動車事故。それも死亡事故に限定していいと思う」
「そうだな」

 相手を殺したいと思えるくらいに恨むとすれば、それはやはり、そういう出来事でなければならないだろう。

「誰かが行方不明になった、という類の事件はどうしますか?」

 佐祐理が、こちらも小さな声で尋ねる。 山浦が人をひき殺して、死体をどこかに埋めた、というケースを想定しているのだろう。 確かにその場合なら、事故ではなく、行方不明という形で新聞に出ることになる。
 しかし、舞は静かに首を横に振った。

「それだと、犯人の行動の順序がおかしい。その場合だと、まずその死体が発見されないことには、復讐する人も生まれない」
「んじゃ、ひき逃げなんかの自動車事故を、死亡事故限定で探せばいいんだな?」
「そう。あと、時期だけど、一月は除外してもいいと思う。二月は微妙だけど」
「なんで?」
「いくらなんでも間があり過ぎる」
「でもさ、犯人を調べてて、それで時間がかかったのかもしれないぜ」

 祐一が正論を述べる。 が、舞は即座にそれに反論する。

「それはない」
「どうして?」
「用務員さんが、警察に捕まってないから」
「は?」
「つまり、警察でも突き止められなかったひき逃げの犯人を、一般人に見つけられるわけがない、ということですね?」
「そう」

 日本の警察の優秀さは、誰もが知っている。 例えば、自動車事故に限っても、その大半は、発生してからほとんど日も経たずに、解決へと導かれるのだ。
 それにも関わらず、未だに犯人が捕まっていないとするならば、それはほとんど証拠も目撃者もいなかった事故だということ。 となると、なおさら一般人には犯人など調べることはできないだろう。

「ちょっと待て。矛盾してないか? それじゃどうやって、犯人は用務員がひき逃げ犯だって知ることができるんだ? 調べられないのに、どうやって?」

 舞の発言に存在する不自然さに、祐一が疑問を発した。 確かに、舞の言い方だと、そもそも今回の事件の犯人が、山浦がひき逃げ犯だということを突き止められるのがおかしい、ということになる。 だが、そうすると、一体どうやって犯人はひき逃げ犯を調べたというのだろうか。
 祐一の疑問にも、舞は表情一つ変えないままで答える。 まるで、そういう質問がされることを予期していたかのように。 そのくらい、舞の返答には淀みがなかった。

「考えられる答えは一つ。犯人は調べていなかった、ということ」
「え?」
「調べるまでもなく、用務員さんがひき逃げ犯だ、と知っていたことになる」
「ど、どういうことだ? 一体」
「あ、そっか」

 混乱する祐一を他所に、佐祐理が何かに気付いたような声を出す。 その声に、祐一が振り向くと、佐祐理は納得の表情で、しきりに頷いている。

「佐祐理さんはわかったの?」
「はい。要するに、現場にいたんですよ、ひき逃げの」
「えぇっ? それはおかしいでしょ」
「どうしてですか?」
「だってさ、憎い犯人を知ってることになるんだろ? それなら、どうしてそれを警察に言わなかったんだ?」

 目の前でひき逃げが起これば、そのナンバーなり何なりを記憶して、警察に伝えようとするのは当然だろう。 ひかれた人が自分に近しい者であれば、なおさらだ。 絶対に警察に捕まえてほしいと思うはず。 それなのに、どうしてそれをしなかったのか、という疑問が、祐一にはある。

「……それだけ、大切だったということだと思う」
「大切だった……?」

 舞が呟いた言葉。 祐一が意味を掴みかねていると、舞は静かに言葉を続けた。

「きっと、犯人の目の前でひき逃げされた人は、犯人にとって、すごく大切な人だったんだと思う。それこそ、復讐せずにはいられないくらいに」
「あ! そういうことか……」

 納得の表情を見せる祐一。 だが、次いで声のトーンが落ちてしまう。 祐一の隣では、舞も佐祐理も、その表情に影を落としている。 少しばかり沈んだ空気が、三人を包み込んでいた。

 つまり、犯人はひき逃げ犯が、凄まじく憎かったということだろう。 その罰を、司法の手に委ねることすら、我慢できないくらいに。 自分自身の手で復讐しなければ、気が済まないくらいに。
 それならば、復讐が行われたことも、山浦がひき逃げ犯で捕らえられていないことも、山浦がひき逃げ犯だということを犯人が知っていることも頷ける。 これは取りも直さず、調べることが多少なりとも少なくなることを意味しているが、祐一達からすれば、到底喜べることではなかった。
 もしこの推理が正しければ、それはすなわち、誰かが山浦の車によって命を奪われていることになるからだ。 つまり、被害者であった山浦が、実は加害者でもあったということを意味していることになる。 そしてまた、山浦は警察に捕まってはいない。 すなわち、死亡事故を起こしておきながら、その罰を受けていないことになるのだ。
 その時の復讐者の気持ちを思うと、どうしても気が重くなってしまう。 大事な人を、理不尽に奪われた苦しみと悲しみは、本当に耐え難いものなのだから。
 祐一達は、これから、そんな思いを味わった者がいることを、自らの手で証明しなければならないことになる。 そんな状況では、とてもじゃないが、明るく振舞うことなどできない。
 しかし。

