彼の人に捧げる挽歌
第十章 光明
四月三十日、金曜日。
さすがに、いつまでも学校を休んでいるわけにもいかないため、祐一は、この日は登校していた。 クラスメイトからは、心配の声がかけられたが、大丈夫らしいということが祐一の雰囲気からわかったのか、皆一様に安心した様子を見せている。 友人達のそんな温かな気持ちが、祐一には嬉しかったようで、しきりに感謝の言葉を口にしていた。
学校の方も、また襲われてはいけないので、向かいのビルも含めて、周囲への警戒を強めていた。 だが、結局この日も祐一が襲われるようなことはなく、一日は無事に終了した。
「それじゃなー」
「祐一、気をつけてね」
祐一が学校を出ようとした時、名雪が後ろから声をかけてきた。 祐一が舞や佐祐理の家に行くことは聞いていたのだが、やはり狙われている事実があるせいか、その声は心配そうだ。
そんな名雪に、安心させようとしてか、祐一は苦笑しながら話しかけた。
「わかってるよ、名雪。それじゃ、家でな」
「うん、早く帰ってきてね」
「おう」
そんなやり取りの後、学校を出る。 と、校門からそれほど離れていないところに、舞と佐祐理が並んで立っているのが見えた。 祐一が二人に気付いた時に、二人もまた、自分達の方へ歩いてくる祐一に気付いたらしく、視線を祐一に向けている。 表情も変えないままの舞と違って、佐祐理は、笑顔で大きく手を振っていたりしたが。
そんな二人を見て、苦笑しながら、そちらに駆け寄る祐一。
「祐一さん、こんにちは」
「こんにちは、佐祐理さん、舞」
出迎えてくれた佐祐理と舞に、笑顔を見せて挨拶する祐一。
「祐一、佐祐理。とりあえず家に行こう」
「そうだな、それがいいか」
挨拶もそこそこに、舞が急かしてくる。 実際狙われている自覚もある祐一にしてみれば、それに異論を唱える気など全くなかった。 立ち止まって話し込んでいるところを狙われては、たまったものではない。
そうして、三人並んで歩き始める。 少しだけ早足で、とりあえず家へと急ぐ。 祐一にしても、二人に聞きたいことはたくさんあるのだろうが、家に着くまでは口にしないつもりらしい。
そういうこともあって、比較的早く、舞と佐祐理の家にたどり着くことになった。
「さて、と。それで、舞、そろそろ話してくれよ」
少しばかり気が急いているような祐一の声。 視界の先では、舞がクッキーを手に、出された紅茶を味わっている。
部屋に入ってからしばらくの間、祐一も舞も、特別何かをすることもなかった。 佐祐理はお茶の準備をしていたし、舞にしても、それを待っていただけ。 結局、祐一だけがやきもきしていたことになる。
何しろ祐一は、どうして今日、舞が自分を誘ったのか、全くわからないからだ。 舞は何も教えてくれなかったし、かと言って想像できることもない。
家に着いたら教えてくれるだろう、と思っていたのに、舞は黙ったまま。 佐祐理がお茶を持ってきたら教えてくれるのか、と思ったら、今度はお茶に夢中。 結果、とうとう我慢できずに、口に出して尋ねた、というわけだ。
「祐一は、せっかち」
「もったいぶらずに話してくれてもいいだろ?」
「急いては事を仕損じる。腹が減っては戦は出来ぬ。まずはお腹を満たしてから。慌てないでも、あとでちゃんと話す」
「そうですよ、祐一さん。まずはティータイムとしましょう」
喋ってすぐに、舞はクッキーを口に放りこみ、佐祐理もにこにこと笑顔で、手に持ったカップを傾ける。 マイペースにお茶を楽しむ二人を見て、祐一は軽くため息をつくと、観念したのか、クッキーに手を伸ばす。 普段の彼なら、もっとどんどん食べていたかもしれないが、現在の状況が状況だけに、とてものんびりティータイムを楽しむ、とはいかない。
それでも、マイペースな二人に引っ張られる形で、紅茶を飲みつつ、クッキーを腹に収めてゆく。 紅茶独特の深い味わいを楽しんでいるうちに、祐一の精神も、少しずつ落ち着いてくる。 ほぅ、と息をつき、クッキーの甘さに舌鼓を打つ。 そうして、時間はゆっくりと流れていった。
「ごちそうさまでした」
