彼の人に捧げる挽歌


第十一章  表裏















 五月一日、土曜日。

 その日は、朝から雨だった。 自室のベッドで目を覚ました祐一は、起き上がってカーテンを開けると、すぐに見える雨の景色に、少し表情を曇らせる。
 雨の中で学校に走るのは、御免被りたい。 そんな気持ちが滲み出ているような、そんな表情である。 晴れだったら走ってもいい、というわけではないが、それでも我慢できないものではない。 だが、雨の中を走ると、色々と都合が悪いのだ。
 まず、傘を差していても、走ったりすれば、間違いなく濡れてしまうだろうこと。 普通に下に降っている雨も、全速力で走ったりすれば、容赦なく傘の下まで入ってくる。 結果、まぁ上半身は何とか守れないこともないだろうが、下半身はそうは行くまい。 足元など、想像するのも憂鬱だ。
 さらに、濡れた地面を走ったりすれば、水たまりなどを通った際に、はねた水がかかるということ。 こちらは、空から降ってきた雨と違い、かなり汚れてしまう。 服も、肌も。
 だから、雨の日に走るのは、都合が悪いのだ。

「うし、気合入れるか」

 くるり、と窓の外から室内へと移された祐一の目には、決意の光が宿っていた。 これから始まるであろう早朝の戦いに、何としても最大の戦果をもたらさん、とばかりに。
 まずは手早く制服に着替える。 それが終わると、急いで部屋を出て、名雪の部屋の前に立つ。 すぐに扉を開けるかと思いきや、一つ深呼吸をする。 気合を入れ直しているらしい。
 それから、意を決したようにして、祐一がドアノブに手をかけた。 それと同時に、彼の戦いの幕が上がった。



「おはようございます、祐一さん、名雪」
「おはようございます、秋子さん」
「おはよう、お母さん」

 どうにか勝利して一階に下りてきた祐一と名雪。 二人を見る秋子の表情には、少しばかり驚きの色が浮かんでいる。

「今日は早かったのね、名雪」
「今日の祐一は激しかったよ……」
「こら、誤解されるような言い方をするな」

 かなり誤解を呼びそうな名雪の言葉を、祐一がすかさず否定する。

「あらあら、祐一さんも、何も朝からそんな……」
「だから違いますってば」

 笑いながら、秋子が名雪の言葉に追随し、祐一は疲れたような声で、こちらも否定する。 もっとも、どちらもわかってやっているわけだから、雰囲気も軽いものだった。 名雪だけは、まだぼーっとしているらしく、ただ首を傾げていたが。
 それでも、いつまでも遊んでいては、何のために急いで起きたのかわからなくなることもあり、二人は手早く朝食を済ませると、歩いていける時間帯に、家を出て学校に向かった。



「あら、名雪、相沢君。おはよう。今日は早いのね」
「あ、おはよう、香里」
「おはよう、香里。今日は雨が降ってたからな」

 余裕を持って家を出たため、雨の中走らずに済み、祐一も名雪も、いつもより早い時刻に学校に着いた。 教室に入ると、香里が二人に声をかけてくる。 名雪は普通に挨拶しただけだが、祐一は含みを持たせた喋り方をする。 当然、香里がこれに気付かないわけがない。

「あぁ、走りたくなかったってわけね」
「そういうことだ。今日はかなりヘビーな戦いだったぞ」
「心中察するわ」
「感謝する」

 祐一と香里の息の合った会話のやり取りに、疎外感でも感じたのか、名雪が頬を膨らませた。 ちょっと不機嫌な様子で、二人の話に割り込んでくる。

「うー……二人とも、ひどいこと言ってる?」
「そんなことはないぞ」
「そんなことはないわよ」

 ほとんど声を揃えて、祐一と香里は、名雪の疑問を即座に否定する。 だが、そのあまりのタイミングの良さが、さらに名雪に不満を与えてしまったらしい。

「なんだか息がぴったりだよ。怪しいよ」
「気のせいだってば」
「うむ、気のせいだな」

 今度はタイミングをずらして答える。 それでも不満なのか、名雪はうーうーと唸り続けている。 それを見て、笑いがこみ上げてくる祐一と香里。 当然、名雪はこれにも不満そうにする。
 そんな風に雑談をしていると、やがて北川も登校してきて、四人で話を始める。 ホームルームの時間まで、四人はそうやって時間を潰していた。