「……始めよう、祐一、佐祐理」
「……そうだな」
「はい」

 それでも、祐一達は調べなければならない。 辛いからといって、逃げるわけにはいかない。 同情したくなったからといって、手を止めるわけにはいかない。
 舞の推理が正しければ、犯人にも情状酌量の余地があることになる。 だが、だからといって、無関係な祐一を殺そうとしたり、あゆの死を犯行に利用したりしたこと、そしてもちろん復讐行為そのものも、決して許されるわけではないのだ。
 だからこそ、舞も、佐祐理も、もちろん祐一も、決意を新たに、新聞の束に向かうことにする。

「なぁ、二月の新聞はどうする?」
「……とりあえず後にしたらいいと思う。あゆの死の前後が、一番怪しいと思うから」
「そうだな。自分の犯行に、あゆの死を利用したわけだしな……」

 おそらく、どうやって復讐するかを考えているときに、あゆの死を知ったのだろう。 そして、それを利用すれば、自分の犯行の動機を隠せると思ったのかもしれない。

「じゃあ、三月の新聞を、まずは調べることにするか」
「うん」
「了解です」

 そして三人は、新聞を手にして机に向かうと、一斉に大量の活字に挑み始めた。 ただただ、新聞を繰る音だけが聞こえてくる。 静寂の空間に、そんな音はひどく大きく響いた。 ひき逃げの記事が、それほど大きな扱いを受けていない可能性も、十分に考えられたため、一つ一つ丁寧に目を通していく。
 一日一日の新聞について、その全てに目を通さなければならないため、祐一達は長期戦を覚悟していた。 新聞を読み終わると、それを元の位置に戻し、新しい新聞を手にとる。 そして席に戻ると、一面から順に目を通していく。 そんな単調作業の繰り返しだった。
 もちろん、細かい活字を一つ一つ目で追っていくわけだから、すぐに目が疲れてくる。 時折目をほぐすようにしているが、気休め程度にしかならないだろう。 けれど、祐一達は、新聞を繰る速度を変えることなく、黙々と作業に取り組んでいた。

 事件を探すような目で追っていると、一つ一つの記事が、また違って見えてくる。 その日その日には気にも留めていなかったが、こうしてまとめて見てみると、意外に多くの事件、事故が起こっている。 この街は、大都市と比べても、かなり平和だし、治安もいいため、祐一などは、漠然と事件の類は少ないだろうと思っていたのだ。 だが、それほど多くはないにしても、やはり事件や事故は、毎日のように起こっている。
 例えば、店内に押し入った男にナイフで切りつけられた挙句、売り上げを奪われた人がいる。 小学生が、突然見知らぬ男に殴られてけがをする事件もあった。 不審な死を調べてみたら、それが保険金狙いの殺人ではないか、という疑いが出てきた、という事件もある。
 見方を変えれば、復讐の火種というものは、それこそ毎日のように発生していると言えなくもない。 しかし、その中で実際に復讐に走るケースというのは、極めて稀なことだろう。 事件の解決などは、警察の手に委ねるのが常識なのだから。
 だが、今回探さなければならないのは、警察に委ねるという選択肢を放棄し、自身の手で復讐することを選択した者。 そして、その復讐者を生み出した事故。
 新聞から探し続けていると、事件などはそれなりの数が見つかるのだが、肝心の、これはと思える事故は、なかなか見つからない。 交通死亡事故やひき逃げという単語を見つけて色めきたっても、数日後の新聞に、逮捕の記事が出ていたりすることが多かった。 結果、徒労感だけが積み重なってゆく。

 三月の一日から、各紙を順に見ていっていたわけだが、読み進めるにつれて、段々焦りが心に忍び寄ってくる。 もしかしたら、その事故が起こったのは、二月ではないか?  いや、そもそもそんな事故はなかったのかもしれない。
 そんな不安を振り払うように、祐一が首を振った時、舞が静かに顔を上げた。 そして、一言。

「……見つけた」
「ホントか? 舞」
「舞、あったの?」

 その言葉にすばやく反応して、舞の席まで祐一と佐祐理が集まってくる。 若干興奮気味の二人と違って、舞は非常に落ち着いた仕草で一つ頷くと、自分が今まで見ていた記事を指差した。
 新聞に書かれていた日付は、三月十五日の月曜日。 舞が指差した所に書かれていたのは、次のような記事だった。


 14日午後10時30分ごろ、市内に住む大学生の村岡洋子さん(19)が、車にはねられたと110番通報があった。 村岡さんはすぐに病院に運ばれたが、全身を強く打っており、間もなく死亡した。 目撃した父親は、車は白っぽい乗用車だったが、現場が暗かったこともあり、はっきりしたことはわからないと話している。 県警は、道路交通法違反(ひき逃げ)容疑で捜査を始めた。


 その記事に見入っている祐一と佐祐理。 その表情は、真剣そのものだ。 二人が記事を読み終わるまで待ち、二人が顔を上げると、舞がすかさず次の新聞をテーブルに置き、ある記事の部分を指差す。