食べ終わった舞は、手を合わせて満足気な表情をしている。 佐祐理は、流しに食器を持っていき、祐一も、リラックスした雰囲気でテーブルの前に座っている。 そして、ほどなくして佐祐理が戻ってくると、舞が祐一に視線を向けた。
「じゃあ、本題に入りたいと思う」
「おう」
「はい」
舞の言葉に、場の空気が若干引き締められる。
「本題というのは、もちろん、祐一が脅迫状を受け取ったことに始まる、一連の事件について」
そこで舞が、祐一と佐祐理の顔を見回す。 三人とも真剣な表情で、テーブルを囲んでいる。
「事件の流れを掴むために、簡単に事件の概要を表にして書き出してみた。まずはこれを見てほしい」
そう言うと、舞は自分の横に置いていた一枚の紙を手にとって、それをテーブルの上に載せる。 祐一も佐祐理も、それを読むために、ぐいっと身を乗り出す。 舞は内容を覚えているのか、祐一と佐祐理が見やすいように、自分からは逆さに見えるようにして、その紙をテーブルに置いた。
そこに書かれていたのは、次のような内容だった。
二十三日
:
郵送にて、祐一が脅迫状を受け取る。
二十四日
:
夕方、一人でいた祐一が、ナイフを持った男に襲われる。負傷。
二十五日
:
祐一、警察に相談。
二十六日
:
何もなし。
二十七日
:
祐一の目の前で、学校の用務員の人が射殺される。
同日深夜
:
消印のない封書が、水瀬家の郵便受けに入れられる。
二十八日
:
早朝に封書を発見。また、昼過ぎに警察に行き、事件について話す。
「これに間違いはない?」
見入っている祐一に、舞が問いかける。 それに対し、頷くことで肯定する祐一。
「じゃあ、これを元に話を進めるから」
「それはいいけどさ、でも、これが何だって言うんだ?」
祐一が首を傾げる。 彼の場合、自分が実際に体験しているだけに、わざわざ書き出されなくても、十分知っていることだ。 なぜ今またこれを確認するのか、について、どうしても疑問を感じてしまうのだろう。
「順を追って話していくから、まずは話を聞いて」
「わかった」
祐一の疑問に、しかしすぐには答えずに、舞がそう言った。 話をするにも、順序というものがある。 いきなり結論を言われても、過程がわかっていなければ、理解することが難しいのは、至極当然なこと。
それ故に、ここは舞が話すに任せた方がいいと判断したらしく、祐一も改めて頷いた。
「あと、こっちが、祐一が受け取った、犯人からの脅迫状」
「……」
先程、舞が示した事件の概要の書かれた紙の隣に、祐一が受け取った、二通の犯人からの脅迫状を置く。 それを見た時、祐一は一瞬辛そうな表情をしたが、言葉に出すことはなかった。
「現状、この事件に関して、私達が知り得る事実は、これで全て」
「まぁ、そうだな」
「警察には、もっとたくさんの情報があるかもしれませんけど」
舞に対し相槌を打つ祐一の隣で、佐祐理が、口元に指をやりながら言う。 確かに、山浦が射殺された現場で、何らかの証拠なり証言を得られた可能性は、十分あるだろう。 どこから、どういう銃で狙撃したのか。 それを見ていた人間はいないのか。 あるいは、現場を立ち去る不審人物を見た人間はいないのか。 これらの情報の収集は、警察の得意技であり、また強力な武器でもある。 こうした情報を一つ一つ積み重ねて、警察は事件を解決に導いていくのだ。
しかし、一般人である祐一達には、そんな情報を得る手段など、あるはずもない。 学校の人間から、ちょっと話を聞くくらいのことならまだしも、現場付近の住民に聞き込みをすることなどできないのだ。 仮にしたとしても、果たして望む情報を教えてくれるかどうかも甚だ疑問である。 警察ならまだしも、一般人の祐一達には、何の権限もないのだから。
だから、今目の前にあるものだけが、祐一達の知り得る事実。 細かいことを言えば、当事者たる祐一は、もう少したくさんの情報があると言えるかもしれないが、大雑把に言えば、これだけだ。
佐祐理の言葉に小さく頷いてから、それでも舞は言葉を続ける。
「だけど、私達が知っていて、警察が知らないことだってある」
「なに? どういうことだ?」
舞が静かに断言すると、祐一は不思議そうに聞き返した。 そこで舞は、祐一に目を向ける。
「警察は、祐一を知らない。祐一のことを、何も知らない」
