事を起こす上で、きっかけというのは、非常に重要なものだ。
逆に言えば、何かきっかけがないと事は起こしにくい、とも言えるのだが。
いずれにせよ、人が何かしら行動を起こす時には、そのきっかけとなる何かが存在することは多々ある。
きっかけと一言で言っても、その形は千差万別だ。
それは、後の行動と密接に結びつく何かだったり、親しい知人友人の一押しだったり、と、そういうケースが多い。
だが、時には思いもよらないことがきっかけとなって、何かが起きることもある。
例えば、誰かが道端に投げ捨てた空き缶を、むしゃくしゃしていた別の誰かが蹴り飛ばし、それが誰かに当たり、ケガをして問題になったり。
あるいは、たまたま暇つぶしで買った雑誌に載っていた地域に旅行して、俗に言う運命の出会いを果たしたり。
いずれにせよ、日常において、何がきっかけとなって、誰が何をするかは、それこそ神にしかわかり得ないことだ。
もし、あの時ああだったら。
もし、あの時あんなことがなかったら。
誰もが、一度は考えたことがあるだろう。
それは、単なる懐古だったりすることもあるし、あるいは後悔だったりすることもある。
けれど、世界に“もし”はない。
やり直しもリセットボタンも、そこには存在しない。
起きてしまったことは無くすことはできない。
流れ落ちた砂は、戻すことはできない。
それが、現実。
起きてしまった過去があり、そしてきっかけが生まれれば、人は容易に行動を起こすことが可能となる。
目的は様々だ。
誰かに助けられた人間が、いつか誰かを助けたりすることもあるだろう。
若い頃に苦労した人間が、いつか貧窮に苦しむ誰かに援助することもあるだろう。
しかし、それが常に善行とは限らない。
人はまた、容易に負の感情に支配され得る。
怒り、憎しみ、恨みといった感情に支配された人間が、きっかけを得たらどうなるか。
想像するに難くはない。
きっかけというものは、それこそ無数に転がっている。
時に、とんでもない事態を引き起こすようなきっかけでさえ、無数に。
誰もが……そう、事を起こす本人以外の誰もが気付かないことさえも、無数に。
一九九九年の三月二十一日、日曜日。
とある街のとある病院でのことだ。
その日は、朝からはっきりしない天気だった。
雨が降るでもなく、太陽が見えるでもなく。
だが、見る者の気分さえも暗くさせるような、そんな黒雲に、空は覆われていた。
今にも雨が降りそうなのに、しかしなかなか降らない。
そんな天気。
そして、その日の午後三時丁度。
その病院で、長く入院生活を続けていた一人の女性患者が、静かに息を引き取った。
見守る者もなく、誰に別れを告げることもなく。
彼女の死を見取ったのは、その病院で彼女の担当をしていた医師と、看護婦の二人だけ。
余りにも寂しく、余りにも哀しい死。
七年以上にも及ぶ、長い入院生活の果ての死だった。
そしてさらに言えば、その入院生活において、彼女は一度として意識を取り戻したことはなかった。
入院してから、その日まで、彼女は眠り続けたままだった。
今にも起きてきそうなのに、結局一度も目を覚まさぬまま、彼女は永久の眠りにつくことになったのだ。
彼女の名前は、月宮あゆ。
十七歳という若さでの、不幸だった。
生きていたら、彼女も高校生として、輝かしい人生を送っていたことだろう。
十歳の頃から眠り続け、人生で最も輝ける時期を棒に振って、そして旅立ってしまった彼女を想い、病院関係者の中には、涙に濡れる者もいた。
一人の少女の、長き入院生活の果てでの最期。
これがきっかけとなって事件が起こるとは、その時、誰も予想だにできなかった。
その犯人以外には、誰も。
彼の人に捧げる挽歌
第一章 発端
一九九九年、四月一日、木曜日。
季節は春。
桜は早くも咲き誇っており、子供の入学式を控える親達は、その桜が散らないことを祈っていたりする。
北国であるこの地方も、ようやく暖かいといえる気候となり、道行く人々の重装備を取り払っていた。
冬の間は、一面を雪に覆われる地方だけに、春や夏の暖かさは、他の温暖な気候の地域とは、また異なる趣を持っている。