 授業も滞りなく進んで、最後の授業の終了のチャイムが、高らかに響き渡った。 休日を渇望する者にとっては、このチャイムは福音にも等しいのか、他のクラスでは、歓声が上がっていたりする。
 だが、それも無理はあるまい。 何しろ、明日からは四連休なのだから。 二日は日曜日で、三日、四日、五日は祝日。 四日連続の休みとなれば、学生がそこに思いを馳せるのは、仕方がないと言える。
 もっとも、祐一達受験生にとっては、四連休だからといって、そこまではしゃいでいるわけにもいかない。 受験勉強もしなければならないし、そこまで浮かれた気持ちにはなりにくい。
 だが、勉強だけをし続けるのは、それこそ不可能だし、まだ追い詰められているわけでもない、と思っていることもあるため、やはり少しばかり浮ついた空気が、教室にはあった。 あるいは、この四日くらいは遊んでもいいだろう、と思っている人だっているかもしれない。 確かに、息抜きは必要なのだから。
 けれど、祐一の場合は、別の意味で、浮かれてはいられなかったのだが。

「ようやく休みだなぁ、相沢」
「そうだな」

 北川はと言うと、やはり連休を楽しみにしていたらしく、ホームルームが終わるなり、祐一に笑顔で話しかけてきた。 祐一も、とりあえず頷いてみせる。

「明日からの四日間、俺は思いっきり遊びつくすことを、今ここで誓うぜ」
「勉強はいいのか?」
「痛いところをつくなぁ」

 参ったね、と言いながら、手を頭にぱしんと当てる北川。 それでも、笑顔は消えていない。

「おいおい、俺達は受験生なんだぜ?」
「わかってるって。でもさ、勉強ばっかりってわけにはいかないだろ?」
「遊びばっかりってのもどうかと思うが」
「これが最後だ」
「なるほどな」

 中途半端に遊ぶくらいなら、いっそ思い切って遊びつくして、以降は完全に頭を切り替える。 その方が、確かに能率的と言えるかもしれない。 もっとも、それができるかどうかは別問題なわけだが。
 とにかく、少し感心したような祐一の声に力を得たのか、北川が胸を張る。

「というわけで、相沢。お前も高校最後のゴールデンウィークを堪能しろよ!」
「お、おう。じゃあな」

 そして、上がったテンションを保ったまま、北川は教室を颯爽と走りぬけ、帰っていった。 それを呆然と見送る祐一。 と、そこへ香里が歩み寄ってくる。

「旅行に行くんですって、北川君」
「旅行?」
「ずいぶん嬉しそうに言いふらしてたみたいよ」
「マジで?」
「えぇ」

 香里の説明に、一つ頷く祐一。 だが、続けて疑問も発する。

「にしても、それだけであんなにテンション上がるか?」
「さぁ? もしかしたら、彼女と二人きりで旅行とか、そういうんじゃないの?」
「なぬ? 北川に彼女?」
「えぇ、色々と噂になってるみたい。詳しくは知らないけど」
「へぇー、あいつに彼女ねぇ……」

 少し感慨深げな祐一の声。 北川がどういう人間かは、祐一もよく知っている。 話しやすく、気の良い人柄で、誰にでも好かれるタイプの人間。 彼女がいても、何らおかしくはない。

「そりゃあ、浮かれもするだろうな」
「そうね。テンション上げすぎて、道路に飛び出したりしなきゃいいけど」
「おいおい……」

 香里の軽口に、祐一も苦笑する。 そして、その後少し話してから、香里も家に帰っていった。 名雪は元々部活があるから、既に教室にはいない。

「んじゃ、行きますか」

 そう言うと、祐一が鞄を手にとって、立ち上がる。 そして、玄関で靴を履き替えて、歩き始める。 校門を出て、足をある方向に向ける。 彼が行くのは、もちろん舞と佐祐理の家だ。
 昨日、舞が、今日から事件について調べる、というようなことを言っていたこともあり、それなりに気にかかっているらしい。 駆け足で校庭を走り抜ける。 ペースを落とすことなく校門をくぐり抜け、一直線に二人の待つ家へと向かう。
 雨は既に止んでいるが、道路には水たまりが多く残っているため、走るにも注意が必要だった。 それでも、やはりのんびり歩くつもりにはなれないらしく、祐一は走り続けた。