「いや、調べられるだろ、警察ならさ」
警察の情報網ならば、それこそ祐一の自伝が書けるくらいに、祐一に関する情報を収集することも可能だろう。 その中には、祐一も忘れてしまっている事実だって多く含まれる。 となると、むしろ祐一に関する事実ですら、警察の方がより多くの情報を集められるのではないだろうか。 少なくとも、祐一はそう考えた。
「でも、それは表面的なものだけ」
「え?」
「祐一がどんな人なのか……そんな祐一の本質については、表面的なことをいくら調べても、簡単にわかることじゃない」
まっすぐに祐一を見つめる舞の瞳。 静寂の湖のように、それは揺らぐことなく、深い輝きを湛えている。 それは、祐一を心から信じている、その何よりの証拠。
お互いに信頼しあっている三人でなければ、わかり得ないことだってある。 本当の祐一を知り、付き合っている舞と佐祐理だからこそ、知り得ることだってあるのだ。
舞が言いたいことは、つまりそういうことなのだろう。
「そしてそれは、この事件では、大きな武器になる」
「そうか?」
「この事件では、祐一が犯人に執拗に狙われている、という状況が最大のポイント」
「あぁ」
「だからこそ、私達が祐一のことを知っている、というのは、最大の武器になり得る」
そう断言する舞の言葉から、彼女が絶対の自信を持っていることが窺えた。 あるいは、既に事件に関して、何らかの結論を持っているのかもしれない。
「とりあえず、それは何となくわかるが……」
祐一が、命を狙われた、ということ。 それはすなわち、祐一に、狙われる理由、恨まれる理由が存在する、と考えるのが普通である。 祐一が、過去に何かをし、それに対して恨みを持った人間が、祐一を襲った、と。
事実、警察は二通の脅迫状からそう考えたし、祐一自身もまた、それを理解している。 そして何より、祐一には、恨まれるだけの理由があるのだから。
「でも、動機は、あゆのことだろ? 俺のことを知ってるからって、何が変わるんだ?」
動機は、既に明らかにされてしまっている。 祐一もまた、それを思い出したのだ。 犯人を復讐に駆り立てるだけの動機になり得る、そんな過去の出来事。
あゆが死んだこと。 もちろん、ここに祐一の責任があるわけではない。 あゆが木から落ちたのは、不幸な事故だったわけだし、その件に関しては、誰が悪いというわけではないだろう。
だが、あゆを想う者にとっては、それが受け入れがたいことであったとしても、おかしくはない。 事故の原因を祐一に求めても、あゆのことを忘れていた祐一を恨んでも、仕方がないかもしれない。 そんな人が、今回の復讐を企てた、と考えるのが、最も自然な思考ではないだろうか。
となれば、舞が言う、祐一がどういう人かについて知っていること……これが、一体何の武器になるというのか。 祐一の内面まで知っていることで、何が変えられるというのか。 何がわかるというのか。
しかし、舞はそんな祐一の問いかけには答えず、祐一の方を向いていた視線を、テーブルの上に落とし、黙って事件の概要の書かれた紙を指差す。
「もう一度、これを見てほしい」
舞の言葉に従い、祐一と佐祐理が、舞の指差す先に、何も言わずに目を移す。
「これを見ると、祐一が、一度のみならず、二度も襲撃されていることがわかる」
「あぁ。犯人は、二通も手紙を寄越してきたしな」
「そう。この二つの事実をそのまま受け取れば、誰かが祐一を強く恨んでいることになる。それこそ、本気で祐一を殺そうとするくらいに」
舞の言葉は、祐一にとっても辛いものだったが、ここで逃げたりするわけにはいかない。 事実を事実として受け止めなければならない、と舞に諭されたのだ。 辛くとも、受け入れなければならない。
「……だから、犯人はあゆと親しい人間で、それで、全てを忘れていた俺を……」
だから、祐一は自分から意見を口にする。 厳しい表情をしているけれど、それでもしっかりと、はっきりと。
そんな祐一に対し、舞は一つ頷いて、ゆっくりと口を開いた。
「だけど」
そこで、舞が静かに口にしたのは、紛れもなく否定の言葉。 思わず舞の方を見る祐一。 その目にも、そして表情にも、驚愕の色が滲み出ている。