降り注ぐ陽射しに目を細め、そよぐ暖かい風に頬を緩ませ。
誰もが春を満喫していた。
街もまた、人に合わせて、その装いを春らしいものへと変えている。
店に並ぶ商品も、すっかり様変わりしていた。
コンビニなどでは、冬の定番であるおでんや肉まんなどが姿を消し、一部の人間を嘆かせていたりもする。
気の早い店では、夏物がどうの、という話が持ち上がっていたりもした。
そんなすっかり春めいた通りを、一人の男が、心持ち早足で歩いていた。
とは言え、決して時間がないというわけではないことは、焦っていないその様子から明らかだ。
結局、気が急いているだけなのだろう、と容易に推察できる。
何か楽しいことでもあるのかもしれない……そう、見る者に思わせるに足る、そんな表情をしていた。
男の名前は、相沢祐一。
市内の私立高校に通う新三年生だ。
気候は十分暖かいものとなっているにも関わらず、春物とは言えコートを身につけているあたり、寒がりなのかもしれない。
長い前髪を揺らしながら、少し急ぎ足で歩くその姿は、まるで恋人との待ち合わせに向かっているように見える。
そういう視線で彼を見る者も、決して少なくなかった。
大通りを抜け、少し脇道に入り、それでも彼は歩くペースを崩さない。
目的地まで、まだ距離があるのか、彼の表情に変化は窺えない。
迷いのない足取りから、彼がその道を歩き慣れていることがわかる。
しばらく歩いていると、住宅街に入った。
一戸建ての家が並んでいるため、道の両側は高い塀となっている。
この辺りまで来ると、道で誰かとすれ違うことも、極端に少なくなってしまう。
もっとも、祐一の視界には、そんな見知らぬ人や家は、流れて消えていくのみなのだが。
さらに歩くと、今度は集合住宅の棟が並んでいるのが見えてくる。
市の中心部から電車で一時間以内という立地条件もあって、ここはいわゆるベッドタウンのようなものなのだろう。
事実、この住宅街から程近い場所に、市の中心部へと走る電車の駅がある。
ここから勤めに出る人間は、かなり多いのだ。
そんな集合住宅の棟の一つに、祐一は迷いなく歩いていく。
郵便受けを確認することもなく、階段を一つ飛ばしに上る。
軽快な歩調。
それは、彼の今の心境を、何より如実に物語る。
そして、ある部屋の前までくると、ぴたりと足を止める。
それから一つ深呼吸をした。
歩いてきて、それなりに息が上がった、ということだろうか。
と、徐にドアノブに手をかけると、そのまま扉を開いていく。
「舞ー、来たぞー」
そんな言葉だけを、その場に残して。
「あ、祐一さん。こんにちは」
「祐一」
祐一が部屋に入ると、まるでそれを待っていたかのようなタイミングの良さで、二人の女性が、それぞれに祐一に挨拶の言葉を送る。
栗色の髪を薄い緑色の刺繍が施されたリボンで纏めた、どこか向日葵を思わせる明るい笑顔を向ける少女は、言葉と笑顔で。
美しい黒髪を紫色のリボンで纏めた、少し表情に乏しい少女は、軽く手を上げることで。
奇妙なほどに対照的な対応をしている二人だが、祐一は、そのことを特に気にした様子も見せることなく、軽く手を上げることで、二人に答えた。
「や、佐祐理さん。もう来てたんだ」
「もちろんですよ。今日は大事な日ですから」
軽く笑いながら、祐一が、明るい笑顔を見せてくれる少女に話しかけると、その少女は、少し力こぶを作る仕草を見せる。
それに対し、さらに笑みを深くする祐一。
そのどちらの笑顔も、これ以上ないくらいに明るく、輝いて見えた。
そして、祐一はさらに一言二言話すと、今度は無表情に二人を見ている黒髪の少女に近づいていく。
「まーい、相変わらずお前は仏頂面してからに。こういう日くらいは、もっと弾けたらどうだ?」
「弾ける?」
軽い調子の祐一の言葉に、おうむ返しに答える少女。
表情は変わっていないが、小さく首を傾げているあたりに、現在の彼女の感情が窺える。
「そ。要するにあれだ、もう少し嬉しそうにしたらどうだ? ってことだよ」
「もちろん、嬉しい」
「だからー……はぁ、まぁいいか」
嬉しい、という言葉のわりに、今一つそれが表情に表れていない少女を見て、少し疲れた様子を見せる祐一。