「いらっしゃい、祐一さん」
「祐一、遅い」
「こんにちは、佐祐理さん。そして無茶を言うな、舞。これでも走ってきたんだぞ?」

 家に着くなり、二人の歓迎を受ける。 もっとも舞の場合は、一緒に昼食をとることになっていたため、祐一が来るまでお預け状態だったので、少しばかり不機嫌な様子だったが。
 ともあれ、挨拶が終わると、三人は家に入り、まずは昼食をとることにする。 佐祐理と舞が、台所に歩いていく。 既に食事の準備は終わっていたらしく、すぐにテーブルの上に、美味しそうな料理が並べられる。
 そして三人がテーブルにつくと、待ちきれないという感じで、舞が箸を手にとる。 それを見て、少し苦笑する祐一と佐祐理だが、空腹なのは二人とも同じなので、特に何かを言うこともなく、昼食をとり始めた。

「それで舞、今日どっか行くとか言ってたよな」

 食べながら発せられた祐一の問いに、舞はこくりと頷く。

「んで、どこ行くつもりだ?」
「……話は、ご飯を食べ終わってから」

 それだけ言うと、すぐに舞は食事を再開する。 心は、食事にのみ注がれているようだ。 おそらくこれ以上尋ねても、教えてくれないだろうと思い、ため息をつきながら、祐一も食事を再開した。
 特別急いだわけではないのだが、三人はあっという間に昼食を食べ終わってしまった。 何だかんだ言って、舞も佐祐理も、それなりに気が急いているのかもしれない。

「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」

 三人の言葉が唱和した。 手を合わせて、昼食の終了を告げる。
 そして、佐祐理が立ち上がり、食器を台所に運ぶ。 もちろん、舞と祐一もそれにならう。 だが、台所はそんなに大きいわけではないので、三人で洗い物、というわけにはいかない。 せいぜい二人までだ。 そういうこともあってか、今日は舞と祐一が食器を洗うことになった。

「で、どこに行くんだ?」

 食器を洗いながら、祐一が舞に尋ねる。 食器を洗う手を止めないまま、舞が口を開いた。

「用務員さんの知り合いの人達のところ」
「あぁ、そういうことか。つまり動機探しってことだな?」
「そう。私達の考えが正しければ、犯人の復讐の対象は、用務員さんということになる。だとすれば、用務員さんの過去に、何か問題があるかもしれないから」
「その過去に関するヒントを、知り合いの人間が持ってるかもしれないってことか」
「それで、一応会ってくれるように、何人かには既に連絡済みだから、順番に話を聞きに行くつもり」

 話しながらも、どんどん食器を片付けていく。 それほど多くの食器を使ったわけでもないので、それほど時間はかからない。 最後の食器を片付けると、祐一が手を拭きながら台所を離れる。 舞もまた、手を拭きながら祐一に続く。
 二人の姿を確認して、佐祐理が立ち上がった。 既に外出の準備は済んでいるらしい。 舞は特に準備は必要ないらしく、そのまま佐祐理に声をかけて、三人で家を出ることにする。
 きちんとドアに鍵をかけてから、街へと向かった。 階段を下りたところで、祐一が二人の方を向いて尋ねる。

「で、まずはどこに行くんだ?」
「用務員さんの親戚の人のところに行く」
「かなり頻繁に連絡をとっていたそうですから、何か知っているかもしれません」

 舞と佐祐理の言葉に、祐一が頷く。 そして、舞を先頭に歩き始める。
 どうやら、その人は商店街で店を構えているらしい。 歩いている時に、佐祐理が祐一にそう教えてくれた。 その人に関する話をしているうちに、商店街まで辿りつく。
 明日から連休が始まるからか、商店街には、どこか浮ついたような空気が漂っていた。 道を歩く人の表情にも、翌日からの連休に対する様々な思いが出ている。 未だ制服姿の学生からは、単純に連休を喜ぶ気配が窺えたし、逆に学校がないせいで子供の面倒を見るのが大変だ、と零す母親達もいる。 休日だろうと平日だろうと関係ない、という人もいるし、旅行の準備をしている人もいる。