「そう考えると、いくつも不自然な点が出てきてしまう」
「不自然な点?」
おうむ返しに尋ねる祐一に、舞は、事件の概要の書かれた紙に目をやりながら、説明を始める。
「まず、祐一への襲撃の日と、その間隔」
舞が、右手を顔の前に持ってきて、指を一本立てる。
「二十三日に脅迫状が郵送されて、その次の日の夕方に、祐一が直接襲われた。ポストに投函した日から、水瀬家に手紙が着く日は計算可能だから、これは、脅迫状の到着直後を狙っていたと考えてもいいと思う」
「確かにな」
祐一が脅迫状を見たのは、厳密には郵送されてきた日の夕刻。 犯人としても、祐一が脅迫状を見てからでないと、襲うこともできないだろうから、襲撃できるのは、どうしても次の日になってしまう。 かと言って、昼間から襲いかかるわけにもいかないのだから、犯人は、可能な限り脅迫状の直後を狙っていたと考えてもいいだろう。
「それで祐一を負傷させただけで終わると、二日間、祐一に対して何もしなかった。強く恨んでる上に、祐一を殺せなかったのに。一体どうしてだと思う?」
「それは、俺を油断させようとしたから、とか?」
「その可能性は否定できない。だけど、それでも不自然だと思う」
「どうして?」
「その間に、祐一が警察に行くことは間違いないから」
見知らぬ男に、いきなりナイフで切りつけられれば、誰だって、まず警察に行くだろう。 それを予想できないはずもない。 事実、祐一は、次の日に警察に行っている。
「犯人が復讐を成功させようとするのなら、その復讐が完了するまでは、警察の介入はできる限り避けたいはず。それなのに、祐一を再度襲おうともせずに、二日の猶予を与えている。これはおかしい」
「前日に失敗したから、犯人も慎重になってたんじゃないのか?」
「そう、犯人は前日に失敗してる。どうして?」
「そりゃ……ナイフで切りかかられた時に、俺がどうにか避けたからだよ。でも、それが何だっていうんだ?」
ナイフを持った男の襲撃は、全く予想外ではあったが、それでも、回避できないこともなかった。 もし犯人が、常人を上回る運動技能を持っていたら、話は違っていたかもしれないが。
と、そこで、舞がもう一本の指を立てる。
「ここに、二つ目の不自然な点がある。どうして、犯人はナイフで襲いかかってきたの?」
「え?」
「犯人は、銃を持っているのに、どうして敢えてナイフなんて使ったの?」
「……」
舞の言葉に、思わず言葉を詰まらせる祐一。 考えもしなかったが、確かにこれは不自然だ。 山浦を射殺したんだから、犯人が銃を持っているのは間違いないのに、どうして最初はナイフで襲ってきたのだろうか。
「もし犯人が最初から銃を使っていれば、祐一を警戒させることもなく、間違いなく祐一を殺すことができたはず。なのに、犯人はそうしなかった」
「もしかしたら、その時は銃がなかったのかもしれないだろ?」
「それなら、銃が手に入るまで待てばいい」
「……」
「この事件は、きっと計画的に行われた。だから、行き当たりばったりなことなんてしてないと思う。一つ一つの行動が、全て犯人の予定通りの行動で、そして今の所、予測通りの結果になっているはず」
「……つまり、何が言いたいんだ?」
どんどん展開していく話に、少し混乱気味の祐一。 佐祐理はというと、真剣に舞の言葉に聞き入っているが、混乱した様子はない。 あるいは、昨日の段階で、既に舞と話し合っていたのかもしれない。
そして舞は、少しだけ時間をおいて、説明を再開する。
「銃を使えばいいところを、敢えて犯人はナイフを使った。警察に知られたくないはずなのに、祐一にその猶予を与えた。この行動も、だから犯人の予定通りなんだと思うし、何らかの理由がないとおかしい」
「……もう少しわかりやすく言ってくれ」
目まぐるしく展開していく話についていけないらしく、祐一は、目を白黒させている。 半ば混乱していると言ってもいいかもしれない。 これでは、思考以前の問題だ。
けれど、それでも舞は、表情を変えないままで、言葉を続けた。
「それについては、後でまとめて言うから」
「もったいぶるなぁ……」