それでも、すぐに軽くため息をつくと、それで全てを流したかのように、また笑顔に戻る。
「で、荷物はまとまったのか?」
ぐるりと部屋を見回しながら、祐一が二人のどちらにともなく尋ねる。
祐一の視界には、あるべき家具などの物体は、一つも入ってはこない。
まるで引越し直後、あるいは引越し直前のように、部屋中ががらんとしていた。
「って、聞くまでもないみたいだけど」
「はい、もうあとは向こうの部屋の荷物を外の車に運ぶだけです」
「祐一、来るのが遅い」
相変わらず笑顔でいる少女の隣で、少し不服そうな声を上げる黒髪の少女。
少しだけ、頬が膨れているような、そんな様子が窺える。
「時間通りには来ただろ?」
「あははーっ、ちょっと待ちきれなくって、二人だけで始めちゃいました」
「……こういう時は、もっと早くくるもの」
少しくすぐったそうに話す栗色の髪の少女。
その言葉から、彼女達が、引越しの準備を勝手に始めてしまった、ということがわかる。
それでも、黒髪の少女の方は、少し不満げだったが。
「はは、悪い悪い。それじゃ、こっからは俺が働くからさ」
「はい、お願いしますね、祐一さん」
「祐一、お願い」
そんな言葉のやり取りがあってから、祐一は奥の部屋に入り込み、ダンボールを運び始めた。
二人の少女は、少し休憩とばかりに、それを見送っている。
「あ、車は知ってますよね」
「もちろん」
確認の言葉を交わし合うと、祐一は、意気揚々とダンボールを部屋の外に持っていく。
決して軽くはないだろうが、そのことも気にならない様子だ。
そして部屋には、二人の少女の笑顔だけが残された。
二人の少女の名前はそれぞれ、栗色の髪の持ち主が、倉田佐祐理。
そして黒髪の持ち主が、川澄舞。
二人とも、祐一が現在通っている高校を今春卒業した、祐一にとって先輩にあたる人達だ。
そもそも、祐一は元々はこの街の人間ではない。
両親の都合で、今冬の一月にこちらに住んでいる親戚の家に、居候として移り住んできたのだ。
幼少の頃には、こちらによく遊びにきていたこともあり、両親は、安心して祐一をこの親戚に預けることができた。
もっとも、よく遊びにきていたといっても、それは七年前を最後に、ぷっつり途絶えていたのだが。
ともあれ、祐一は七年ぶりにこの雪の街に降り立った。
引っ越してきた当初は、その寒さに苦しんでいたりしたが、次第にそれにも慣れ、学校生活にも馴染んでいった。
川澄舞と倉田佐祐理。
この二人に出会ったのは、そんな頃だった。
夜の校舎で偶然出会った祐一と舞は、それ以降、奇妙な逢瀬を重ねることとなる。
『私は、魔物を討つ者だから』
そう言って剣を振るう舞と、そんな舞を気にかける祐一。
こうして祐一が舞と知り合えば、舞の親友である佐祐理とも知り合うようになるのは、ごく自然なことだった。
それから、昼食を共にするようになり、また様々なイベントを通じて、三人は仲を深めていった。
佐祐理の負傷や舞の戦いの終焉、そして封じられていた過去と向き合ったこと。
そうした様々な出来事を経て、今の三人がいる。
高校を卒業後、同じ大学に進学した舞と佐祐理は、実家を出て、二人でアパートを借りて暮らすことを決めた。
実家から大学に通えないことはなかったが、それだけ二人は互いを必要としていたということである。
アパートを借りる際、二人が祐一に、一緒に暮らさないか、と言ったりして、一悶着起きたりもしたのだが。
さすがに、まだ高校生であり、居候として親戚の家に預けられている祐一が、そんなことを実現できるわけもなかった。
またいずれ、祐一が生活能力を身につけてからは、どうなるかわからないけれど。
そして今日は、二人が実家からアパートへと引っ越す日なのである。
まず佐祐理が、実家から引越し荷物と一緒に舞の家まで行き、そこで舞の荷物を載せて、新居へと向かう。
これが段取りだった。
車は、佐祐理の父親が手配してくれた軽トラックを使わせてもらっている。
運転に関しては、倉田家付きの運転手の人がしてくれていた。