 そんな街の景色に視線をやりながら歩いていると、すぐに目的の場所に到着する。 舞が入っていったのは、一軒の書店。 中はそれなりに混み合っていたが、舞はそれを気にも留めずに、奥の方に座っている店主のところに歩み寄る。
 それに気付いた店主が、三人の姿を認めると、ゆっくりと立ち上がり、奥の方へ声をかける。 出かけてくるから店番をよろしく、と言っていたところを見ると、相手は奥さんか誰かなのだろう。
 そうして、彼は三人に声をかけてから、店の近くにあった喫茶店に入っていく。 時間が中途半端なためか、あまり店内に人はいなかった。 そういう状況だからか、遠慮なく六人掛けの席を占領する。 三人が揃って相手に向かい合う形だ。
 彼は、山口と名乗った。 それに追随する形で、三人もそれぞれ自己紹介をする。 それが終わると、四人ともコーヒーだけを注文して、それが来るまで待つことにする。 コーヒーが四人の前に並び、ウェイトレスの、ごゆっくりという言葉を合図にするようにして、舞が口を開く。 質問は彼女が代表してするらしい。

「用務員の山浦さんのことについて、話を聞かせてほしいんです」
「え? あいつのことかい? 何でまた……」
「あ、それは、俺がその場にいて……」
「ん? その場に……そうか、君が新聞に出ていた高校生だったのか」
「はい……」

 言い淀んだ祐一の言葉に、少し沈痛な面持ちを見せる山口。 新聞に、祐一の個人名は出されていなかったが、撃たれた時に、山浦の目の前に高校生がいたことは、既に明らかにされているのだ。 そのため、事件に巻き込まれた形の祐一に対しても、やはり同情心があるのだろう。
 祐一への脅迫状に関しては、警察が押さえているため、一般には、祐一が狙われてという考えはなかった。 よって山口も、山浦が誰かに恨まれていた、と普通に考えていたわけだ。 もっとも、その動機については、想像もつかないらしい。

「しかし、あいつが誰かに銃で狙われたりするとは思えないんだがねぇ……」

 沈痛な面持ちのまま、けれど不思議そうな声で、山口が呟いた。 彼の中では、祐一への復讐という要素が存在しないため、犯人についての情報は、皆無なのだろう。
 彼が言ったその言葉に、舞がすかさず質問を重ねる。

「それは、山浦さんが誰かに恨まれることはない、ということですか?」
「いや、まぁ、あいつもそんな善人だと断言できるわけじゃないけどね」
「?」
「欠点はそりゃあったさ。あいつは酒癖が悪くてね。酔って喧嘩したりということも少なくなかった」

 思い返すような目で、山口がそう言った。 あるいは、その喧嘩か何かで、山浦が警察の厄介になったりした時に、彼が迎えに行ったこともあるのかもしれない。 けれど、それに怒りを感じている風には見えなかった。

「だがね、それで殺されるほど恨まれるなんて、考えられるかい?」

 その質問に、無言で首を横に振る舞。 酔って喧嘩ということはあるだろうし、それで恨まれることもあるだろう。 だが、それが原因で襲われるとしても、銃で遠距離から、しかも祐一への復讐という隠れ蓑まで用意して襲撃するような、そんな迂遠なことをするだろうか。 道でたまたま出会って、怒りを再燃させて殴りかかる、といったところが関の山だろう。

「それに、あいつの酒癖の悪さには理由があってね……」

 そう言って説明を始める山口。 初対面で話すことではないかもしれないが、ここまで話してしまったのだから、ちゃんと理由を知っていてほしいのだろう。 これだけでは、単に酒癖が悪いだけの人間と思われかねないため、それへのフォローという意味合いもあるかもしれない。

「あいつは、奥さんと生まれてくるはずだった子供を、病気で失ってね。それから、酒に逃げるようになったんだ」

 祐一達は、それを聞いて、何とも言えない表情になる。 三人が口を挟むことはなく、ただ聞く姿勢に入っていたからか、山口はさらに言葉を続ける。

「亡くした当初は、そりゃあひどいもんだったよ。酒に飲まれるっていうのかね。泥酔して警察に厄介になってってのも少なかったし、喧嘩もしょっちゅうやってた。飲酒運転で捕まったこともあったよ」
「……用務員の仕事をしてたのに?」
「いや、用務員の仕事を始めたのは、そんなに昔じゃないんだよ。奥さんを失って、仕事もやめちまっててな。でも、いつまでも自棄になってたって仕方がないし、あいつが落ち着いてきた頃に紹介してやったのさ」