「そしてこれが、事件の続報」

 舞の言葉に返事をする時間さえも惜しむように、二人は視線をその記事に移した。 記事の日付は、ひき逃げの三日後、三月十七日の水曜日となっている。


 14日に、村岡洋子さん(19)がひき逃げされた事件で、県警は捜査を進めているが、目撃者が見つからないこともあり、捜査は難航している。 現場に残された車の破片からも追跡を進めているが、未だ有力な情報は得られていない。


「これ以降は、この事故についての話は出ていない」

 舞がそう言うと、祐一と佐祐理が、静かに顔を上げる。 二人の顔には、探していたものが見つかった喜びよりも、予想外の事実への驚きが広がっていた。

「……なぁ、舞。この村岡って名前……偶然と思うか?」

 しばらく黙っていた祐一だったが、しばらくしてから、呻くようにそう言った。 心なしか、その声が震えているような気さえする。 内心の動揺が、そのまま声にも伝わったかのようだ。
 隣の佐祐理もまた、少し青ざめた顔をしていることから、少なからず動揺しているだろうことがわかる。 若干見開かれた目で、救いを求めるように、黙って舞を見つめる。
 しかし舞は、そんな二人の様子にも、表情を変えないまま、ゆっくりと口を開いた。

「まだ、調べてみないとわからない。だけど、もしこの村岡洋子という人が、あのお医者さんの娘だったら、色々と説明がつくのは確か」

 揺れていた二人の心を見透かしたように、舞ははっきりと告げる。 村岡という名前で、三人が知っている人間となると、二十九日に会った村岡医師しか存在しないことを。
 絶句する二人を見ながら、舞がさらに詳しく話を進めるために、口を開く。

「今回の事件の犯人の条件は、すごく厳しい。最低でも、三つの条件を満たしていなければならない」

 そう言ってから、舞が、まず指を一本立てる。 祐一と佐祐理は、その上げられた舞の指に吸い寄せられるように、視線をそちらに向けた。 それから舞が、静かに話し始める。

「まず一つ目。用務員さんを恨んでいること」

 次いで、二本目の指を立てる。

「次に二つ目。あゆの死を知ることができる立場にいること」

 そして、三本目の指も立てる。

「最後に三つ目。祐一とあゆの関係について知っていること」

 上げていた三本の指をそのままに、舞はさらに言葉を続ける。

「もしこの村岡洋子という人が、あのお医者さんの娘で、はねた車を運転してた人が用務員さんだったら、全てが一つに繋がる」
「で、でも、まだわからないだろ?」
「そうだよ、舞」

 舞が話し終わると、二人はすかさずその言葉を否定する。 あるいは、せずにはいられなかったのかもしれない。
 だが、それも無理はないだろう。 祐一からすれば、彼は、七年もの間、あゆを診てくれていた医者なのである。 多大なる恩義を感じている彼が、実は自分とあゆを復讐のために利用した、などという説は、簡単に賛成できるものではない。
 佐祐理にしても、それは同様だ。 何しろ、何一つとして物的証拠がないのだから。
 村岡洋子という人が村岡医師の娘である、ということも推測に過ぎないし、村岡洋子という人を車ではねたのが山浦である、ということも同様である。 仮にそれらが正しかったとしても、それを村岡医師が知っていたとは限らない。 つまり、全てが、仮説の域を出ないのである。
 そんな祐一と佐祐理の反論が終わるのを待ってから、舞はまっすぐに二人を見据える。

「それを、これから調べる」

 そして、舞は事も無げにそう答えた。 まっすぐに見つめられて、一瞬言葉に詰まる祐一と佐祐理。 確かに、今はまだ推測の域を出ない仮説だが、あるいはこれが真実である可能性もあるのだ。 舞の言う通り、今祐一達がしなければならないことは、仮説を否定することではなく、それが事実か否かを調べることだ。

「二人とも、ここからが正念場だから」

 舞が静かにそう呟くと、固まっていた祐一と佐祐理は、ぱちぱちと瞬きをしてから、舞の目を改めて見つめる。 舞は、ただ黙って、二人が返事をするのを待っている。

「……そうだな。最後までやらないとな」
「うん……そうだね、舞」

 二人の返事を聞いて、小さく頷く舞。 これからの方針も決定し、当面これ以上ここで調べることもないので、三人は出していた新聞を片付け、図書館を後にした。 図書館を出て、しばらく歩いてから、祐一が、思い出したように口を開いた。

「そういえば腹へったな」
「あ、お昼ご飯もまだでしたね」
「……お腹すいた」

 三人三様の反応の後、お互いに少し見つめ合う。 そしてすぐに、それは笑顔に変わる。

「んじゃさ、あそこで飯食っていこうぜ」
「賛成です」
「賛成」

 視界の先に見えたファミリーレストランを祐一が指差すと、佐祐理も舞も即座に頷いた。 調べているうちにかなりの時間が経過していたのか、既に二時を回っている。 遅すぎる昼食だが、何も食べないわけにもいかない。 三人は並んで、ファミリーレストランに入っていった。








〜続く〜





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