佐祐理が家を出る時には、少ししんみりした空気が、倉田家には漂っていた。
今生の別れというわけでもないのだが、それでもやはりどこか寂しそうにしていた両親の表情を、佐祐理は目にしている。
それはともかく、佐祐理の支度が想像以上に早く済んだこともあり、舞の家に到着したのは、ずいぶん早い時間となった。
そのため、待ちきれなくなった二人は、本当なら祐一が来てから一緒に行うはずの引越し準備を、自分達だけで手早く進めていた、というわけだ。
「おーい、荷物はこれで全部ー?」
「そうですよー」
「おっけー、んじゃ行こっか」
最後の荷物を手にとった祐一が、部屋の掃除をしていた佐祐理に声をかけ、その返事を聞くと、玄関にいた舞と一緒に歩き始める。
その後ろから、佐祐理が駆け足で追いかけてきて、三人で連なって、階段を下りていく。
さすがに多くの荷物を運んだためか、祐一の額には汗が浮かんでいる。
それでも、祐一は笑顔だった。
「それで佐祐理さん、道は大丈夫だよね」
「はい、ちゃんと覚えてますよ」
荷台に乗った祐一が、荷物を固定するロープを確認してから、助手席に座る佐祐理に話しかける。
それに対し、握りこぶしを見せながら、楽しそうに返事をする佐祐理。
一つ頷いて、祐一は同じく荷台に乗っている舞に視線を向ける。
「それと舞、忘れ物はないか?」
「大丈夫」
「それじゃ、出発することにしますか」
「はい。それでは、運転よろしくお願いしますね」
「かしこまりました、お嬢様」
祐一の言葉を聞いて、佐祐理は、出発してくれるように運転手に言い、運転手が一つ頷いてから、キーを回す。
次いで、軽トラックのエンジンが、軽やかに回転を始める。
止まったままの状態だからか、少し強い振動が、荷台に座る祐一と舞の体に伝わってくる。
それでも、車に弱いわけではないためか、特に気にした様子もなく、笑顔を崩さずにいた。
「……さようなら」
動き出した車。
視線を移し、自分がこれまで生活していた家に、静かに別れを告げる舞。
微かに細められた目。
いざ別れの時となると、これからへの期待よりも、やはり寂しさが過ぎるものなのかもしれない。
それでも、そういった懐古の情は、そう長くは続かないものだ。
良かった時代、楽しかった思い出。
思い返すこともあるだろうけれど、新しい生活が始まれば、それへの喜びの方が大きくなるだろう。
事実、舞にしても、これからの生活に思いを馳せているし、今日と言う日を心待ちにしていたのだ。
「舞。これから、たくさん思い出を作ろうね」
助手席の窓から、佐祐理の声が、舞にかけられる。
窓から顔を出しているわけではないが、それでも彼女が笑顔でいることは、すぐにわかる。
その言葉を聞いて、舞が視線を車内に戻す。
それから、静かに口を開いた。
「うん。私と、佐祐理と、祐一と、三人で」
三人で……このフレーズに、祐一も佐祐理も、心を満たされる思いがした。
これからの生活に思いを馳せているのは、佐祐理にしても、また祐一にしても同じだ。
時間は、たくさんある。
楽しい思い出なんて、それこそいくらでも作れるだろう。
楽しい気持ちを胸に抱いたまま、軽トラックは道を走っていった。
契約したアパートは、2DKの間取りになっていた。
バス・トイレが共用ということは、もちろんというか、ない。
家自体は、それほど広いわけではないが、年式も比較的新しく、二人は満足そうだった。
「きれい……」
「ホントだ、山が見えるね、舞」
家に入ると、当然のことだが、荷物もほとんどないため、非常に広く感じる。
そんな家の中を、とことこと横切って、舞が窓から見える景色に感嘆の息を漏らした。
それに続く佐祐理。
二人の視界の先には、立ち並ぶ家々、そして遠くにそびえる山々があった。
ここは市の中心部からは少し外れているからか、特に大きなビルが建っているわけでもないため、かなり見晴らしがいい。
もちろん、ここが五階建ての最上階、すなわち五階に位置していたからこそでもあるのだが。
「なぁ、舞、佐祐理さん。景色を楽しむのもいいけどさ、少し手伝ってくれよ……」
ダンボール箱を運んできた祐一が、景色を見ながらはしゃいでいた二人に、疲れたような声をかける。