 山口は、そこで言葉を切り、コーヒーを口に運ぶ。 祐一達もまた、それにならう。 少し温くなってきていたが、それを気にせずに、静かにカップを傾ける。 苦味を覚えたのか、祐一の表情が、少し動いた。

「最近は少し立ち直ってきてたんだが……こんなことになっちまってな」

 疲れたような声だった。 彼は、本当に山浦のことを心配していたのだろう。 それだけに、今回の事件がこたえたということか。 祐一達に色々と話すのも、誰かに愚痴を聞いてほしかったからなのかもしれない。
 ため息とともに吐き出されたその言葉が、余韻を残して場に消えていくと、少し遅れて、舞が口を開く。

「……山浦さんに、最近おかしなことはなかったですか?」
「おかしなこと?」

 おうむ返しに尋ねてくる山口に対し、こくりと頷く舞。

「何かに怯えていたとか、神経質になってたりしたとか、とにかく今までと何か違うところはなかったですか?」
「うーん……」

 舞の質問に、唸りながら考え込んでしまう山口。 思い出そうとしているのか、時折首を傾げている。 それでも、なかなか思い出せないのか、言葉にすることはない。

「どんな小さなことでもいいから、何か違和感みたいなものがなかったか、思い出してほしいんです」
「どんな小さなことでも、と言われてもねぇ……」

 舞が続けて言った言葉にも、山口は首をかしげているばかりだった。 何もないのなら、もう諦めようかと三人が思った頃に、山口が、あ、と小さく呟いた。

「そう言えば、ちょっと前に、うちにあいつが遊びに来たことがあったんだけどね」

 大したことじゃないけど、と断ってから、山口は話し出した。 それでも、三人は真剣な表情に変わる。 今は、どんな小さな情報でもほしかった。

「いつもは車で来るのに、その時は、家の前に車が止まってなかったんだよ」
「? どういうことですか?」

 山口の言葉を聞いて、祐一が、不思議そうに尋ねる。

「いや、車で来なかったのかって聞いたら、今日は電車だって言ってね。珍しいこともあるもんだ、と思ったよ」
「えーと……それだけですか?」
「あぁ。大したことじゃないって言っただろう?」

 拍子抜けしたように尋ねる佐祐理に、山口は苦笑しながら答える。 それ以外は何も思い出せない、ということだったので、喫茶店の入り口で、山口と別れることにした。 三人がお礼の言葉を口にすると、山口は、小さく笑みを浮かべて、手を振りながら去っていった。
 入り口に残された三人。 と、祐一が口を開く。

「外れか……」
「でも祐一さん、まだ他にも知り合いの方はいらっしゃいますから」

 少し当てが外れたような表情をしている祐一を励ますように、佐祐理が声をかける。 それを聞いて、祐一も顔を上げ、佐祐理に頷いて返す。 祐一の表情からは、落胆の色は消えていた。

「よし、次行こう、次」
「はい」

 そして、二人が頷き合っているうちに、舞がすたすたと歩き始める。 少し慌てて舞を追いかける二人。

「おいおい、一人で行くなって」
「のんびりしてても仕方がない」
「そうだけどさ……」

 焦っているようには見えないが、内心では焦っているのだろうか? と、そんなことを祐一が考えているうちにも、舞はどんどん歩いていく。 祐一は、佐祐理と顔を見合わせてから、駆け足で舞の隣に並ぶ。

「次は誰なんですか?」
「用務員の仕事関係で知り合ったらしい友人の方のところです」

 佐祐理が説明し、道を覚えているらしい舞を先頭に、三人は、少し早足で歩いた。 辿り着いたのは、商店街の近くに建てられている一軒屋。 表札に書かれていた名前は、杉原。 その名前を確認して、舞が呼び鈴を鳴らすと、その人の奥さんらしき人が、優しく出迎えてくれた。
 案内された応接間で、再び祐一が、山浦が撃たれた時に近くにいたことや、それで気になって調べていることなどを話す。 頷きながら聞いていた杉原が、唸るようにして驚愕の意を示す。