「順序を考えて言わないと、きっともっと混乱すると思うけど」
「……で、続きは?」
渋々といった感じが若干あった祐一だが、それでも大人しく続きを聞くことにしたらしい。 それに対し、小さく頷く舞。
「とにかく犯人は、二日の空白を空けて、次は、二十七日に、学校を出ようとしていた祐一の近くにいた用務員さんを、銃で撃った」
「……あぁ。それは、きっと俺を狙って……」
ここで、暗い表情になってしまう祐一。 自分を狙っていた犯人に殺された山浦のことを考えて、どうしても罪悪感を覚えてしまうのだろう。 もし自分に近づかなければ、死ななくて済んだのに……そんなことを考えているのかもしれない。
「犯人は、本当に祐一を狙っていたの?」
「なに?」
「犯人は、本当に祐一を殺そうとしていたの?」
「ど、どういうことだ?」
沈む祐一にかけられた舞の言葉は、祐一の心に大きな波紋を呼び起こした。 それは、どうしても浮かんでしまう自責の念を、完全に否定する言葉だからだ。
「犯人が、最初から祐一を狙うつもりがなかったとしたら?」
「な!」
「犯人が、祐一を殺すつもりなんてなかったとしたら?」
一つの仮説。 その舞の説に、祐一が絶句する。 けれど、舞は、特にそれを気にした風もなく、言葉を続けた。
「警察は多分、今頃こう考えてる。犯人は、祐一と用務員さんのどっちに当たってもよかったんだって」
「警察が?」
「そう。祐一に当たったら、それは復讐の成功。用務員さんに当たっても、祐一の心は深く傷つく」
そんな舞の言葉を聞いて、祐一は恐怖を覚えたらしい。 少しばかり青ざめた顔をしている。 どちらが死んでもよかったなんて恐ろしい考えを聞かされれば、それも当然のことだろうが。
「そんなひどい話があるかよ……」
「それは同感だけど、まだ話は終わってない」
「なんだ?」
「その可能性もあるだろうけど、でもそうだとすると、一つ腑に落ちない点がある」
「腑に落ちない点?」
「そう。本当に祐一の心を傷つけたいのなら、私達を狙えばいいのに、どうしてそうしなかったのか、ということ」
「それは……」
確かに、もし舞が狙われていたら。 佐祐理が狙われていたら。 秋子が狙われていたら。 名雪が狙われていたら。
そうして、祐一に近しい人物が狙われた方が、祐一の心に与えるダメージは、間違いなく大きいだろう。 心から大事に思っている人が、自分のせいで傷ついたりしたら、平静でいられるわけなんてないのだから。 そうしていれば、祐一の心に、最大級のダメージを与えられたはずだ。
なのに、犯人はそれをしなかった。 撃ったのは、祐一とは無関係な、高校の用務員。
「これが、三つ目の不自然な点」
舞の眼前に、三本目の指が立てられた。 その三本の指をじっと見つめる祐一。
「祐一を本当に殺したいのなら、最初から銃を使えばよかった。祐一の心を本当に傷つけたいのなら、私達を狙えばよかった。それなのに、犯人はそうしなかった」
静かに話を続けてゆく舞。 話が山場に差し掛かっていることを察して、祐一の表情も引き締まる。 一言たりとも聞き逃すまい、と主張するように、ぐぐっと身を乗り出す。
「脅迫状の文面は強い調子なのに、ナイフで襲ってきたり、銃で違う人を撃ったり。どうしても、ちぐはぐに見えてしまう。復讐行為にしては、やってることが中途半端に過ぎる」
絶対に許さないとか、裁きの時を待てとか、脅迫状には威勢のいい言葉が並んでいたのに、結局祐一を殺すことはできていない。 それが、どうにも不自然で、どうしても疑問に思えてしまうのだ。
「復讐を本当に考えているんなら、もっと殺意があっていいはず。なのに、二度も殺す機会を逸している。まるで、祐一が死んでも死ななくても、どっちでもいいみたいに」
「……つまり?」
「もしかしたら、犯人にとって、祐一はどうでもよかったのかもしれない」
「えっ?」
「祐一への復讐なんて、嘘なのかもしれない」
「ちょ、ちょっと待て! それって大前提を覆すことになるぞ!」
かなり慌てた声で、驚きの表情のまま、祐一が舞に言う。 祐一への復讐というのは、この事件の前提条件だったはず。 それなのに、犯人にとってどうでもよかったとは、一体どういうことだというのか。