何せ二人分の荷物なのだ。
車から荷物を降ろして、三人の礼を笑顔で聞いてから、既に運転手は帰ってしまっている。
よって、二人が手伝ってくれなければ、建物の入り口付近においてある荷物を運ぶのは、祐一だけとなってしまう。
だが、一人で運び込むには、少し無理がある。
そういうわけで救いの声を上げたのだが。
「力仕事は男の仕事」
「そりゃないぞ、舞。今は男女同権の時代だ」
「祐一は甲斐性がない」
「ちょっと待て!」
やいのやいのと騒ぐ祐一と舞。
それを見かねたのか、話が進まないと思ったのか、佐祐理が、二人の言葉が途切れるタイミングを狙って、声をかける。
「それじゃ、ダンボール箱の中身の整理や片付けは佐祐理がしますので、祐一さんと舞の二人で、荷物をこの家まで運んできてくれませんか?」
その言葉に、二人もぴたりと言葉を止める。
少し考える仕草をしたが、すぐに佐祐理に頷きを返す。
「それじゃあ、ちゃっちゃと片付けちゃいましょう」
佐祐理のそんな言葉を合図に、三人が行動を開始した。
祐一も舞も、一生懸命荷物を運び、佐祐理が、その箱を開けて、中身を整理し始める。
五階という見晴らしの良い階だけに、荷物を運ぶのにも一苦労だった。
そのため、祐一も舞も、全ての荷物を運び終えた頃には、かなり疲れていた。
祐一に至っては、部屋に寝転がって荒い息をつく始末。
それでも、しばらく休憩するうちに立ち直り、今度は、できる範囲で部屋の片づけを手伝う。
遅れて届けられた家具などを、事前に考えていた場所に運んだり、本や食器を片付けたり。
色々やっているうちに、時間も過ぎ去って、片付けが終わる頃には、もう夕焼けが見え始める時間だった。
「終わったなー」
「はい。祐一さんも舞もお疲れ様」
「佐祐理も、祐一も、お疲れ様」
「おう、舞も佐祐理さんもお疲れさん」
疲れているだろうに、それでも部屋の真ん中あたりで座している三人の表情は、とても晴れやかだった。
西日を受けて赤く染まった横顔には、達成感や充実感といったものが溢れている。
お互いに労をねぎらい、そして一つ笑う。
それは、誰の目にも、幸せそうな光景に映ることだろう。
「はぁ……それで二人とも、夕食はどうするの?」
「これから作るのは大変ですねー」
「……ちょっと疲れた」
ふとかけられた祐一の問いに、少し悩む表情を見せる二人。
引越しや片付けというのは、意外に体力を使う。
これから材料を買いに行って、さらにそこから料理を作って、というのは、さすがに敬遠したいところだろう。
「んじゃ、どっかに食べに行くか」
「それがいいですね」
「異議なし」
祐一の提案に、二人はすかさずのった。
「じゃ、今日は二人のお祝いってことで、俺が奢るよ」
「え? いいんですか?」
「いいの?」
祐一が、どんと胸を叩きながら言った言葉に、ちょっと驚きを見せる二人。
まだ高校生の祐一に、そんな負担を強いていいものか、と悩んでいるようだ。
けれど祐一は、軽く手を振って、大丈夫だ、ということをアピールする。
「いいのいいの。今日はお祝いなんだし。俺に奢らせてくれよ」
「……わかりました。それじゃ、ご馳走になりますね」
「ありがとう、祐一」
少しだけ逡巡する仕草を見せた佐祐理だが、やがて笑顔で祐一の提案を受けた。
好意は素直に受け止めるべきだ、と考えたのかもしれない。
舞もまた、佐祐理と同じように考えたらしく、素直にお礼の言葉を言った。
「おう。それじゃ行きますか」
「はい」
「うん」
二人に笑顔を見せて、祐一が立ち上がる。
それに続いて、二人も立ち上がった。
三人で連れ立って、片付けたばかりの新居を後にする。
きちんと鍵をかけて、仲良く談笑しながら、下へと向かう。
夕暮れも深まり、あたりは真っ赤に染まっていた。
山の向こう側に消えゆく太陽の、眩いばかりの陽射しに、祐一達も軽く目を細める。
いくら春とはいえ、夜になればさすがにまだ肌寒いため、三人ともコートを着込んでいる。
仲良く並んだ影法師が三つ、通りを流れるように移動していく。
そしてそれも、すぐに街の雑踏に溶け込んでいった。
〜続く〜