「なんと、君みたいな高校生が、この事件に巻き込まれているとはね……」

 山浦の友人ということは、彼もまた四十前後なのだろう。 立派に蓄えられたあごひげをさするようにして、しきりに唸っていた。 その目には、事件に巻き込まれた祐一への同情心のようなものが、見え隠れしている。

「それで、もし何か山浦さんについて知っていることがあったら、教えてほしいのですが」

 少しでも情報を得ようと、祐一が尋ねる。

「だが、知っていることと言われてもね……」
「山浦さんが、車を持っている、という話を、山口さんという人から聞いたんですけど」

 と、それまで黙っていた舞が、いきなり横から口を出してきた。 驚いたような顔をして、舞を見る祐一と佐祐理。 だが、舞はそれを気にすることなく、まっすぐに杉原を見ている。
 問われた杉原は、舞の言葉を聞いて、すぐに頷きを返す。

「最近、山浦さんが車を運転しているところを、見たことはありますか?」
「ん? あぁ、そう言えばなかったな。車好きなやつだったんだが」
「それは、いつ頃から?」
「んー……確か、今年に入ってからかな。まぁ、正月に会った時には、車を運転してたがね」

 あごひげを撫でながら、最近のことを思い返しているのか、しきりに頷いている。

「車を運転しない時があった?」
「あぁ。少し前にうちに遊びに来たんだが、そいつその時に電車で来ててな。不思議に思ったもんさ」
「理由は聞いてないんですか?」
「いや、聞いたんだが、どうも要領を得なかったな」

 うーむ、と唸る杉原。 少し渋い表情をしている。 何か事情があるのかもしれない。

「どういうことですか?」
「いや、友人に売ったとか言ってたんだが、誰に売ったとも言わんし、重ねて聞いたらいきなり怒り出してな。それ以上聞けなかった」

 あの時はびっくりした、という杉原は、改めて不思議に思っているのか、眉根を寄せている。

「……そうですか」

 そう答えた舞は、表情を変えないままだった。







「舞、あの質問は何だったんだ?」

 その後は、大した収穫もないまま、杉原の家を辞した。 といっても、専ら質問したのは祐一と佐祐理で、舞はどこか心ここにあらずといった感じで、何事か考え込んでいた。
 そして、家を出てからずっと気になっていたらしく、祐一が舞にそう尋ねた。 佐祐理も同じ疑問を抱いていたのか、言葉にはしないものの、じっと舞を見つめている。
 舞は、少し歩いてから、二人に向き直り、しばらくしてから口を開いた。

「用務員さんは、車を最近まで持っていたという話だった」
「あぁ」

 突然話を振られたからか、祐一は相槌を打つしかできない。

「でも、ある時を境に、車を手放したらしい」
「そうだな。で、それがどうしたんだ?」

 首を傾げている祐一と佐祐理。 舞の言わんとするところを掴みかねているのだろう。 そんな二人に、舞は声の調子を崩さないまま、話し続ける。

「最近まで普通に車を乗り回していたのに、突然それを友人に売ったという。そして、詳しく聞いたら怒り出す……不自然だと思わない?」

 舞に言われ、祐一と佐祐理は、そこでようやく舞の言いたいところがわかったらしく、はっと目を見開いた。 言葉にこそしていないが、表情から、二人が何を考え付いたのかは、すぐにわかる。
 そして、一つ頷いてから、舞がそれを言葉にする。

「突然手放した車。今回の事件の鍵は、ここにあるのかもしれない」

 舞のこの言葉に、祐一も佐祐理も同意する。 もちろん、まだこれが動機に関わっていると確定したわけではない。 そもそも、犯人の復讐の目的が、山浦を殺すことだという前提すら、未だ仮説に過ぎないのだ。 何しろ、証拠が何もないのだから。
 しかし、犯人の狙いが祐一だったとすれば、事件に矛盾が生じるのも事実である。 だからこそ、祐一達は、この仮説に賭けることにしたのだ。 そして、その仮説を信ずるならば、今日得られた疑問に対する答えを、求める必要があるだろう。

「これから、どうするんだ?」
「もちろん、決まってる」

 祐一が尋ねると、舞は自信に満ちた声で、そう話す。 そして、言葉を続ける。

「一体どうして、用務員さんが車を手放したのか。その当時何があったのか。それについて調べる」








〜続く〜





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