「だから、その前提が間違ってるということ」
「じゃあ、あの脅迫状とか、俺が襲われた理由は、どう説明するんだ?!」
落ち着きを取り戻すこともできずに、詰め寄るように質問する祐一。 それとは対照的なまでに、舞は落ち着き払っている。 そして、一瞬の沈黙の後、口を開いた。
「全て、嘘ということになる」
「なんでそんな嘘なんてつく必要があるんだよ?」
「よく考えて。今回の事件から、祐一への復讐という要素が消えたら、どういう事件になる?」
「そりゃ……って、もしかして!」
祐一への復讐という要素が消えてしまえば、残る事件は、ただ一つ。
「そう。犯人の目的は、祐一への復讐なんかじゃなくて、多分、用務員さんを殺すこと」
「じゃあ何か? 俺への復讐っていうのは……」
「きっと、本当の動機を隠すための、隠れ蓑みたいなものなんだと思う」
「それなら納得だけど……」
言葉の割には、まだどこか釈然としない様子を見せている祐一。
「そう考えれば、さっき示した不可解な点が、全部うまく説明できる。ナイフで襲いかかってきたのは、祐一を殺すことが目的じゃないから。むしろ、銃を使う方がおかしい。そもそも銃の存在は、肝心な時まで隠しておきたいだろうし」
「確かに」
「間隔を空けたのも、祐一が警察に行くことを待っていたんだと思う。前もって情報を与えることで、祐一が復讐の対象になっているということを、警察に信じさせるために」
「……でも、証拠はないだろ?」
祐一が聞くと、舞は首を縦に振る。
「じゃあ、なんで舞はそう思うんだ? それを信じられるんだ?」
祐一の疑問。 それは、至極もっともな疑問。
「私は、祐一をよく知ってる。祐一がどんな人なのか、よく知ってる。だから、祐一が大事に思っているあゆっていう人のことも、信じられる」
「え……?」
「あゆっていう人が、無関係な人を殺せるような復讐者を生み出すわけがない。あゆのことを本当に想う人が、祐一を逆恨みしたりするわけがない」
それが真実だ、と言わんばかりの表情で言う舞の顔は、溢れんばかりの優しさをたたえている。 祐一を、そして祐一が信じるあゆを、心から信じられること。 これが、彼女の武器なのだ。
警察では、確かに簡単にこういう思考には行き着かないだろう。 彼らは、祐一のことを何も知らない。 だから、祐一のことを、心から信じることはできない。
「……そうか」
それだけを呟いた祐一の表情には、若干の照れと、確かな喜びが滲み出ていた。
「それで、これからどうするんだ?」
「慌てない。行動するのは明日から」
しばらくしてから、祐一が今後について尋ねると、舞はそんなことを口にした。
「まぁ、舞がそう言うなら従うけどさ、警察には言わなくていいのか?」
「まだ早い」
「早い?」
おうむ返しに聞き返す祐一に、舞は大きく頷いてみせる。
「私はこれが正しいと信じてる。でも、まだこの説には、不確定の要素が多過ぎる。今の段階で警察に話しても、一笑に付されるだけ」
確かに、何の証拠もないし、そもそも犯人が一体何を恨んでいたのか、それさえも見当がついていないのだ。 この段階で警察に話したところで、相手にされまい。
「じゃあどうするんだ?」
「だから、それを明日から調べる」
「そっか……」
舞のその言葉に、祐一も決意を秘めた目で返す。 明日からが勝負だ。 祐一も、腹をくくらなければならない。
「それじゃ、話も終わりましたね」
祐一が納得したのを見て、佐祐理が、話の終わりを告げる。 二人が見ると、佐祐理が立ち上がっているところだった。
「では、もう一杯、紅茶はいかがですか?」
「……それじゃ、もう一杯もらおうかな」
「佐祐理、私も飲みたい」
「はい。少しだけ待っていてくださいね」
祐一と舞が、笑顔で紅茶のお代わりを求めると、佐祐理は笑顔で頷いて、台所に向かう。 長い間話していたこともあって、三人とも喉が渇いていたし、一息つきたいところでもあった。 そして、佐祐理が、ゆっくりと紅茶を淹れ始める。
祐一が家を辞すまで、三人はのんびりと、ティータイムを楽しんでいた。
〜続く〜
SEO
掲示板
[PR]
爆速!無料ブログ
無料ホームページ開設
無料ライブ放送